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2021.05.18

怒濤の絵師は宇宙を目指した!?北斎館館長が語る映画『HOKUSAI』の見どころと葛飾北斎の魅力

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2021年5月28日に公開される映画『HOKUSAI』の主人公、葛飾北斎は、90歳という長寿を全うし、数多くの作品制作を行いました。かの有名な『冨嶽三十六景』や『北斎漫画』を生み出した稀代の天才絵師という面と、93回もの引っ越しや度重なる改号などの奇抜なエピソードに注目されることの多い北斎は、映画の中でどのように描かれているのでしょうか。今回は、江戸文化研究の第一人者であり、長野県上高井郡小布施町にある北斎館の館長である安村敏信さんより、映画の見どころや北斎というアーティストの魅力を語っていただきました。

■ 映画『HOKUSAI』公式サイトはこちら
■ 葛飾北斎の情報を集めたポータルサイト「HOKUSAI PORTAL」はこちら

映画『HOKUSAI』の見どころとは
90年の生涯をたっぷり伝える2時間

――まず最初に、映画『HOKUSAI』の見どころを語っていただけますか。

安村:北斎は名を知られていますし、絵を見たことがある人も多いですが、北斎の生涯を“通し”で知っている人はそれほどいないと思います。そんな中、映画『HOKUSAI』では、2時間前後の長さの中で北斎の通史を取り上げています。語られることの少ない北斎の人生をまるごと知ることができる、貴重な機会といえるでしょう。
また『HOKUSAI』には、北斎をとりまく重要な人々が登場します。例えば同時代の浮世絵師であり、美人画の大家である喜多川歌麿や、多くの絵師を育てた版元で、耕書堂の店主である蔦屋重三郎などですね。かつて北斎を刺激した人物がたくさん出てくることで、北斎という人間の理解が深まります。

映画『HOKUSAI』より 玉木宏さん演じる喜多川歌麿(C)2020 HOKUSAI MOVIE

映画『HOKUSAI』より 阿部寛さん演じる蔦屋重三郎と、柳楽優弥さん演じる北斎(C)2020 HOKUSAI MOVIE

――映画では、北斎を巡る人間関係が立体的に示されています。

安村:そうですね。またこの映画には、北斎に大きな影響を与える人物として、柳亭種彦も出てきます。柳亭種彦は武家の生まれながら戯作を書き、ヒット作『偐紫田舎源氏』を生み出した人です。北斎が挿絵を描いた本の作者だと、(滝沢)馬琴は比較的知られているのですが、柳亭種彦との関わりに着目するのは珍しい。よくぞ取り上げたなと思います。

映画『HOKUSAI』より 田中泯さん演じる北斎と、永山瑛太さん演じる柳亭種彦(C)2020 HOKUSAI MOVIE

青年期の苦悩の出奔、老年期の歓喜の舞……
絵師・北斎を体現するシーンがもりだくさん

――映画での注目のシーンを教えてください。

安村:まず若い頃、柳楽優弥さん演じる青年期の北斎が海に入るシーンが印象的でした。北斎が喜多川歌麿や東洲斎写楽と出会い、独自の様式をつくっている歌麿や写楽と自らを比較し、やりきれない思いで家から飛び出して、気づくと海辺にいる。そして水に体を浸すなどして、波の力を体感するんですね。その後追い求める「波」というテーマへの興味がよく表現されていました。
もう一つ印象的だったのは、北斎役が柳楽さんから田中泯さんに替わり、老年期の北斎がベロ藍に出会うところですね。ベロ藍は深く鮮やかな青色で、当時新しく出た顔料です。北斎がベロ藍を知って喜び、舞い踊る。ベロ藍によって北斎が新しい表現に向かうことが象徴されている、素晴らしいシーンだと思います。
ベロ藍で言えば、北斎の『冨嶽三十六景』の制作当時、藍一色の摺物も出されたようです。ただ藍の色味だけの絵は5種類しか確認できていないので、人気が出なかったのだと思います。幸い他の色を入れた絵は人気が出たので、『冨嶽三十六景』は、三十六景から10種類増えて四十六景あるのです。

――映画の北斎の生涯は、青年期と老年期に分かれています。北斎のそれぞれの時期で印象的な絵画を教えてください。

安村:青年期の作品では、宗理風美人が素晴らしい。例えばこの『二美人』は実に素晴らしいのですが、よく見ると、立っている女性の首が90度に曲がってしまっていて、これではまるで骨折美人です。それに座っている女性の方は、足がどこにあるのかわかりません。人体構造に沿って描かれていないのです。しかし北斎は、ありえない形をくっつけてありそうな絵にしてしまう。北斎マジックがよく分かる作品です。
晩年期の絵では『怒濤図』が印象的ですね。『怒濤図』は祭屋台の天上に描かれた二面の肉筆画で、現代ではそれぞれ『男浪』『女浪』と名づけられています。映画の中で北斎は、青木崇高さん演じる高井鴻山と師弟関係を結んでいますが、『怒濤図』は北斎の最晩年、鴻山のいる小布施を訪れた時の作品ですね。
高井鴻山は北斎のパトロンの一人で、商売をしながら学問を修め、絵も描いた文化人でした。鴻山の作品は水墨画、とくに『妖怪山水図』で知られていたのですが、近年では『怒濤図』の縁絵は北斎の下絵に鴻山が色を塗ったものだとされています。この縁絵も非常に面白く、色とりどりの花々や想像上の動物、羽根の生えた人物などの姿を見ることができます。

※宗理風美人…北斎が二代目俵屋宗理を襲名した頃に描いた美人画で、瓜実顔の女性が細身の姿で描かれているのが特徴。「宗理美人」とも呼ばれる。本インタビュー時に参照した『二美人』は、細面の柔和な女性が流麗な線で描かれており、北斎が40歳代半ばの享和年間に手掛けた作品とされる。

老年期作品のおすすめ、『怒濤図』。屋台の天井画で、画像左の『女浪』と右の『男浪』の二面からなる。縁絵の鮮やかな色味や奇抜なモチーフも見ごたえたっぷり。

世界を魅了する絵力
波に憑かれ、銀河の渦を描いた怒濤の絵師・北斎

――北斎は日本のみならず、世界的に評価されています。北斎の魅力とはどこにあるのでしょうか。

安村:まず北斎の絵は、画面構成力が素晴らしい。例えば『冨嶽三十六景』は、日本各地で富士山を巡る風景を描いた浮世絵版画のシリーズですが、映画にも登場する『神奈川沖浪裏』では、富士山は非常に小さく、波は大きい。荒波の奥にある小さな山という図なのですが、富士山という本来の主題を小さく扱うことで効果を出している、まさに構図の妙ですね。

映画『HOKUSAI』より 女性たちが手にしているのは『神奈川沖浪裏』(C)2020 HOKUSAI MOVIE

――波がすごい迫力で、こちらに迫ってくるようです。

安村:実際の神奈川沖にはこんな波はないので、いわば想像の波ですが、北斎の想像力と構想力にはリアリティがあります。絵を見た海外の方は、このような大波が日本にあるのか、サーフィンしたい、なんて思うかもしれない。今にも飛び出してくるような3Dの凄みがありますよね。実際の三次元の情景をそのまま写した写実性とはまた違う、際立った迫力と臨場感があります。
世界で評価されているという点で言えば、フランスの作曲家、ドビュッシーは交響詩『海』を作曲した際、楽譜の表紙に『神奈川沖浪裏』を使用しています。北斎の絵は、説明がなくても見れば分かるし伝わります。仮に相手が音楽家であれば、音が聞こえてしまうのです。言葉や言語を超越した表現の面白さがあるから世界中で愛されているのでしょう。

※クロード・ドビュッシー…フランスの作曲家で、印象主義音楽の創始者。ジャポニズム(日本趣味)がフランスの芸術に大きな影響を与えた時期において最も重要な日本美術の受容者ともされ、浮世絵や蒔絵などに強い関心を持っていた。またドビュッシーは自宅に『神奈川沖浪裏』を飾っており、当時の写真も残っている。

――さきほど映画の注目すべきシーンに青年期の海の場面を挙げられたように、映画の中でも波は繰り返し登場しました。北斎にとって、波は重要なモチーフであり続けたのですね。

安村:はい、北斎は生涯に渡って水や波の表現を突き詰めました。例えば北斎は、『神奈川沖浪裏』制作より前、オランダから入ってきた銅版画から洋風表現を学んでいます。江戸時代に洋風画へ興味を示した画家としては司馬江漢がいますが、北斎は司馬江漢の後に洋風表現を取り入れました。その頃北斎が描いた絵の波は丸みを帯びています。『おしおくりはとうつうせんのづ』なども大波が出てくるのですが、波がまろやかですよね。
また江戸時代には、読本という現代の小説にあたる本があったのですが、北斎は読本に挿絵を描いていて、小さい面積の中に密度の濃い波の表現が出てきます。そうやって波の表現を追い求め続けた成果が『神奈川沖浪裏』で結実するのです。

※司馬江漢…江戸時代の絵師で蘭学者。青年期には浮世絵師の鈴木春信の門下で学んだ。西洋絵画にも興味を示し、日本で初めて銅版画を制作したとされる。1747年生まれで1818年に亡くなっており、1760年生まれで1849年に亡くなったとされる北斎よりも少し前から活躍していた。

葛飾北斎『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』メトロポリタン美術館蔵

――さきほど、老年期の好きな作品として挙げていただいたのも『怒濤図』、波でした。

安村:『怒濤図』の中の波は、基本的に右に渦を巻いています。『女浪』の方は全て右向きです。ところが、『男浪』の方には一つだけ逆向きの波がある。渦が流れに逆らっているのです。また、渦巻きや波は通常見下ろす形になりますが、『怒濤図』は屋台の上にあり、見上げる形で鑑賞することになります。海底の渦巻きを仰ぎ見るうちに、波に囲まれて、自分が渦の中にくるくると巻き込まれるような気がしてくる。宇宙や異次元、タイムトンネルの穴のようでもありますよね。見る者を銀河の渦の中にぐっと引き込む、壮大な作品なのです。

HOKUSAIノートp.73より。左が『女浪』、右が『男浪』。

――『怒濤図』は、宇宙の星雲のようにも見えます。

安村:そう、北斎は宇宙の彼方を見ていたのではないかと思います。北斎若かりし頃は丸みを帯びて描かれていた波は、『神奈川沖浪裏』で迫力を帯び、『怒濤図』の宇宙の渦のような波に行き着く。『神奈川沖浪裏』が70代で、『怒濤図』が晩年、86歳前後の作品です。
北斎の寿命は90年と長いのですが、北斎はそもそも90年で死ぬつもりはなかった。もっともっと生きて、絵を極めたかったのです。100歳まで生きたら神のごとき真実に達すると、自ら言っていますからね。北斎が更に進化したらどうなったのか。10年、20年先の波の姿を是非とも見たかったですね。

北斎の波表現の壮大さを語る安村館長。北斎館の『怒濤図』は屋台の天井絵で、見上げると宇宙を感じるという。

新しい表現に挑戦し続けた北斎
共感と感動を生む映画

――最後に、映画を鑑賞する人にメッセージをお願いします。

安村:映画『HOKUSAI』には、北斎の人生そのものが詰まっています。柳楽さん演じる青年期の北斎が、他の絵師に嫉妬して行き詰まるところや、なかなか認められず必死に努力する姿に若い方は共感するでしょう。また、田中さんによる老年期の北斎が、晩年に至って貪欲に新しい表現に向かう姿は、多くの方の刺激になると思います。
この映画は、北斎の90年という生涯を、青年期と老年期に分けて絞り込み、それぞれの時期の苦悩を浮き彫りにしています。そこに立ち向かう北斎のたくましさには感じ入りますし、ラストはとりわけ印象深くて感動を呼びます。是非ご覧いただきたい作品ですね。

映画『HOKUSAI』より 柳楽優弥さん演じる北斎(C)2020 HOKUSAI MOVIE

映画『HOKUSAI』より 田中泯さん演じる北斎(C)2020 HOKUSAI MOVIE

5月28日(金)劇場公開! 映画『HOKUSAI』

『HOKUSAI』5月28日(金)全国ロードショー(C)2020 HOKUSAI MOVIE

工芸、彫刻、音楽、建築、ファッション、デザインなどあらゆるジャンルで世界に影響を与え続ける葛飾北斎。しかし、若き日の北斎に関する資料はほとんど残されておらず、その人生は謎が多くあります。

映画『HOKUSAI』は、歴史的資料を徹底的に調べ、残された事実を繋ぎ合わせて生まれたオリジナル・ストーリー。北斎の若き日を柳楽優弥、老年期を田中泯がダブル主演で体現、超豪華キャストが集結しました。今までほとんど語られる事のなかった青年時代を含む、北斎の怒涛の人生を描き切ります。

画狂人生の挫折と栄光。幼き日から90歳で命燃え尽きるまで、絵を描き続けた彼を突き動かしていたものとは? 信念を貫き通したある絵師の人生が、170年の時を経て、いま初めて描かれます。

公開日: 2021年5月28日(金)
出 演: 柳楽優弥 田中泯 玉木宏 瀧本美織 津田寛治 青木崇高 辻本祐樹 浦上晟周 芋生悠 河原れん 城桧吏 永山瑛太 / 阿部寛
監 督 :橋本一 企画・脚本 : 河原れん
配 給 :S・D・P ©2020 HOKUSAI MOVIE

公式サイト: https://www.hokusai2020.com

書いた人

哲学科出身の美術・ITライター兼エンジニア。大島渚やデヴィッド・リンチ、埴谷雄高や飛浩隆、サミュエル・R.ディレイニーなどを愛好。アートは日本画や茶道の他、現代アートや写真、建築などが好き。好きなものに傾向がなくてもいいよねと思う今日この頃、休日は古書店か図書館か美術館か映画館にいます。