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2017.11.06

国宝 東寺 立体曼荼羅とは?名物 三日月宗近とは?

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日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。2017年は「国宝」という言葉が誕生してから120年。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

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各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は迫力の国宝がずらり、「東寺 立体曼荼羅」と美しき神秘の名刀、「名物 三日月宗近」です。

迫力の国宝がずらり 「東寺 立体曼荼羅」

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のちに弘法大師として自身も信仰の対象となった真言宗の開祖・空海は、延暦23年(804)、31歳で唐の都・長安に留学しました。中国密教の最高位にあった恵果のもとで学び、わずか2年で密教の奥義のすべてを伝授され、膨大な経典や法具などを携えて帰朝。その空海の庇護者となったのが嵯峨天皇でした。

当時、平安京は大きな政変に見舞われ、怨霊の跋扈さえ信じられ、天皇は、空海が唐から持ち帰った最先端の密教に鎮護国家を託したのです。

弘仁14年(823)、官寺であった京都・東寺(教王護国寺)を嵯峨天皇より賜った空海は、真言密教の根本道場とするべく講堂の造営に着手します。

空海は、仏の教えを言葉で説くそれまでの仏教を「顕教」と呼び、それに対して「密教」は隠された深い真実なので、言葉では説明できず、図形や画像によってしか伝えられないとしました。

密教の根本経典が中国で図像化されたものが、胎蔵界と金剛界からなる両界曼荼羅図です。「曼荼羅」とは、密教修法の本尊として描かれる諸尊が集合した図をいいます。

空海は、この2次元の曼荼羅図像をさらに発展させ、東寺の講堂を密教の教えが3次元的に体感できる施設にしようと構想しました。それが金剛界曼荼羅や仁王経曼荼羅を基本に、21体の仏像を配置した立体曼荼羅なのです。

横長の巨大な基壇の中央に、森羅万象そのものである根本仏・大日如来を中心とする5体の如来像(大日・宝生・阿弥陀・不空成就・阿閦)、東西に五大菩薩像(金剛波羅蜜多・金剛宝・金剛法・金剛業・金剛薩埵)、東西の端に梵天・帝釈天像と五大明王像(不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉)、四隅には四天王像が配置されています。

21体の仏像のうち、今も空海創建当時の姿をとどめる15体は国宝で、いずれも平安時代前期の密教彫刻の最高傑作です。

講堂内の諸仏の開眼供養が営まれたのは承和6年(839)。空海はそれを見ることなく、承和2年に入定しました。

国宝プロフィール

東寺 立体曼荼羅

国宝16体:承和6年(839) 木造 彩色 東寺 京都(東寺立体曼荼羅の写真はすべて便利堂)

平安時代前期に空海が安置した講堂の仏像群。中央の五智如来とその東西の五大菩薩・五大明王のほか、梵天・帝釈天と四天王の計21体からなり、全体で密教の曼荼羅を表現している。うち16体が国宝に指定。他の5体は室町時代と江戸時代の後補で、重要文化財に指定されている。

東寺

美しき神秘の名刀 「名物 三日月宗近」

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日本刀は、長さや身幅、反りなどを総合した形状、すなわち姿によって、作られた時代がわかります。初期の形態はまっすぐな直刀でしたが、平安時代中期以降、武家が勢力をもちはじめると、より実戦的な形態となり、切れ味のよい、反りのある太刀へと移行しました。太刀は、刃を下向きにして、つり下げるように腰につけます。

平安後期から鎌倉時代にかけて、各地に太刀を作る刀工が輩出します。多くの流派が技を競い合い、武器でありながら鑑賞の対象ともなっていきました。

室町時代から、刃を上向きにして腰に差す刀(打刀)が主流となっていきます。戦闘が集団による近接戦になったため、より扱いやすい形状に変わっていったのです。長さも太刀よりやや短くなりました。平安から室町時代を古刀時代、桃山から江戸中期までを新刀時代、それ以降、明治初期までを新々刀時代と呼んで区分しています。

日本刀は、鉄を熱して鎚で打ち、延ばしては折り返す作業をいくども行なって鍛錬します。こうしてできた硬い皮鉄で、軟らかい心鉄をくるみ、刀剣の形に打ち延ばします。そして、焼刃土と呼ばれる粘土を刀身に塗り、加熱したあと、急速に冷やす焼入れを行ないます。こうした過程で刀身に現れる木目のような地肌の模様や、さまざまな刃文、形状などが、鑑賞のポイントになるのです。地肌には流派の特徴が見られ、刃文には刀工の技量や個性が発揮されます。

「三日月宗近」は、平安中期の一条天皇(在位986~1011年)のころ、京都三条に住んだと伝わる刀工・三条宗近によって作られた太刀です。宗近は三条小鍛冶の名で知られますが、製鉄に従事する大鍛冶に対して、鉄で道具を作る職人を小鍛冶といいました。「三条」の銘をもつ「名物 三日月宗近」は、古雅で優美な姿をもち、刃文に三日月形の模様が多数見られることから、この名が付いています。

豊臣秀吉の正室・高台院が所持し、のちに将軍家の所蔵となった由緒をもちます。室町時代から名刀とうたわれた「天下五剣」、その中でももっとも美しいとされる名刀中の名刀が、「名物 三日月宗近」なのです。

国宝プロフィール

名物 三日月宗近

平安時代(10~12世紀) 1口 刃長80.0cm 反り2.7cm 東京国立博物館

「三条」という銘をもつ平安時代の太刀。京都で活動した初期日本刀の名工である三条宗近の代表作。刃文に三日月の形が現れることから、「三日月宗近」という号が付けられている。糸巻太刀拵鞘が付属する。徳川将軍家に伝来した。Images:TNM Image Archives

東京国立博物館