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2018.06.19

羽黒山 五重塔・聚光院 花鳥図襖〜ニッポンの国宝100 FILE 73,74〜

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日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

羽黒山 五重塔

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、修験の森の名建築「羽黒山 五重塔」と、狩野永徳の水墨の最高傑作「聚光院 花鳥図襖」です。

神の森に建つ「羽黒山 五重塔」

羽黒山 五重塔

山形県のほぼ中央に連なる月山と湯殿山。この一帯は起伏に富んだ複雑な地形で、冬には日本海から吹きつける風によって豪雪地帯となります。夏でも雪が残る厳しい自然とその山容から、月山と湯殿山は古くから人々に畏怖され、崇拝の対象とされてきました。その二峰の玄関口ともいうべき羽黒山を合わせ「出羽三山」と称します。

太古からの山岳信仰に密教や道教が徐々に結びつき、神仏を一体と捉える日本独自の修験道が平安時代に成立します。修験道は特定の経典によらず、厳しい山中に分け入って自然と同化することによって、現世の肉体のままで仏になる「即身成仏」を目指しました。

室町時代中ごろになると、出羽三山は、紀伊半島の金峯山や熊野と並ぶ修験道の霊場として栄えるようになります。なかでも里にもっとも近い羽黒山は、出羽三山の表玄関として栄えました。羽黒山の表門となる随神門から山頂に向かう参道左手の杉木立の中に佇むのが、東北最古の搭であり、東北で唯一の国宝の搭でもある羽黒山五重塔です。羽黒山が繁栄した鎌倉時代末以降、南北朝時代に建てられたと考えられています。
 

修験道の聖地だった羽黒山の山内には、多くの寺坊が建立されました。五重塔も数ある寺院のひとつ、瀧水寺に属していました。しかし、明治維新に伴う神仏分離令により、明治3年(1870)、羽黒山から仏教色が一掃されます。幸い破壊をまぬかれた五重塔は、出羽三山神社の所有となりました。
 
現在見られる塔は、南北朝時代の応安年間(1368~75)から永和年間(1375~79)に再建されたと考えられています。樹齢数百年の老杉に囲まれて建つ高さ約29メートルの均整のとれたその姿は、優美さと厳粛さが共存する独特の雰囲気を放っています。薄い板を葺き重ねる杮葺の屋根に、飾り気のない伝統的な純和様で建立された中世五重塔の代表例です。都から遠く離れた地にありながら、洗練された様式と高度な手法を用いて建てられた羽黒山五重塔は、この奥羽の地が中央と深いつながりをもっていたことを伝えています。

国宝プロフィール

羽黒山 五重塔

応安~永和年間(1368~79)三間五重塔婆 杮葺 1基 出羽三山神社 山形

古くから霊山として信仰を集めた羽黒山の山中に建つ五重塔で、平将門により承平年間(931~938)に創建との伝承がある。現在の塔は再建されたもので、初層に縁が設けられ、各層とも柱間は3間。たびたび改修されているが塔全体は純和様の姿をとどめ、高い技術による端正な美しさを伝えている。

出羽三山神社

狩野永徳のダイナミズム「聚光院 花鳥図襖」

羽黒山 五重塔

大地を鷲づかみにして生える梅の巨木。満開の花をつけた枝は、まるで巨大な動物が身をよじるかのように力強く、描き込まれた禽鳥たちは、待ちわびた春の訪れを謳歌するかのように生き生きと描かれています。
 
金泥の霞が春の晴れやかな光を演出し、水墨画でありながら、華麗な印象を残す襖絵「花鳥図」。本作は、永禄9年(1566)、戦国大名・三好長慶の菩提を弔うために創建された大徳寺の塔頭・聚光院の方丈(客殿)を飾る障壁画です。
 
三好長慶は全盛期には畿内をほぼ制圧し、来日した宣教師が「日本の副王」と呼んだほどの有力大名で、いわば天下人に近い存在だったといえます。

そしてこの障壁画は、織田信長や豊臣秀吉といった天下人に重用された桃山時代の天才絵師・狩野永徳によって描かれました。永徳は安土城や聚楽第、大坂城の障壁画など次々と大仕事を手がけましたが、いずれも戦乱で失われてしまいました。聚光院の障壁画は、当時のままのかたちで鑑賞できる永徳の貴重な作品群です。

障壁画は、室内空間を装飾するため襖や壁に描かれる室内画の総称。聚光院の方丈内の4室には、狩野松栄・永徳父子の手による46面もの水墨障壁画が描かれました。そして方丈のうち法要などが営まれるもっとも重要な部屋「室中」に息子の永徳が描いたのが、16面からなる「花鳥図」です。

「室中」の「花鳥図」は、部屋の東、北、西の3面を囲み、コの字形に配置されています。なかでも東側に描かれた、巨木の梅の枝下を、雪解け水が流れる春の光景は本障壁画の白眉です。永徳は、金泥の霞が表す柔らかな春の陽射しのなか、梅花が咲き誇る春の景を、迫力ある筆遣いと繊細な表現力で見事に表現しました。北は、松の枝の下に鶴や鶺鴒が描かれた夏景色。そして西には、蘆の穂のかたわらに頸を長く伸ばす雁を配した秋景色が表されています。

「室中」の3方16面にわたって季節の移ろいを描出したこの一大パノラマは、水墨画の領域における永徳芸術の頂点に位置づけられる名品であることに、疑いの余地はありません。

国宝プロフィール

狩野永徳 花鳥図襖

紙本墨画 16世紀 16面 各175.5×74.0~142.5cm 聚光院 京都

永禄9年(1566)の開創と伝えられる聚光院の方丈を飾った襖絵。狩野永徳による水墨画で、力強い筆さばきで、梅の大樹をはじめとした花鳥が生き生きと描かれる。永徳の水墨画の頂点をなす作品。現在、本作は京都国立博物館に寄託され、聚光院方丈には高精細デジタル画像による複製が飾られている。

聚光院 京都市北区紫野大徳寺町58