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2018.06.26

辟邪絵・色絵雉香炉〜ニッポンの国宝100 FILE 75,76〜

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日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

色絵雉香炉

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、悪鬼を退治する善神「辟邪絵」と、仁清の最高傑作「色絵雉香炉」です。

キョーレツな善神「辟邪絵」

色絵雉香炉

平安時代後期の12世紀に描かれた「辟邪絵」は、人に害をなすさまざまな悪鬼を成敗する「辟邪神」と呼ばれる5種の善神を描いた絵画です。悪鬼祓いの辟邪神への信仰は、中国・唐代の末期に成立し、平安時代の日本に伝わってきました。

「辟邪絵」は、戦後に切断されて、現在は天刑星・栴檀乾闥婆・神虫・鍾馗・毘沙門天の5幅の掛幅となっていますが、もとは1巻の絵巻でした。僧侶が落ちる地獄を描いた絵巻の「沙門地獄草紙」1巻(現在は7場面が断簡として奈良国立博物館(重文)ほかに分蔵)とセットで伝来し、明治から昭和初期に活躍した実業家で茶人の益田孝(鈍翁)の所蔵品でした。
 

江戸時代には、これらの2巻が「地獄絵詞二巻」と呼ばれており、もとは地獄などの六道を描く六道絵巻の一部だったと考えられています。六道とは、死後に人が生まれ変わると信じられた、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の6つの世界。この六道それぞれの恐ろしさを描いたのが六道絵で、平安時代後期の後白河法皇の時代に制作された「地獄草紙」「餓鬼草紙」「病草紙」(いずれも国宝)などの絵巻が六道絵の代表作です。「辟邪絵」も、後白河法皇が制作に関与したこれら一連の六道絵巻のひとつであったと推定されています。

「辟邪絵」5幅のうち、「天刑星」は陰陽道の鬼神で、牛頭天王と疫鬼を捕まえ酢に漬けて食べる光景が描かれています。「栴檀乾闥婆」は胎児や幼児の守護神で、赤子や子どもに害をなす鬼を大きな戟で串刺しにしています。「神虫」は、巨大な蚕が鬼を捕まえて貪り食う場面。「鍾馗」は中国で魔を除く神として信仰され、新年になると鍾馗を描いた紙を家の戸口に貼り付け魔除けとしました。「毘沙門天」は「法華経」の信者を悪鬼から護る神として表され、若い僧を護るため鬼を弓矢で退治する場面が描かれています。

いずれも凄惨な場面ながら、朱・緑青を主体にした色彩は鮮烈で美しく、張りのある描線による生き生きとした描写が見どころです。異色の題材を描いた南都(奈良)系の仏画の名品として高い評価を受けています。

国宝プロフィール

辟邪絵

12世紀 紙本着色 5幅 天刑星/26.0×39.2cm 栴檀乾闥婆/25.8×77.2cm 神虫/25.8×70.0cm 鍾馗/25.9×45.2cm 毘沙門天/25.8×76.5cm 奈良国立博物館 写真/奈良国立博物館(撮影/佐々木香輔)

邪悪な鬼を懲らしめて退散させる5種の辟邪神を描いた絵画。辟邪神は中国の習俗に由来する善神で、日本では仏教の六道信仰と結びついて、六道絵の一種として描かれたと推定される。

奈良国立博物館

仁清の最高傑作「色絵雉香炉」

色絵雉香炉

羽をたたみ、尾をぴんと水平に伸ばした姿勢で静止する雉。「色絵雉香炉」は一見、彫刻のように見えますが、香を薫くための陶製香炉です。腹部で蓋と身(本体)に分かれ、背には煙出しの4つの孔。蓋の内側と身の底に「仁清」の印が押されます。雄の雉の羽模様が、赤・緑・青・黒・金の色絵で表されています。色絵とは、釉薬を掛けて焼いた器に色絵具で文様や絵を描き(これを上絵付という)、再び焼き上げる技法です。

制作したのは野々村仁清(生没年不詳)。17世紀後半の京都で活動した陶工です。京都では、桃山時代に起こった茶の湯のブームとともに、茶陶(茶道具の陶器)の窯が次々と築かれました。瀬戸(愛知)や美濃(岐阜)などの作陶技術を取り入れつつ、京風に洗練されたやきものは、「京焼」と呼ばれるようになります。

そのなかで仁清は、正保4年(1647)頃、洛西の御室にある仁和寺の門前に窯を築き、仁和寺と俗名の清右衛門から1字ずつをとって「仁清」と号しました。仁清のこの窯は、地名にちなんで「御室焼」と呼ばれるようになります。雅な茶風で「姫宗和」と呼ばれた茶人・金森宗和の指導を受けた御室焼は、早くから貴族や大名の高い評価を得ました。徳川将軍家に御室焼の香炉が献上されたり、仁清と思われる人物が仁和寺において、関白・二条光平や後水尾院に作陶を披露した記録も残っています。

仁清は京焼の大成者といわれます。その陶器の特徴は、轆轤の名手と称えられた巧みな技で端正に成形された造形と、色絵による華麗な色彩にあります。鳥獣や魚介などをかたどった彫塑的な色絵陶器は、仁清が創り出した斬新なやきもので、後世の京焼に多大な影響を与えました。「色絵雉香炉」は、「色絵藤花文茶壺」(32ページ)とともに仁清の最高傑作とされ、この2点は江戸時代の和物陶器では数少ない国宝に指定されています。

加賀藩主・前田家の旧蔵で、現在の所蔵先の石川県立美術館では、個人から寄贈された「色絵雌雉香炉」(重文)とともに展示されています。なお、2点が対の作品として制作されたかどうかは不明です。

国宝プロフィール

野々村仁清 色絵雉香炉

17世紀後半 1合 幅48.3×奥行12.5×高18.1cm 石川県立美術館

江戸時代17世紀後半の京都で活躍した陶工・野々村仁清が制作した雉形の香炉。胴体下部で2つに分かれ、上部に煙出し孔が4つ穿たれている。緑・青・赤・黒と金で彩った色絵が鮮やかな仁清作品の最高峰。なお、所蔵館では重要文化財の仁清「色絵雌雉香炉」とともに展示している。

石川県立美術館