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2018.07.24

東大寺 不空羂索観音・観音猿鶴図〜ニッポンの国宝100 FILE 83,84〜

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日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

不空羂索観音

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、究極の天平仏「東大寺 不空羂索観音」と、牧谿の最高傑作「観音猿鶴図」です。

ザ・天平仏「東大寺 不空羂索観音」

不空羂索観音

不空羂索観音は、東大寺大仏殿の東に建つ法華堂(三月堂)の本尊です。観音は、悟りを求めて修行に励む菩薩の一種で、人々の苦悩を取り除いて救済するために、さまざまに変身して現れます。これを「変化観音」といい、不空羂索観音はこの変化観音のひとつです。人々の願いを空しくすることなく(不空)、漏れなく救済するために、投げ縄状の羂索を手に持つことから、この名があります。

不空羂索観音像は、奈良時代から平安時代初期にかけて、さかんに造像されました。その像容は、「不空羂索神変真言経」などにさまざまに記されていますが、法華堂の像は、額に第3の目を縦に刻み、8本の腕をもつ一面三目八臂の姿です。像高約3.6メートルの巨像で、高価な漆をふんだんに用いるうえ、製作にきわめて手間のかかる脱活乾漆造という技法で造られています。

また、頭上の宝冠には、鍍金した銀製の枠型に、翡翠・真珠・水晶・琥珀・瑠璃玉など、総数2万数千個の宝玉が豪奢にちりばめられており、宝冠単体でも美術工芸品として第一級。本像は不空羂索観音像の最初期の作ですが、このような巨大な像高や技法の完成度からも、聖武天皇や光明皇后周辺の官営工房で製作されたことが確実視されています。贅美を尽くした天平仏の頂点であり、不空羂索観音像の最高傑作といわれています。

本像が安置される法華堂は、東大寺に盧舎那仏(大仏)が造立される以前、つまり、東大寺の創建以前からあった仏堂で、古くは羂索堂(院)と呼ばれていました。平安時代後期に編纂された寺の記録「東大寺要録」には、羂索院は天平5年(733)、のちに東大寺初代別当(長官)となる良弁僧正が建立し、金鍾寺と号したと記されています。本像がいつ製作されたかは結論が出ていないものの、天平5年から19年頃までの造像と考えられています。

法華堂の内陣には、本尊の不空羂索観音像を取り囲んで、脱活乾漆造の梵天・帝釈天像や四天王像などが立ち並んでおり、天平仏の宝庫として、その名をとどろかせています。

国宝プロフィール

東大寺 不空羂索観音

脱活乾漆造 漆箔 8世紀 像高362.1cm 宝冠:銀製鍍金 総高88.2cm 東大寺 奈良

古くは「羂索堂」と呼ばれ、東大寺の盧舎那仏(大仏)造立以前に創建された古い歴史をもつ法華堂(三月堂)の本尊。像高約3.6メートルの巨像で、天平時代の脱活乾漆像の傑作。3つの目と8本の腕をもつ三目八臂の姿で、宝玉をあしらった豪華な宝冠を戴く。

東大寺

足利将軍の名宝「観音猿鶴図」

観音猿鶴図

京都・大徳寺に伝来する「観音猿鶴図」は、中央に白衣を身に着けて岩上に坐す観音、その左右に、嘴を開いて鳴く1羽の鶴と、松の上の親子猿を描いた3幅の絵が一作品となった三幅対の水墨画です。作者は牧谿(生没年不詳)。中国・蜀(四川省)の生まれで、宋末元初に活動した臨済宗の画僧です。禅の師は、日本からの多くの留学僧も学んだ高僧の無準師範。牧谿は、杭州(浙江省)にある西湖湖畔の六通寺を復興して住持し、生涯を浙江地方で過ごしました。南宋末の宰相・賈似道を批判して、越(紹興)に逃れた逸話が伝わっています。人物、山水、花鳥など多彩なジャンルを描いた宋代を代表する画家で、とくに日本では中国画家の最高峰として高い評価を得てきました。

平安時代末期以降、日本では中国からもたらされた舶来品が「唐物」と呼ばれて珍重されます。室町幕府3代将軍足利義満や6代義教らが収集した唐物のコレクションは、それを継承した8代義政の東山山荘にちなみ、「東山御物」と呼ばれています。牧谿の代表作「観音猿鶴図」は、義満の収集品として東山御物に含まれます。当時、「東洋一の名画」と称賛され、日本の絵師の画の手本となって、多くの模倣作が描かれました。

牧谿の師である無準師範の「観音大士讃」(観音を讃える漢詩)によれば、山や樹上で鳴く猿と鶴の取り合わせは、煩悩から解脱した静かな境地の「寂静」を表しているとされます。また、観音は安産の守り神ともされる母性の象徴であり、子を呼んで鳴く母鶴と、子猿を抱きかかえる母猿とともに、3幅は母子の情愛をテーマにしているという解釈もあります。

「観音猿鶴図」で牧谿は、中国の五代や北宋代に描かれたさまざまな古画の形式や表現を取り入れつつ、柔らかな描線によって対象を的確に捉えています。また、湿潤な大気の動きや光の明暗を、墨の濃淡やぼかしで巧みに表現する牧谿画の特色が遺憾なく発揮された作品です。このような牧谿の画風は、「和尚様」と呼ばれ、桃山時代の絵師・長谷川等伯など、後世の日本の絵師たちに多大な影響を与えました。

国宝プロフィール

観音猿鶴図 牧谿

絹本墨画淡彩 中国・南宋時代(13世紀) 3幅 猿図/173.3×99.3cm 観音図/172.2×97.6cm 鶴図/173.3×99.3cm 大徳寺 京都

中国の宋末元初(13世紀後半)の画僧・牧谿の代表作。中幅に観音菩薩坐像、左右に鶴図と親子の猿図を配する三幅対の掛軸。室町幕府3代将軍足利義満が収集した中国絵画で、日本できわめて高い評価を受けてきた。

大徳寺