京都の嵯峨嵐山文華館と福田美術館の2館で共同企画の展覧会「芭蕉と蕪村と若冲」が始まりました。とはいえ、江戸時代の魅力的な3人が実際にどう関係があるのか。ちょっと不思議に思いながら、つあおとまいこの2人は会場を訪れました。松尾芭蕉と与謝蕪村はもちろん江戸時代の俳人です。蕪村と伊藤若冲は同じ1716年に生まれた絵師であることが知られています。では、芭蕉と若冲の関係は? 芭蕉が描いた『野ざらし紀行図巻』という巻物が約50年ぶりに再発見されてこのほど初公開になり、何と芭蕉自身がそこに絵を描いていたというのです。これはもう、胸をときめかせて見るしかありません!
えっ? つあおとまいこって誰だって? 美術記者歴◯△年のつあおこと小川敦生がぶっ飛び系アートラバーで美術家の応援に熱心なまいここと菊池麻衣子と美術作品を見ながら話しているうちに悦楽のゆるふわトークに目覚め、「浮世離れマスターズ」を結成。さて今日はどんなトークが展開するのでしょうか。
『野ざらし紀行図巻』はまるで絵日記のよう
つあお:さて、今日の注目の画家は、松尾芭蕉です!
まいこ:俳人の芭蕉さんが、俳句を詠むだけじゃなくて絵も描いてたというのは驚きですね!
つあお:そうなんですよ! しかも、その絵を見て、絵を描くのがひょっとしたらけっこう好きだったんじゃないかと思ってしまいました。
まいこ:というと?
つあお:福田美術館でまいこさんと一緒に見た芭蕉作の『野ざらし紀行図巻』。あれは、絵巻物でしたもんね! 絵日記のような旅行記。随所に文章や俳句が入っているので、やはり芭蕉ならではの作品だった。
まいこ:文章も絵もすごく味わい深かったですね!
つあお:『野ざらし紀行図巻』には天理大学附属天理図書館の所蔵のものもあるんだけど、そちらは字ばかりなのだそうです。
まいこ:絵好きな芭蕉の一面が見られるなんて、素晴らしい。どんな旅の物語が展開するのでしょうか?
つあお:どうも、芭蕉は江戸から生まれ故郷の伊賀上野(現在の三重県)に旅をしてまた江戸に戻ってくるまでの様子を描いたようです。
まいこ:すごい長旅ですね! 芭蕉さんは健脚でも有名ですものね。
つあお:そうそう。有名な『おくの細道』では、東北地方や北陸地方にも出かけてますし。改めて、旅人だったんだなぁと思います。
まいこ:『野ざらし紀行図巻』の旅は、『おくの細道』より先なんですよね?
つあお:『野ざらし紀行図巻』の旅が1684年出発、『おくのほそ道』の旅が1689年出発だから、『野ざらし紀行図巻』のほうが先ですね。
まいこ:旅人な人生!
つあお:『おくのほそ道』の後にもまた故郷方面に旅をしている。
まいこ:すごい!
つあお:それでね、この『野ざらし紀行図巻』を見てると、何だか字よりも絵の面積のほうが多いように感じるんですよ。
まいこ:そうですよね。やはり、絵と俳句両方で表現するのが好きだったのかも。
つあお:そう思います。なのに、今の時代においては、芭蕉は絵のほうではそれほど知られていない。きっと理由があるんだと思うんです。
まいこ:どんな理由なのでしょう?
つあお:それはね、下手だったからじゃないかと思うんです。
まいこ:えー! 衝撃!
つあお:このたび、『野ざらし紀行図巻』を見て、何だかこの下手さに「ラクガキスト」を自称しているたわくし(=「私」を意味するつあお語)としては、逆にすごく共感しました。
まいこ:仲間意識?!
つあお:もう同じ世界に生きている感じです。
まいこ:一緒に旅してたらどんなふうになってたのでしょうね?
つあお:ははは。でもやっぱり、『野ざらし紀行図巻』を見ていると、俳句を読みながら絵もすごく描きたかったんだなぁという気持ちが、ひしひしと伝わってきます。 下手というのは言い過ぎかもしれませんが、絵を描くのは気持ちが大切で、絵の上手下手なんて二の次でいいと思うんですよ!
捨て子に食べ物を与えた芭蕉
まいこ:確かに、すごく気持ちが表れていて、しみじみしますね。この捨て子の場面とか!
つあお:この場面はなかなか印象的ですよね。芭蕉の絵には、ほとんど人のモチーフがないんだけど、ここにはすごく小さく2人の人物が描かれている。
まいこ:もしかしてこの手前にいるちっちゃなのが捨て子なんでしょうか?
つあお:紀行文によると、3歳の「赤子」とのことなので、なかなか断定は難しいのですが、ひょっとしたらそうかも。ただ芭蕉は、捨て子のことをかわいそうに思いながら、そのまま見捨てちゃったそうですね。
まいこ:かわいそすぎー! 捨て子を救うより、俳人としての使命に燃えていたのでしょうか?
つあお:まぁ、旅人だったから、助けようがなかったのでしょう。
まいこ:この時に詠んだ俳句のほうは、どんな感じなのでしょうか?
つあお:「猿を聞 人捨子に秋の 風いかに(さるをきく ひとすてごにあきの かぜいかに)」とあります。
まいこ:どんな意味なのですか?
つあお:「猿の声に哀れを感じた詩人たちよ、秋風の中に響くこの赤子の声をどう受け止めますか」という意味だそうです。秋風が吹いて猿の声が聞こえるような寂しさが募る環境の中に捨て子がいたのでしょうね。
まいこ:でも、ちょっとだけ食べ物を置いていったようですね。
つあお:多分、その時にできる限りの思いやりを見せたのでしょう。
まいこ:この絵では、もうすでに芭蕉は川を隔てた遠くにいますね。
つあお:2人を隔てた川が、別れを象徴してるのかもしれません。やはりすごく味わい深い描写だと感じられます。芭蕉の絵は素晴らしいオーラを発していると思いますよ。
まいこ:そうですね!
芭蕉の心の中には常に音楽があった?!
つあお:川がある風景といえば、吉野から伊賀上野の辺りの情景を描いたと思われる描写もとてもいい。たわくしのお気に入りの場面です。
まいこ:右下のところでは、女の人が桶で洗濯してるみたいですね。
つあお:人物の描き方が素朴で、川を隔てた反対側に描かれた鳥居とか家とかが稚拙な感じもするんだけど、逆にそれが素晴らしい味わいになっている。何だか、ほのぼのしてるんですよ!
まいこ:わかります。あの少し向こうのほうにある家の壁に3つ円が描かれてるんですけど、何なのでしょうね。
つあお:窓ですかね。こんな家があったら、結構面白いかも。
まいこ:漫画の世界に住んでいるような気分になりますね。
つあお:そう、見ている人が旅をしている気分になれるっていうのは、最高の紀行メディアだと思います。
まいこ: 今回『野ざらし紀行図巻』を見て印象的だったことがあります。音や声を織り込んだり想像させたりする俳句が多かったことです。なのに、絵の中にその音源は特に描かれていませんでした。
つあお:確かに! 出身の伊賀上野に帰郷したときに詠んだ「わた弓や 琵琶になぐさむ 竹のおく」という句なんか、そうですね。
まいこ:ね、そうでしょ!
つあお:綿を整える道具である「綿弓」という道具に張られている弦(つる)をはじくと、まるで琵琶のような音がしてなぐさめられるといったことが詠まれている。なのに、描かれているのは家と樹木のみで、綿弓の姿はない。
綿弓(わたゆみ)=繰り綿を打って不純物を除き、やわらかにして打ち綿にする道具。竹を曲げて弓形にし、弦は古くは牛の筋を用いたが、後、鯨の筋を用いる。弦をはじいて綿を打つ。わたうちゆみ。唐弓(とうゆみ)。《季・秋》(出典=「精選版日本国語大辞典」)
まいこ:きっと、家の中で綿弓がはじかれて、その音に感じ入っているんでしょうね!
つあお:芭蕉の心の中には常に音楽があったのかもしれない! だから、本当は楽器じゃないはずの綿弓から出る音が、楽器の音のように聞こえたんでしょう。
まいこ:馬を引く人が登場する場面も印象的ですね。
つあお:周りの山はボワっと描かれているんだけど、人と馬は、略筆ながら、すごくはっきりした線で描かれていて、しかもかわいい。
まいこ:「かわいい」っていうのは、すごく重要ですよね。
つあお:そういうところに、結構面白みが出ますね!
まいこ:本当に! この馬さんは歩くのが嫌そう。
つあお:芭蕉が無理矢理引っ張っている感じだなぁ。芭蕉はここで存在感を主張しているのかもしれませんね。モチーフはこんなに小さいのに。
まいこ:馬より健脚の芭蕉、ここにあり、ですね!
寿老人を探してみた
つあお:老人がすごくたくさんいるこの絵を描いた与謝蕪村は、芭蕉に強い憧れを持っていたんだそうですよ。そもそも芭蕉は俳諧の巨人で、死後ブームが来たのだとか。蕪村は芭蕉よりも1世紀くらい後の人なんですよね。
まいこ:そうなんですね! 芭蕉が好きだったから俳句と絵と両方やろうと思ったのでしょうか?
つあお:それはどうなんだろうなぁ? もともと俳句と絵の世界は近いと思うんです。どちらも情景描写に味わいがあるので。「俳画」という言葉もある。
まいこ:あっ、「俳画」というジャンルを蕪村が確立したとありますね!
つあお:それでね、俳句は字数がめちゃくちゃ少ないのに情景描写の表現力がすごく豊かだっていうことに改めて気づいて、天性の画才を持ち合わせていた蕪村は、絵でもいろんな表現をしようと思ったんじゃないかな。想像ですけど。
まいこ:つあおさん的には、蕪村さんの絵は下手ではないのでしょうか?
つあお:蕪村はもう、めちゃくちゃうまいですよ!
まいこ:わーお! そうだったんですね!
つあお:この絵については、展示した福田美術館は「寿老人を探せ」っていうキャッチコピーをつけてました。そして、本当に探せるくらい細密に、各人物を描いてますね。 芭蕉が描いた人物の略筆とは真逆です。
まいこ:確かに! うまいからできることですね。私は、寿老人をすぐ見つけちゃいましたよ!
つあお:ハハ。これはすぐ見つかりますね。画面左上に頭が妙に長い人がいますもんね。でも、探すために一人一人の顔を見始めると、結構いろんな表情があって楽しめました。そもそもおじいさんたちが山にこんなにいるなんて、ありえないけどね(笑)。
まいこ:そうですね! 寿老人以外は、皆さん結構似てます。
つあお:鶴が真ん中あたりに1羽いるのがなかなか印象的です。
まいこ:そうそう、これだけ老人たちがいっぱいいる中に、何だか新鮮!
つあお:少し右上には鹿もいる。ひょっとしたらこれは、ただの老人たちじゃなくて、仙人が集まってるのかもしれないな。
まいこ:人も動物も平和に楽しく暮らしている様子が伺えて、ハッピーな気持ちになりました。
つあお:そう考えると、やっぱりここは桃源郷なんだな、きっと。
まいこ:生えてる樹木は桃じゃなくて松ですけどね(笑)。
つあお:松もまたおめでたい樹木だし。でも、蕪村って本当に絵がうまいから、いわゆるちょっととぼけたような俳画も描いていたりもする。 すごく自由な人だったような気がする。
まいこ:なるほど! 崩しもできるっていうのは、うまい証拠ですね
つあお:そうだと思います。たとえば、筏師(いかだし)を描いた絵とか、結構素朴なんだけど、味わい深いんですよ。 そもそも、この絵を見ると全然うまそうに見えないですよね。
まいこ:確かに、蓑(みの)などは、くしゃくしゃって描いただけに見えますね。
つあお:でも、「俳画」としては何だか最高です。細密ではない描き方だから素敵なんだと思う。
まいこ:描き過ぎないところが俳句と相性がいいのかもしれませんね。 雨で濡れた蓑に、 風に吹かれた花が散りかかって美しい衣のように見える情景とのことですが、花びらは特に描かれていない。私だったら絶対描いちゃうけど(笑)。でも描かないことで、想像の中の花びらは現実よりも美しいのかもしれないですね。
つあお:蕪村はやっぱりホントに才人だなぁと思いますよ。上手も下手も思いのまま。たわくしは、蕪村に憧れちゃうなぁ。
まいこセレクト
今回2会場合わせてたくさんの作品を鑑賞した中で、強烈に一目惚れしたのがこの作品です。あの若冲様の作品ですが、この雁、雁史上最高にすっとんきょうな顔をしています。
まん丸な目と大きく開いた口。満月がとてもきれいに上っていますが、この雁は、満月のほうを見て驚いているのではないようです。彼(または彼女)の視線の先には一体何があるのでしょうか? それともしゃっくりでもしているのかな? 想像をかき立てられる1枚です。
つあおセレクト
「雅やかな和歌の世界のものとはせずに、思ったことをそのまま俳句にしなさい」と言い出したのが松尾芭蕉だそうです。それでどうも人気が爆発したらしい。与謝蕪村は約100年後、芭蕉の業績が顕彰されているさなかに活動し、芭蕉に大いなる憧れを抱いていたといいます。そうした思い入れをもって、芭蕉の姿も描いたのです。実に巧みに描いています。やはり画才があふれ出ている。精一杯の尊敬の念を込めて描いたに違いありません。
一方、伊藤若冲は蕪村と同い年でしたが、本来ほとんど人物を描かない画家でした。この芭蕉の肖像画は、誰かの注文で制作したもののようです。やはり、芭蕉に憧れていた人物の依頼だったのでしょう。若冲も『動植綵絵』などの作品では極めて細密な絵を描いていますが、こちらの芭蕉の肖像画ではかなりの略筆ぶりを見せています。若冲は水墨画の名手でもありましたが、ひょっとすると俳句のように描く「俳画」を意識していたのかもしれませんね。
つあおのラクガキ
浮世離れマスターズは、Gyoemon(つあおの雅号)が作品からインスピレーションを得たラクガキを載せることで、さらなる浮世離れを図っております。
古池や蛙飛びこむ水の音
松尾芭蕉のこの名句からは素直にそして心地よく、池に蛙が飛び込む情景が想像できます。ラクガキストとしてこの情景の表現に挑戦を試みましたが、あえなく敗退。「チャポン」というオノマトペを書き加えざるをえず、静寂な様子も表現できていません。
たった17文字で、そこに身を置きたくなるような情景を描ききったからこそ、蕪村のような才人も、芭蕉を強く慕ったのでしょう。
展覧会基本情報
展覧会名:芭蕉と蕪村と若冲
会場名:福田美術館・嵯峨嵐山文華館(京都市右京区、2館共同開催)
会期:2022年10月22日~ 2023年1月9日
前期:2022年10月22日~11月28日
後期:2022年11月30日~2023年1月9日
休館日 :11月29日(展示替)、年末年始(2022年12月30日~2023年1月1日)
公式ウェブサイト:https://fukuda-art-museum.jp/exhibition/202205242365