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2023.03.10

妖しくも美しい着物姿。溝口健二と甲斐荘楠音、2人の天才の足跡を辿る

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一度見たら忘れられない、妖しい魅力を放つ作品の数々。甲斐荘楠音(かいのしょうただおと)は、大正から昭和にかけて活躍した日本画家です。再評価されている甲斐荘が、日本映画界の巨匠・溝口健二の映画作りに関わっていたことは、あまり知られていないかもしれません。そんな2人の天才の足跡を辿りたいと思います。

映画から知る着物の着こなし

着物を美しく着こなす。これは、たまに着るくらいでは、なかなか難しい。 私は花柳界を好み、芸者や舞妓を好んで描いた画家から、日本で一番美しい着物の着こなしをするのは、溝口健二監督『お遊さま』の茶席シーンの田中絹代だと教わった。

田中絹代は、日本映画史に名を残す大スターですね。凜とした姿が心に残っています。

頭をキリリと高く結い上げ、玉かんざしひとつ。 着物は淡い訪問着に襟をあまり抜かずに、襟元も少し開ける。 しっかりと締められた帯、帯じめは下の位置で締め、帯揚げはいっさい出さない。 又、妹役の音羽信子が演じるお静は、独身であるから田中絹代と好対照である。 日本髪に結い上げられ、大振袖に錦の変わり結びにしている。 関西の上流社会の女がどんな着物を好み、着こなしたかが理解できる。

お遊さまが主催の「お琴」の会では、平安調の風俗の中で部屋も御所風にし、しつらえまで凝っている。 その雅な世界でお琴の演奏を披露するのだから、贅沢としか言いようがない。 お遊さまは客人に「こんな風はおかしいでっしゃろ。私、源氏物語を読むのが好っきでぇ」と語りかける。雅な暮らしぶりを、とことん追求した、映画の原作は谷崎潤一郎であり、衣裳考証を担当したのは画家の甲斐荘楠音である。

『秋心』(大正6)1917年、絹本着色、151.0×44.0cm、京都国立近代美術館

海外で評価された溝口健二の日本的な美

溝口映画は、外国映画の影響を受けていないのだ。 又、女が主人公である溝口映画に出てくる男たちはみんな、ダメな男である。 父親も息子も恋人も、みんなダメンズなのである。 女の内面をリアルに描くための手法であったのでは?と考えている。 また、仕事に厳しかった溝口は自ら時代考証にたくさんの文献を読み込み、研究に時間を費やした。 骨董狂いであった彼はセットスタジオに置かれた小物が映画の時代に合わないと、激怒したとのエピソードもある。「なんですかその皿は?」と、難癖を付ける。小道具係は、映るか映らない場所に置かれた皿で怒られたので、投げ壊した。

秀作である井原西鶴の『好色一代女』を映画化した『西鶴一代女』では、不幸まみれの娼婦お春役の田中絹代は、晩年のシーンで、年増の女に不似合いの派手な藤柄の着物に金銀錦の帯を締め、柄は「御所車」に見え る。 これは、若き日の御所務めを意味付しているのではないだろうか。 これこそが、衣裳考証なのである。 お春のセリフに「五十のババァが二十歳になるのは無理やな」と同じく年増の娼婦に話しかけ、娼婦たちは 「御所にまで上がった事のあるお前がどうしてそこまで落ちぶれたのだ?」と、たずねるも、身の上を話す事を嫌がる。 このシーンは奈良を設定しているが、滋賀県の彦根天寧寺がロケ地となった。映画の冒頭部分に五百羅漢像が映し出された瞬間、お春は昔惚れた男の顔に似た羅漢像を見つけ、ほんのいっ時、羅漢像に微笑む。

この寺の羅漢は「探し求める人に必ず出会える」との口伝があり、滋賀を好んでロケ地に選んだ溝口は、流転のお春が、若い頃一瞬心の通わせた密会が役人に知れ、無残にも斬首された若侍と、再び逢わせてあげたかっ たのだろう。 そしてスタッフの中には甲斐荘楠音が参加していたのだ。

甲斐荘の衣裳選びが田中絹代のモナ・リザにも似た微笑みを引き出し、女優に迫真の演技をさせたのは間違いない。衣裳はそれほど大事なものだ。 又、この寺の悲話を知ると、より陰鬱さも感じる。 彦根城の井伊家藩主の菩提寺の隠居寺として代々受け継がれ、供養と懺悔のために十一代藩主井伊中公が五百羅漢を彫らせ、十三代井伊直弼は子どもの頃から通っていたこともあり、桜田門外ノ変の後、遺品がこの寺に埋葬されている。 悲劇の井伊直弼の話を溝口健二はぐっと読み込み、不幸なお春をこの寺で撮る事に決めたのではなかろうか。

『雨月物語』が公開され、見事、ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞し、昭和三十年に甲斐荘楠音の仕事が評価され、アカデミー賞衣裳デザイン賞にノミネートされた。 溝口は細部にこだわる映画監督と知られ、時代考証、風俗考証、衣裳考証に一流の画家を起用した。江戸好みの映画であれば小村雪岱、木村壮八を起用している。

モノクロ作品の『雨月物語』は、多くの映像作家に影響を与えたと言われていますね。

溝口にとって甲斐荘の存在は大きいものであった

甲斐荘は女を美しく描いた画家であるが不遇であった。大正15年に日本美術協会で開かれた第5回展に出品した「女と風船」は土田麦僊に「穢(きたな)い絵は会場を穢くしますから」と展示陳列を拒否され、会場近くで手直しして再度、展示を掛け合うも拒否されてしまい、しだいに、画壇から距離をおいた。

『籐椅子に凭れる女』(昭和6)1931年頃、絹本着色、65.8×49.0cm、京都国立近代美術館

さて、甲斐荘は歌舞伎、文楽も好きなので、若い頃から舞台をデッサンしている。 絵が評価されなかったこともあり、同級生の画家の吉川観方からの誘いを受けたのか、映画界に出入りする様になる。 観方は京都の時代祭を作った人なのだが、中世の風俗を蘇らせた立役者だ。 当時の写真を見ると、本気のコスプレなのである。又、甲斐荘も自ら女装した写真を遺しており、女性に扮すること、演じることと創作活動がひとつながりであったことがわかる。

この本気のコスプレイヤーが映画界の巨匠溝口健二とどう出会ったかは、当時助監督であった新藤兼人説と、吉川観方説があるのだが、京都は狭い街である、どこで誰が出会ってもおかしくない。 色街で酒を呑んだら、女将が合う人を紹介してくれたりする。 歌人の吉井勇が溝口映画の題字や歌詞を書いた事を考えると、夜の京都がたくさんの文化人の交流の場でがあったことがわかる。

さて、甲斐荘と溝口は本気の人だから、火花を散らして仕事をしたに違いない。本気の溝口は田中絹代に激怒しながらNGを三十回も出すことがザラだったし、何度も撮り直しを命じられる現場では軒並みならない情熱が注がれた。カメラマン、照明、衣裳、メイク、小道具、大道具も「本気」で仕事をしないと溝口が納得しなかった。

鬼気迫る撮影現場だったことでしょう…….。

「道行の女性に扮する甲斐荘楠音」 ガラス乾板からのプリント、京都国立近代美術館

その溝口組の前にひょっこり現れた甲斐荘楠音に溝口が、その着物のタスキはいつの時代のものですか?と平気で質問し、違うなら他の物を用意してくださいと命じたのには驚かされる。 タスキ一本までこだわった人だったと、映画評論家の津村秀夫の記録エッセイに書かれているのだから、甲斐荘はそれを楽しんだのではなかろうか。 着付けまで抜群にこなせた甲斐荘に溝口は、「気分」が違うだろうと、褒め称えたそうだ。 俳優たちは、その「気分」に乗せられ芝居は名作となったのだ。 筆者には田中絹代のお春は、甲斐荘が描くデロリとした女にしか見えない。 京都国立近代美術館ではじまった甲斐荘楠音展、東京のステーションギャラリーにも巡回するので、 映画を観てから、是非、お出かけいただきたい。機会があれば、甲斐荘の未発表作品とトランスジェンダーの画家たちについて記したいと思っている。

展覧会基本情報

『横櫛』部分 大正5(1916)年頃、絹本着色、195.0×84.0cm、京都国立近代美術館

展覧会名:甲斐荘楠音の全貌-絵画、演劇、映画を越境する個性
【京都展】
会場:京都国立近代美術館
会期:2023年2月11日(土・祝)~4月9日(日)

【東京展】
会場:東京ステーションギャラリー
会期:2023年7月1日(土)~8月27日(日)

公式ウェブサイト:https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionarchive/2022/452.html

◎「甲斐莊楠音の全貌! (京都国立近代美術館 2月1日~4月9日)に協賛して

甲斐荘楠音の素顔
その知られざる素描世界の魅力

一星野画廊秘蔵の素描作品を一挙公開一

2023 (令和5)年3月4日 (土) ~ 4月1日 (土) 10:30AM~6:00PM 毎週月曜と3/12(日) 3/19 (日) 休廊
公式ウェブサイト:http://hoshinogallery.com/

参考文献: 津村秀夫『溝口健二というおのこ』実業之日本社 佐藤忠男『溝口健二の世界』筑摩書房 島田康寛、上薗四郎他『甲斐荘楠音展』日本経済新聞社 甲斐荘楠音、監修島田康寛『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』求龍堂 池田祐子、梶岡秀一他『甲斐荘楠音の全貌』日本経済新聞社

アイキャッチ画像:『春』、(昭和4)1929年、絹本金地着色・二曲一隻、95.9 × 151.4 cm、ニューヨーク、メトロポリタン美術館 Purchase, Brooke Russell Astor Bequest and Mary Livingston Griggs and Mary Griggs Burke Foundation Fund, 2019 / 2019.366

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幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。