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2019.01.18

日本美術と「椿」には深い繋がりがあった! 日本人とともにあった花の物語

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あるときは素朴でかわいらしく、あるときはふっくらと官能的に。冬から春にかけて咲く「椿」という花は、日本人にとって、とても身近で関係が深い存在です。日本絵画や工芸においても、桜や梅とともに人気のモチーフで、古から近代にいたるまで、さまざまな形で描かれてきた椿。数々の椿を取り入れた作品を眺めつつ、日本人に寄り添う椿の美と歴史を辿ります。

日本人に寄り添う椿、その美と歴史を辿る

日本美術椿鎌倉彫り「椿彫木彩漆笈」 修験者が旅の際、仏像や経典、生活用品を収納して背負う「笈」に、椿文はよく使われている。扉の椿の花弁は朱漆、葉は緑漆を使用。花芯と全体に散る露には金箔を押すなど、凝った手法で椿の存在を引き立たせている。両脇には菊の彫刻。下段には菱繫文をあしらうなど、モダンな構図も印象的。室町時代。サントリー美術館。

古くは奈良時代の「日本書紀」に、椿は神聖な樹木として登場します。「万葉集」にも椿の歌が9首あるなど、椿は日本で長きにわたって親しまれてきました。縄文時代には、用材として使われたという記述もありますが、美術作品のモチーフとして登場するのは意外に遅く、室町時代に入ってからのこと。風雅を好む足利義政が、中国から椿を題材とした美術品を数多く収集(いわゆる「東山御物」)し、日本の美を表現する重要なモチーフのひとつに定めました。また、茶の湯の流行も椿を一般に普及させました。冬から春にかけての茶花として、初めて椿を愛用したのは、かの千利休だとか。豊臣秀吉も好んで飾っていたといわれ、茶の湯において椿は、とても重要な地位を占めていたのです。

日本美術椿伊藤若冲「花鳥版画 椿に白頭翁図」 露に誘われて椿に向かう、頭の白い鳥の一瞬の姿が表現されている。椿は花と葉のみが描かれ、木や枝は見受けられない。漆黒の背景に鳥と椿が浮き上がるコントラストの強い作品は、若冲が得意とするもののひとつ。そぎ落とされた世界観に、ドキリとさせられる。1771(明和8)年。PPS通信社

江戸時代に入ると、二代将軍・徳川秀忠が椿園芸に熱中したことで、椿はさらなるブームを迎えます。諸国から取り寄せたあらゆる種類の椿を、江戸城で栽培し、その人気はいっそう広がっていきました。それにともない、椿にまつわる多くの書物や「百椿図」と呼ばれる図譜などもつくられるように。そして、その流れを後押しするかのごとく、江戸時代絵画のスター絵師たちもこぞって椿を描くようになりました。絵画をはじめ、蒔絵や陶芸と、数々の工芸品にまで作品は広がり、その影響は近代画にいたるまで。椿と日本美術との長く深い蜜月関係は続いていったのです。

日本美術椿川合玉堂「椿花小禽図」 日本の自然をこよなく愛した川合玉堂。藪椿の木にとまっているのは、つがいの鶯。その仲睦まじく遊ぶ様子が、赤い椿のかわいらしさと相まって、心和ませる作品へと仕上がった。画面の上部に花鳥を配し、空間を大胆に生かした構図が新鮮。1912(大正元)年ごろ。あいおいニッセイ同和損保。

冬から春にかけて咲く、純粋な中にも生命力を感じさせる椿。健気にも大胆にも見える、ほかにはない魅力に、日本人は心惹かれるのでしょうか。ちなみに椿の花言葉は「控えめな優しさ」そして「謙虚な美徳」。香りのないことから、このようないわれがあるようですが、前に出ることなく、凜として存在する。まさに日本人の根底にある美徳をもつ、唯一無二の花とも言えそうです。そんな椿の季節ですから、その美しさを愛でながら、日本人としてのあり方に思いを馳せてみませんか。

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