人のセックスを笑う文化の本質
映画「春画と日本人」の冒頭には、名著『奇想の系譜』の作者である、美術史家の辻惟雄先生が登場します。とある講演会の会場で、辻先生は北斎の春画の画中に書かれているオノマトピア(擬声語)の多彩さを紹介し、実際に会場で詞書を読み上げます。
「ズウッズッ ズウッズッ、チュッチュ チュッチュ、ズウ ズウ ズウ ズウ ズウ……」(※葛飾北斎『喜能会之故真通』詞書より)
プロジェクタによるスライド投影のため、暗くなった講堂の一室で、辻先生のモノローグは続きます。
「ひちゃひちゃ ぐちゃぐちゃ、じゅっちうちゆ じゅっちうちゆ、ぐう ぐう ズゥ ズゥ……」(※同上)
辻先生が至って淡々と(そして延々と)、艶っぽいオノマトペを読み上げるのがなんとも可笑しく、ふつふつと笑いがこみ上げてきます。この冒頭のワンシーンは、これから始まる春画の物語の、ある種の滑稽さを示唆しているようにも思われました。
文政期の頃に春画は「笑い絵」とも呼ばれ「ワ印」という隠語も生まれました。男女の性交を描いた絵画を、江戸の人々はなぜ「笑い絵」と呼んだのでしょうか。
どこか微笑ましい男女の和合。春画の大半は、両人が性の悦びを等しく享受している。多分に理想化されていた側面はあれ、さまざまな人の願いや望みが託されたものであったことは間違いない。(映画「春画と日本人」より)
それはおそらく、笑いの中に、あらゆる悲喜こもごもが内包されているからであり、さまざまな人生を励まし慰めるものであり、何より笑いが、人の性(さが)に深く根ざしたものであるからではないでしょうか。古代ギリシャの哲人・アリストテレスも、笑いを人間の特権と言いました。「笑い絵」と呼ばれた春画には、「憂(う)き世」を「浮世(うきよ)」と称した江戸の人々の、生の哲学が込められていると思います。
枕を並べて北斎の春画を眺め、互いに詞書を読み上げながらじゃれ合った、そんな二人のくすぐったい一夜が、お江戸八百八町、どこかの長屋の片隅に、あったかも知れません。ちょっと想像してみてください。春画をつくった人間、それを楽しんだ人間。その愛おしさに、自然と笑みがこぼれてこないでしょうか。
映画「春画と日本人」は、現代において奇しくも珍重されてしまっている春画を、そして、日本人の生きる術を、ほんの少し自分の方へ手繰り寄せることのできる、そんな映画だと思います。
「春画と日本人」チラシ
◆映画「春画と日本人」(2018年/87分/カラー)
監督・撮影・編集・製作著作:大墻敦
出演:小林忠(国際浮世絵学会会長)、浅野秀剛(国際浮世絵学会理事長)、木下直之(東京大学文化資源学研究室教授)、石上阿希(国際日本文化研究センター特任助教)、浦上満(春画展日本開催実行委員、古美術商)ほか ※肩書きは取材当時
宣伝・配給:ヴィジュアルフォークロア
2019年9月28日よりポレポレ東中野にてロードショー(10月26日より大阪・第七藝術劇場、京都シネマ、11月2日より横浜シネマリン、12月7日より神戸アートビレッジセンター、ほか上映情報は下記サイト参照)
公式サイト