中村屋サロンでの交流
守衛は帰国すると、新宿中村屋のある角筈(つのはず)にアトリエを作ります。アトリエの資金を提供したのは、守衛の理解者であり経済的な支援を行なっていた兄・本十です。
「新宿にアトリエを築いた理由として、東京で芸術を学んでいたことや、自分が慕っていたお兄さんお姉さんのような存在の相馬家がいたことも理由として考えられます」
守衛を中心に中村屋に芸術家たちが集まり、「中村屋サロン」が誕生します。
「サロンの初期のメンバーと言われているのが、戸張孤雁や柳敬助、高村光太郎など、守衛が留学中に知り合った人たちです。
また留学から戻った守衛は、ロダンから初めて直接教えを受けた人物として非常に注目されていました。不同舎の先輩である中村不折は、守衛が日本に戻ってきた時に、不同舎の後進である太平洋画会で教えていました。そこで学んでいた人物に中村彝や中原悌二郎がいます。不折は、学生だった若い芸術家たちに『碌山というのが帰ってきたから会ってくるといい』と、守衛に会うように言っていたそうです。そうして守衛に憧れて彫刻家になろうという人たちが出てきます。日本ではどちらかといえば、人物像といえば肖像が多かったのですが、守衛をきっかけに、だんだんと芸術の表現手段としての人物像が広がっていったのです」
サロンは居心地の良い場所であり、芸術家たちに刺激を与える場でもありました。
「当時の日本美術界にはヒエラルキーがあり、東京美術学校で言えば教授が絶対的な力を持ち、そこでの派閥争いに馴染めない人たちは辛かったでしょう。守衛はそういった権威とは全く関わりのないところから出てきた人物ですし、中村屋サロン自体もそういったしがらみから切り離された場だったため、自由に物が言える場だったと想像できます。
愛蔵たちは金銭的な支援というよりは、場の提供をしました。中村屋には食べ物があったため、貧しい生活をしていた芸術家たちに食べさせることもできました。
温かい場があり、そこには仲間がいて荻原もいる。『カアサン』と呼ばれる黒光や頼れる愛蔵もいました。荻原は、午前中はアトリエで制作をして、午後は中村屋にやってきて、子どもたちの面倒を見たり、モナカのあんこ詰めや店番もしていたそうです。そういった意味で中村屋は芸術家たちにとって、とても居心地の良い場所になっていたと思います」
中村屋サロン美術館で荻原守衛展が開催
日本美術史に名を残す「中村屋サロン」があった場所で、荻原守衛展が開催されます。
9月14日から中村屋サロン美術館で行われる「生誕140年・中村屋サロン美術館開館5周年記念 荻原守衛展 彫刻家への道」では、彫刻やデッサン、油彩など約50点(デッサンや素描などの一部の作品は、前期後期入れ替えがあります)が展示されます。その中には守衛が2度目のニューヨーク留学で描いたデッサンや、人体の研究のために描いた解剖画、守衛と関係のあった芸術家の作品も数点出品され、《考える人》を含むロダンの作品も5点並びます。
オーギュスト・ロダン《考える人》1880年 ブロンズ おかざき世界子ども美術博物館蔵
最後に展示からどのようなことを感じ取ってほしいか、太田さんに伺いました。
「今回は彫刻がメインの展示です。荻原は1910年に30歳で亡くなってしまうため、日本近代彫刻の父と言われているにも関わらず、日本で彫刻を制作した活動期間は2年と非常に短いものでした。その間に、日本の芸術家に影響を与えることができたのは、守衛の芸術家としての信念であり、ロダンと出会うことで形を成した守衛自身の芸術があってのことだと考えています。
守衛は、作品の内部に生命を入れることを念頭に制作に励んでいました。来場した際には、作品の内にある力を感じ取っていただきたいと思っています」
【展覧会情報】
「生誕140年・中村屋サロン美術館開館5周年記念 荻原守衛展 彫刻家への道」
会期:2019年9月14日(土)~ 12月8日(日)
前期:9月14日(土)~10月29日(火)
後期:11月1日(金)~12月8日(日) ※前期後期で一部、作品の入れ替えがあります
展示替え期間:10月30日(水)〜10月31日(木)
開館時間:10:30~19:00(入館は18:40まで)
休館日:毎週火曜日(10月22日(祝)、29日(開館記念日)を除く)