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2019.09.20

日本文学を進化させた!「かな」の名作が一堂に会する『古筆招来』展レポート【埼玉】

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埼玉県の遠山記念館で、9月14日より「古筆招来(こひつしょうらい)」展が開催されています。古筆は、「平安から鎌倉時代にかけて書かれた和様(わよう)の名筆」のことをいいます。

趣のある、遠山記念館の入り口。ここは日興證券(現SMBC日興証券)の創立者・遠山元一の旧居(重要文化財)で、敷地内の美術館施設でも、重要文化財6点を含む美術・工芸品を公開。

遠山記念館は2018年春に展示施設の改修が終わり、この秋はじめて特別展を開催。本展は、館外所蔵家から、重要文化財を含む名品を借用しておこなうプレミアムな展覧会になります。

古筆展もとても味わい深いのですが、美術館施設に隣接する「遠山邸」(重要文化財)も狂気的な密度のアートになっており、「なぜ、こんな素晴らしい建築がここに……」と驚愕するレベルでしたので、2回にわけて展覧会と遠山邸の両方から、遠山記念館の魅力をご紹介したいと思います。

では、まず展覧会のご紹介から! 
見どころを解説する前に、簡単に「古筆ってなに?」というお話からはじめましょう!

〝かな〟が日本文学を進化させた

「古筆は、和様の名筆」といいましたが、和様はつまり「日本風」のことで、そのなかでも特に「個人が〝かな〟で書いた美しい作品」を古筆と呼びます。

かなが完成するのは、平安時代半ばのこと。
それより前の飛鳥時代、大化の改新や白村江の戦い、壬申の乱を経て、律令国家としての日本が確立されていくころに、「万葉仮名」が生まれました。

万葉仮名は「波流(はる)」「由岐(ゆき)」のように、その漢字本来の意味とは異なる表音文字で、文章を表現しています。なぜ、こうした漢字を「万葉仮名」と呼ぶようになったかといえば、万葉集に記された和歌が、この万葉仮名で書かれていたからなんですね。

「心の内を表すには〝かな〟ってすごく便利じゃない?」

平安時代に、和歌や日記文学が隆盛するのにともなって、万葉仮名も変化を続けます。
文字が一般化していくと、万葉仮名の漢字はだんだんと省略されたり、丸みを帯びたかたちにくずれされていくのは自然の摂理。
それが「変体仮名」となり、「ひらがな」「カタカナ」が生まれていったわけなんですね。

遠山記念館は昭和45(1970)年にオープン。一昨年より展示施設のリニューアル工事をおこない、最新設備に整えた。日本と中国の書画・陶磁器、人形、染織品、世界の工芸品と染織品など、秀逸コレクションは約11,000点に及ぶ。

「古筆招来」展は、平安時代後期(11世紀中ごろ〜12世紀初め)の名筆16点、鎌倉時代以降の古筆や蒔絵調度など計約30点で構成されています。

最大のポイントは、「高野切(こうやぎれ)」3点、「寸松庵色紙(すんしょうあんしきし)」3点、「石山切(いしやまぎれ)」4点の古筆計10作品を集めた展示室。選りすぐりの名品を、比較しながら味わえるところでしょう。

とりわけこの分野の最高峰として知られる「高野切」「寸松庵色紙」は、1000年近い間〝かなの手本〟として扱われている作品になります。一度に、これだけ珠玉の古筆作品が集まるとは……。

その1「高野切」3作品の鑑賞ポイントは?

そもそも「高野切」の名は、この作品の一部が、高野山にあったことに由来します。古筆の「切(きれ)」という呼び名は、切り離された部分であることを意味しているんですね。

さて、どうして「高野切」がすごいのか。

ひと言でいうと、これが11世紀半ばに書かれたとされる『古今和歌集』の現存最古の写本だからです。

古今集は、平安時代中期に編まれた、和歌としてはじめての勅撰集。最初の古今集は、紀貫之が醍醐天皇に献上したものの、12世紀ごろまでに失われてしまったといわれています。しかし、その後も多くの能書家たちによって、さまざまな写本の古今集が書かれてきたんですね。

最古の写本である高野切は、豊臣秀吉が所持した歴史があり「最も優れている」と高く評価されてきました。
高野切の筆者は「〝伝(でん)〟紀貫之(きのつらゆき)」となっています。本当なら延喜5(905)年に奏上した古今集を、選者の紀貫之が11世紀半ばの高野切に書いた、というのは無理のある話。しかし、この書の〝品格〟と、当時を代表する歌人で古今集編纂の中心であった〝貫之への敬意〟から、高野切は「伝紀貫之」とされてきたのです。

元の高野切は長い巻物20巻で、3人の能書家が分担して書いたと推察されています。
そのうちのひとりが書いた「巻一春歌上」にあった断簡3点が、今回展示されている高野切の作品。仮にこちらの筆者を「春歌さん」と名付けて話を進めましょう。

今回の高野切は、春歌さんの

歌番号
「1〜3(五島美術館)」
「9〜10(遠山記念館)」
「46〜49(出光美術館)」

の3作品が並んでいます。なので、ひとりの筆者である春歌さんの書き振りと心の有りようを、じっくり観察することができるのです。


伝紀貫之 高野切 古今和歌集巻第一巻首 五島美術館 重要文化財
まず、歌番号1〜3の高野切は、歌集本文の幕開け、巻の書きはじめににふさわしい雰囲気で、ゆったりとした行間。それでいて格調の高さも感じます。ある種の緊張感が伝わってきますね。


伝紀貫之 高野切 古今和歌集巻第一巻首 遠山記念館
そして、9〜10の高野切は、緊張がやや緩み、リラックスしているよう。「平常心で書けばいいんだ」という感じかもしれません。

46〜49の高野切は、「自分の調子が出てきた。さあ、スピードをあげていくぞ」とリズミカルな運筆。濃く太い線と細い線が、まるでワルツを踊っているかのように書かれていると感じました。
出光美術館所蔵の高野切は、ぜひ会場で、実物をご覧になっていただきたいですね(本作のみ9月29日までの公開。3点を見比べるなら早めに遠山記念館へ)。

その2、寸松庵色紙と高野切に同じ歌!こんな偶然、見逃せない!


伝紀貫之 寸松庵色紙 遠山記念館 重要文化財(拡大)

高野切と同時代の作とされる「寸松庵色紙」の色紙は、縦横13cmほど小さな料紙のことで、本来は冊子本としてつくられたものでした。
ほぼ正方形というかたちは、インスタ画面でも分かるように、そこにあるものを「集中して見せる」効果があります。

寸松庵色紙も、高野切と同様に古今集の和歌が書かれているのですが、そのなかでも面白いのは、出品作の寸松庵色紙(遠山記念館)と同じ歌が、先述の高野切(出光美術館)にもある点でしょう。


「むめのかを そてにうつして とゝめては はるはすくとも かたみならまし」(詠み人知らず)。
右が寸松庵色紙(遠山記念館)、左が高野切(出光美術館 同展図録より)。どちらも同じ歌なんですね!「梅の香りを袖に移しておけば、春が過ぎても思い出になるだろう……」という内容でしょうか。

展覧会では、同歌が並んでいるからこその比較ができます。
文字の違いはもちろん、寸松庵色紙は「散らし書き」というスタイルで書かれています。
散らし書きは、かな書のスタイルが進化していくときに生み出された表現方法。これは非常に日本的な美の感覚であり、中国の漢字作品にはないものです。

また、寸松庵色紙も「伝紀貫之」になるものですが、他の古筆の筆跡と紙(唐紙の装飾紙)との照合によって、高野切より少しあと、11世紀後半の書写と判断されています。
ということは、寸松庵色紙の「伝紀貫之」は本当の紀貫之ではないわけですし、高野切を書いた人物とも違う。まったくの別人が書いた作品なのだ、ということになりますね。

〝別の人間が書いた〟と思って、あらためて寸松庵色紙と高野切の同歌をくらべてみてください。
全体の雰囲気はどちらも「朗らかで」「やわらかで」「雅やか」。やまと心の透き通った感性のようなものが感じられないでしょうか。

それは、こうした美しさが「古筆の絶対基準だったのだ」ということに他なりません。そしてその感覚が、さまざまな筆者たちにきちんと共有されて時代をリードしていたことにも、深く感動させられるのです。

その3、石山切は料紙と文字の総合芸術

石山切は、明治29(1896)年、西本願寺の蔵から「本願寺本三十六人家集」が発見され、そのなかの「貫之集下」と「伊勢集」のふたつが、昭和4(1929)年にバラバラに解体されてからの切名です。本願寺所蔵なのに、名に「石山」と冠せられているのは、本願寺がその昔、大坂の石山にあったことが謂われです。

こちらは天永3(1112)年ころの制作といわれ、「貫之集下」に関しては、筆者が藤原定信と判断されています。本展では、その「貫之集下」から2点、「伊勢集」(伊勢集の筆者は「伝藤原公任」)から2点を出品。

石山切の魅力は、ずばり料紙の美しさでしょう。

高野切のころに完成した〝かな〟と料紙美を、より華麗に「絵画的」に仕上げる。
ここに「飾り」という感覚に敏感な、日本美術の特性が見られます。

舶載の高価な唐紙、国産で特注された唐紙を惜しむことなく破って、切って、貼り込んだ───こんなレベルの料紙装飾の作品は、それまで存在しなかった。前例のない料紙装飾こそ、平安時代の前衛アートだったわけです。


伝藤原公任 石山切 伊勢集 遠山記念館
白地の字はかすれ気味で、色つきの部分では墨がノッているのがわかるでしょうか。筆者は、ノリの悪い部分は慎重に筆を動かしていますよね。スピード感のある字というより、ていねいに一字一字を刻んでいる姿にも、筆者の息づかいを感じることができます。


他にも、館蔵の「伊代切」をはじめ、秋野蒔絵手箱(重要文化財)や文字を意匠化した江戸時代のきものなど、展示数は少し絞ってあるものの、だからこそ一点一点、時間をかけて鑑賞できる構成になっています。

キリスト教徒であった創立者の意向を汲んで、洋風なモチーフがちりばめられた館内も素敵! 玄関入ってすぐの天井には可憐なフレスコ壁画やステンドグラスも。

古筆は、まず絵を見るように味わって、そして歌を読んで古人の生活に思いを巡らすことができるもの。あとで訳文を調べて「こんな内容を詠んでいたのか」と余韻に浸ることも……(古筆のほとんどが、古今集や百人一首、和漢朗詠集の歌なので調べやすい)。美術と文学の両面から「長時間楽しめるアート」が、古筆なのだと思います。

秋の一日、どうぞ大人の遠足として、遠山記念館で「かな書の至宝」をお楽しみください。

展覧会施設から徒歩30秒→遠山記念館にある名建築!重要文化財・遠山邸のご紹介はこちら

展覧会情報

「古筆招来 高野切・寸松庵色紙・石山切」
会場:遠山記念館
会期:2019年9月14日(土)~10月20日(日)
住所:埼玉県比企郡川島町白井沼675
電話:049-297-0007
開館時間:10時〜16時30分(入館は16時まで)
休館日:月曜(祝祭日の場合は開館、翌日休館)
公式サイトはこちら

書いた人

茶の湯周りの日本文化全般。美大で美術史を学んだのち、茶道系出版社に勤務。20年ほどサラリーマン編集者を経てからフリーに。『和樂』他、会員制の美術雑誌など。趣味はダイエットとリバウンド、山登りと茶の湯。本人の自覚はないが、圧が強いらしい。好きな言葉は「平常心」と「おやつ食べる?」。