日本人の心象の富士「赤富士」と「黒富士」
全図「藍摺」ではなくなったものの、やはり「冨嶽三十六景」の作品には、そこかしこで藍色が印象的に使用されています。そんな中、当初の青の世界観を堂々と裏切っているのが、「赤富士」と「黒富士」の二作品。「赤富士」「黒富士」は通称で、正式な作品名は「凱風快晴(がいふうかいせい)」と「山下白雨(さんかはくう)」です。
葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」太田記念美術館
葛飾北斎「冨嶽三十六景 山下白雨」太田記念美術館
清涼感あふれる藍の世界とはうってかわって、強烈な色彩が量感をもって迫ってくる「赤富士」と「黒富士」。現代の私たちは、学生時代の教科書から街中のポスターに至るまで、余りにあの赤い富士山を見慣れてしまっていますが、当時「冨嶽三十六景」が新商品として店頭に並んだときは、富士山が真っ赤だったり真っ黒だったり、江戸っ子たちには、なかなかセンセーショナルであったと思います。
さまざまな場所から見た富士山を描いた「冨嶽三十六景」全46図中で、「凱風快晴」「山下白雨」は作品名に地名が入っていない3図のうちの2図(もう1図は富士登山の様子を描いた「諸人登山」)にあたり、シリーズの中で特別な位置付けにあったと考えて良い作品です。
そもそも北斎は、作品に地名を入れていても、実際に現地で見える富士山の姿を忠実に描くことを主旨としていませんが、殊この「赤富士」「黒富士」の2図については、特定の場所から見た富士山というよりも、概念や象徴としての富士山と考えた方が良いでしょう。言うなれば、日本人の心象風景を北斎は描いたのです。
納涼パワースポット、夏といえば富士!
さてでは、もう少し赤/黒の富士山を見ていきましょう。「凱風快晴(赤富士)」の「凱風」とは、南風のこと。「凱」にはやわらぐの意味があり、そよ風を指しています。つまりイメージとしては薫風の候、さわやかな初夏の頃の富士山です。(晩夏から初秋にかけての早朝、太陽光で富士山の山肌が赤く見える現象に取材したものとする説もあります。)
そして「山下白雨(黒富士)」の「白雨」とは、夕立、あるいはにわか雨のことで、「白雨」は夏の季語。「あたまを雲の上に出し 四方の山を見おろして かみなりさまを下に聞く」という学校唱歌「富士の山」の歌詞は、おそらくこの北斎の「黒富士」のイメージをベースにしているでしょう。
「凱風快晴(赤富士)」と「山下白雨(黒富士)」。タイトルに地名が入っておらず、山のシルエットと画面構図も近似。「冨嶽三十六景」全46図の中でも特異な存在となっている。
つまり、北斎はこの双子のような赤/黒の富士山を、どちらも夏の姿として描いています。今日、富士山と言えば、冠雪した頭の白い姿(実際に一年の半分以上、冠雪しています)が定番のように思いますが、北斎としては雪のない(残雪は確認できますが)期間の富士山を画面いっぱいにドーンと大きく描きたかったようです。
当時、富士山は霊峰として信仰を集め、「富士講」といって庶民の間で富士登山が流行していました。北斎もきっと若い頃に富士山を目指したことでしょう。そうしたことを踏まえると、登る対象としての富士山は、たしかに夏がベストシーズン。(真夏の富士山頂の気温は、晴天時でも最高10度くらい。)当時の江戸っ子には「富士山と言えば、さわやかな夏!」だったのかも知れません。
個人的には、46図もあるなら、赤/黒だけでなく、雪化粧した真っ白な「白富士」があっても良かったのではないかと思うのですが(雪晴れの小石川から遠くの富士山を眺める「礫川雪の旦」という作品はあります)、きっとなにか北斎や版元側で、意図するところがあったのでしょう。
葛飾北斎「冨嶽三十六景 甲州三坂水面」太田記念美術館
緑が生い茂る夏の河口湖の風景。ただし、湖面に反転して(!)映り込んだ富士山は冠雪した冬の姿。かなり天邪鬼な北斎。