「古裂(こぎれ)」とは?
器や茶道具と同じように、布にも骨董があります。それが「古裂(こぎれ)」。厳密には江戸時代以前に海外から渡ってきた織物や染物の総称ですが、一般には明治期のものまで含みます。たとえば、美しい刺繡や絞りの入った江戸時代の着物。17世紀にインドから渡来し、大名や茶人を虜にしたエキゾチックな染物、更紗。これらの裂が、服紗や屛風に仕立てられたり、風流人にコレクションされたりして、大切に伝えられてきたのです。
まずはこの4点を覚えましょう!
古裂には裂の種類や技法、柄の名前など、さまざまな分類がありますが、ここでは、古裂入門編として覚えておきたいキーワードを4つご紹介。古裂の名店の主人に、裂の由来や選び方のコツなどをうかがいました。
数百年前のファッションを伝える着物「小袖(こそで)」
「小袖」とは江戸時代の着物のこと。袖などの部分的な裂は「小袖裂」といいます。たとえば「慶長小袖」は17世紀前半に流行したゴージャスな着物。
「慶長小袖」裂。摺箔や刺繡で埋め尽くされている。
「寛文(かんぶん)小袖」は17世紀後半の奇抜で大胆な柄の着物。「慶長小袖は大胆でモダンなデザインが特徴です。細かい部分にまで模様があるので、小さな裂でも贅沢に楽しめ、茶籠の内張りなどに人気があります」(古裂ギャラリーおおたに・大谷みちこさん)。また、小袖裂で人気の高い友禅染は、遊びのある模様が特徴。
多彩な色が使われ、染め・絞り・細かな糸目ぼかしが入った美しい友禅の小袖裂。
「色が多彩で、絞りや刺繡、ぼかしが入っているのが典型です。元禄ごろの裂は柄も大胆でモダンですが、時代が下がると色数も少なくシンプルになる。裂はファッションを映すものなので、比べてみると面白いですよ」(大谷さん)
刺繡で文字を散らしたものや、宝尽くし模様など、アートのような小袖裂も多いので、額装して飾るのも素敵です。
江戸前期「宝尽くし紋様絞り刺繡小袖裂」
海外からの〝渡りもの〟は貴重。型や手描きの染物「更紗(さらさ)」
インドを起源とした文様染めの裂。産地によってインド更紗、ジャワ更紗(バティック)、ヨーロッパ更紗などの種類があり、木型、手描き、銅版など文様の付け方もさまざまです。珍しいところでは金泥で描いた金更紗も。日本には16世紀以降、南蛮船などで運ばれましたが、室町から江戸前期に渡来したものは〝古渡り更紗〟と呼ばれ、珍重されました。
江戸時代に海外からもたらされた「古渡り更紗」。
「初めて目にする更紗の鮮やかな赤色に、戦国大名も茶人も驚嘆し、恋い焦がれたんですね。それまで日本にあった赤色は洗えば色がとんでしまったのに、茜染めの更紗の赤は、デニムのように洗えば洗うほど冴えわたる。そんな技術はインドにしかなかったのです」(今昔西村・西村 凱さん)
彦根藩主井伊家が蒐集した古渡り更紗、「彦根更紗」。
江戸後期には日本でも渡りものを真似てつくるようになり、長崎更紗、堺更紗、鍋島更紗など和更紗が誕生。絹のものもありますが、木綿地のほうが格上とされます。
実用が生んだ庶民の美。縞や格子が映える「木綿(もめん)」
江戸時代以前は、中国からの貴重な輸入品だった木綿裂。「17世紀後半から日本でも綿栽培と木綿生産が一般化。丈夫で安価で力強い美しさをもつ木綿によって、庶民の着物文化が一気に育ちました。日本古来の染料・藍の色を最もよく引き出す裂であったことも、長年親しまれてきた理由でしょう」(古民藝もりた・森田 直さん)
庶民のゆかた帯に使われた市松の木綿裂。
また、江戸後期の町方ファッションに欠かせない「縞」や「格子」と相性がよいのも、木綿の魅力です。縞模様といえば、インドやヨーロッパからの渡りものとして珍重された縞織物「唐桟」が有名。
インドで織られ、江戸後期に渡ってきた木綿地の縞織物「紅唐桟」。
その後も、粋好みな江戸庶民の着物や装飾品に数多く登場したのが縞でした。江戸時代に野良着などとしてつくられ、のちに柳 宗悦(やなぎむねよし)によって見いだされた「丹波布(たんばふ)」も、木綿×縞・格子の好例。ちなみに、〝縞〟の名は、南の〝アイランド〟で織られた裂という意味からきているそうです。
茶人に愛される名物裂も多い
「緞子(どんす)」
14世紀から17世紀にかけて中国経由で渡来した裂のうち、茶人に愛され、茶道具に用いられたものを「名物裂」と呼びます。その主役が金襴(きんらん)、緞子(どんす)、錦。金糸や銀糸で織り出した裂が金襴・銀襴。
茶人に好まれた江戸の絹織物2種。銀糸を織り込んだ「銀襴」。2色の糸で文様を織り出す「錦」。
経糸(たていと)と緯糸(よこいと)に違う色の練り糸を使い、模様を織り出した繻子織地(しゅすおりじ)が緞子。それ以外の多彩な色糸を使った絹織物が錦です。特に緞子は、渋い美しさが茶人の好みに合いました。有名な名物裂の中には、繻子織ではないのに〇〇緞子と名付けられたものがあるほど、緞子という裂は愛されたのです。
大名茶人、小堀遠州が好んだ名物裂「遠州緞子」を、明治期に写したもの。
「光のあたり方によって模様がくっきり表れます。名物裂には、江戸や明治に復元された〝写し〟もあるので、そんな裂で仕覆などをつくるのもいいですね」(西村さん)
「茶道は、古い裂を残す意味で非常に優れたシステムでした。お茶の世界によって、弱く朽ちやすい裂も、宝物のように伝わった。日本独特の美意識です」(大谷さん)
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