沖縄県・八重山諸島を代表する伝統工芸品のひとつである「八重山みんさー」。琉球王朝への献上品だった「八重山上布」に対して、庶民に親しまれていた織物だ。石垣市、竹富町で織られ、素材は木綿で、たて畝織り、厚みがあり、素朴な風合いが魅力。アフガニスタンから中国を経て伝わり、16世紀初頭には織られていたと推定され、400年もの歴史を誇る織物だ。
その名は「綿(みん)で織られた幅の狭(サー)い帯」からといわれ、じつはとてもロマンティックな由来がある。そのルーツは、琉球王朝時代、女性が愛する男性へ贈った藍一色の帯「ミンサーフ」。みんさー柄の特徴である、五つの市松柄が「いつの」を表し、四つの市松柄が「世」を意味している。いつの世までも末永く。「変わらぬ愛」への想いが込められているのだという。
また帯の両側にあるムカデの足にも似た模様は、当時通い婚が風習となっていたため、「足しげくおいでください」という意味を表現しているのだとか。
帯を作り上げる過程において、何度も藍色を重ねて染めることも「愛を重ねる」という意味をなぞらえているとされ、ともかく「ロマンティックすぎる織物」なのである。
「愛を織り込む」ための道のりは30工程
八重山みんさー織の体験、作品の展示、商品販売を行っている石垣島「みんさー工芸館」を訪ねた。
みんさー織は、ひとつひとつがていねいな手作業で行われる。意匠設計ののち、綿糸を経地糸(無地)、経絣糸(柄)、緯糸(無地)などの種類に分けて染色。
そして綛糸を管に巻き取る「糸繰り」、経糸の絣糸と地糸の長さを整える「整経」を行う。
さらに、美しい絣柄や織りを実現するために「糊張り」の作業。40メートル余りの長さの糸に糊をつけて乾燥させたら、絣括り。五つと四つの柄を生み出す基となるため、丹念に行う。
続いて図案に添って絣糸、地糸の割り振りをして、筬(おさ)と呼ばれる隙間に一本一本入れ込む「仮筬通し」、製織をする前段階の「下準備」として、経糸すべてを揃えて巻く「巻き取り」、巻き取った経糸を機に乗せ、綜絖と呼ばれる糸の上下運動をするためのパーツに経糸を一本一本通していく「綜絖(そうこう)通し」……。
そしてやっと「製織」。ここまでの工程は30近く! みんさー工芸館では、分業で行われているが、当然、昔はひとりで作り上げていたわけで、「愛を織り込む」までにはここまでの道のりを超えなければならないのだ。
体験工房で機織り機による、みんさー織にチャレンジしてみた。ベテランの職人さんにお手本を見せてもらってから、トライ。
「経糸にシャトルで緯糸を通して、リードを手前に引いて目をそろえる。経糸を上下に分けるために、ペダルを2回トントン打ち付けるを繰り返す」と、シンプルな作業だけれど生地の両端、いわば「耳」に当たる部分を均一に揃えるのは難しい……。緯糸をピンと張り、リズミカルに行うのがコツだそう。
リズムはぎこちないもののしばらく続けていると、少しずつ柄が現れてきた。布地に浮かび上がった五四、「いつよ」の柄がなんだか愛おしい。
新たな感覚のみんさー織アイテム。テディベアも!
館内のショップ「あざみ屋」には、カラフルな色合いのアイテムがずらりと揃う。
八重山みんさーは戦後、着用する人も作り手も減り、途絶えかけた時期もあったという。「貴重な文化を絶やしてはいけない」と、継承につとめたのが、館長である新(あら)絹江さん。
「伝統を引き継ぎながらも、現代の暮らしに使えるものを」と、藍色一色だけではなく赤や黄色などさまざまな色を取り入れ、現代風のアレンジを施した八重山みんさーを誕生させた。用途も帯以外に、バッグ、財布などの小物、インテリアなどにも取り入れることで、新たな価値を築いたのだ。
石垣島の澄んだ海のような青、ハイビスカスのようなピンク、デイゴの花のような赤……。鮮やかな色合いをいかしたモダンでスタイリッシュなアイテムたち。けれど、どこかやさしい表情なのは、一糸、一糸に想いが織り込められているからだろうか。
ぜひ、南の島で、ロマンあふれる織物に触れるひとときを。