世界各国の軍人が高く評価しているナイフがある。
それは「キクナイフ」と呼ばれるものだ。
岐阜県関市のナイフ研削師松田菊男氏が手掛けたナイフは、地球上のあらゆる気象条件のフィールドで用いられている。もちろん軍人のみならず、キャンパーやナイフコレクターもこぞってキクナイフを買い求める。あまりの人気に、オンライン販売のプラットフォームでは慢性的な品薄状態が続いてしまっているほどだ。
世界中の軍人が使用するキクナイフ
アメリカ軍では昔から、兵士がコンバットナイフをオーダーメイドすることがよくある。官給品では満足できず、またお守りの意味も込めて有名なナイフ職人に特注の1本を嘆願するのだ。
第二次世界大戦の頃は、フロイド・ニコルスという職人のコンバットナイフを買い求めることが兵士の間で流行った。柄頭にネイティブアメリカンの顔が施されていることで有名なナイフだ。もしかしたら今の日本にも「戦時中にアメリカから鹵獲した武器」として、ニコルスのナイフが現存するのではと筆者は考えている。
だが、現代のアメリカ軍兵士はフロイド・ニコルスではなく、異国である日本の職人に発注書を送ることが多い。
一兵士だけではなく、部隊の中枢にいる高官も優れた性能を発揮するキクナイフに注目している。アメリカのとある州の警察特殊部隊でキクナイフが採用された、という話を筆者は聞いたことがある。
軍人や警察特殊部隊の隊員はお世辞を一切言わない人々だ。いいものはいい、悪いものは悪いと言わなければ自分の寿命が縮んでしまう。彼らは常に本物しか選ばない、ということをここで強調しておきたい。
キクナイフの特徴「蛤刃」
10月20日、都内東銀座の時事通信ホールで『JKGナイフショー』が開催された。
今回はこのイベントに松田氏が参加していたので、筆者は静岡から高速バスで馳せ参じた。
「関刃物まつり、結局中止やったなぁ……」
筆者と松田氏とは、以前からの顔見知り。実は10月に関市で開催されるはずだった『関刃物まつり』で松田氏はブースを出す予定だったが、台風19号の影響で中止になってしまった。無論、筆者もこの刃物まつりを取材する腹積もりでいた。
今年の10月は、どうも天候に恵まれない。時事通信ホールへ足を運んだその日も、ライトグレーの絵の具を空にこぼしたような様子だった。しかも台風20号と21号が日本列島に接近しているというではないか。
JKGナイフショーは19、20日と2日間の開催だったが、筆者が訪れたのは2日目。本当ならカスタムナイフのイベントは、初日に行ったほうがいい。人気のある製品はすぐに売れてしまうからだ。しかし19日の静岡は大荒れの天候だったため、上京どころか自宅から一歩も出ることができなかった。
もっとも、自然現象に対して愚痴をこぼしても仕方がない。独特の模様で知られるキクナイフは、同時に蛤刃の芸術的造形を世界中に知らしめている。これはブレードの断面が蛤のような丸みを帯びている形状で、極めて高度な研削技術がなければ実現できないものでもある。蛤刃は英語では「コンベックスグラインド」と言うが、世界のナイフコレクターの間では「日本の職人によるコンベックスグラインド」はそのまま「Hamaguri-Ba」と呼称されている。
1本で2種類のグラインド!
この日出展されていたキクナイフの中で、最も存在感を発揮していたのがこの1本。『イーグル』と名付けられた、Dガード付きの大型ナイフである。海賊の刀剣カットラスを思わせるデザインで、よく見れば1本の中で2種類のグラインドを達成している。切っ先からブレードの半ばまでは蛤刃、途中からフラットグラインドで刃付けされている。
まさに「研削技術の結晶」だ。
キクさんの笑顔
これだけの仕事を果たす職人だから、さぞや頑固で気難しい先生なのだろう……と日本人は考えがちである。
しかしそれもある種の偏見みたいなもので、曇天すらも晴らしてしまうような松田氏の笑顔を見れば職人に対する固定概念など吹き飛んでしまうはずだ。
キクナイフのファンは明るく陽気な人が多いということは、筆者も前々から感じていた。「よおキクさん、調子どう?」という感じでブースの松田氏に話しかける。
「おお、久しぶりやな。これ、この前新しく名刺作ったんや。俺のイラスト描いてくれた人がおってな……」とある料理評論家が「明るい笑顔のない厨房で作られた料理は美味くない」と言っていた。
それはナイフ製造の世界にも当てはまると、筆者は確信している。
キクナイフのファンは誰しも、太陽のようなキクさんの笑顔に魅せられているのだ。