Culture
2024.03.15

枯山水とは何か?意味・歴史・京都の名庭園まで徹底解説

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枯山水(かれさんすい)とは、日本庭園の伝統的な形式の一つで、水を使わずに石と砂を中心に構成された庭園です。この記事では、枯山水の意味や歴史について詳しく解説。京都の名庭園もご紹介します。

枯山水、その意味は?

川や池などの水を使わず、石組を中心に構成された庭を「枯山水」と呼びます。庭園の種類の中でも、最も古い形式のひとつです。

あの世とこの世をつなぐ庭

枯山水は、死後の世界とも関わりが深く、例えば、枯山水を代表する名庭園の西芳寺や龍安寺を見てみると、どちらも背後の山には古墳群があり、石組には古墳の墓石を使っています。

また、作庭家の夢窓疎石は山を利用した上下2段構成の庭の上を天国に見立てて、仏教の宇宙像である「須弥山(しゅみせん)世界」を造ろうとしました。

庭に天国を造るということは憧れの対象として眺めるのみならず、坐禅を組み瞑想し「清らかなあの世を思い描いていると極楽浄土に行ける」という教えを実践するためでもありました。

枯山水の歴史

起源は古代、巨石信仰に遡る

その起源は古代の巨石信仰にまで遡ります。古い神社の背後には「磐座(いわくら)」と呼ばれる神の宿るとされた巨石がみられますが、これが神社の発祥であり庭園の起こりでした。中世の庭造りのテキスト「作庭記」によると、磐座や古墳の石室などの巨石を動かすことができないため、それを逆に作庭に生かしたと言われています。

鎌倉時代、禅寺の造園へ

平安時代までは貴族の家の庭の隅に、わずかに石組が造られる程度でしたが、鎌倉時代に入り禅宗が日本に伝わると、その宗教観を表すために禅寺の庭に本格的な石組が造られるようになります。鎌倉時代から室町時代は、水を使わずに石や砂などで水を表現していましたが、室町時代には池泉を中心とした庭造りへと発展していきました。

枯山水を代表する2人の作庭家

日本美術史上に輝く2大カリスマをご紹介します。

夢窓疎石(むそうそせき)

1275年〜。鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて活躍した臨済宗の僧侶です。北は岩手から南は高知まで、日本中を行脚して修行に励みました。禅の境地を庭に見出し、西芳寺、天龍寺、永保寺など多くの名庭園を築きました。

小堀遠州(こぼりえんしゅう)

1579年〜。安土桃山時代から江戸時代初期にかけて生きた茶人であり建築家、そして作庭家でもあるマルチな人物。しかも備中松山藩の国奉行にして初代近江小室藩主という大名でもありました。二条城、頼久寺、金地院など、「綺麗さび」と称される装飾性豊かな名庭園を多く手がけました。

枯山水の代表的な石組の種類

一見、難解な枯山水の見方ですが、石組みや建物など庭を構成する要素の意図を知ると、興味はつきることがありません。
まずは枯山水を構成する代表的な石組みの種類を紹介します。
禅庭

1.須弥山(しゅみせん)

世界の中心にそびえ立つ山として仏教の世界に登場するのが須弥山。それを表す石のことを呼びます。須弥山は、仏が住むといわれる聖なる山で、仏教のシンボルとして重要視されています。

2.三尊石(さんぞんせき)

枯山水造園のバイブル「作庭記」には「石を立てるに三尊仏の石」という記述があります。これは石を3つの仏に見立てて庭に置き、庭の守護とすることを説いたものです。この石を三尊石と呼びます。

3.築山(つきやま)

自然を利用したり人工的に土や石を盛って造った山のこと。江戸時代に入ってから使われるようになった名称で、庭園を築山、平庭、露地に分類したことから定着しました。

4.十六羅漢石(じゅうろくらかんせき)

これまで紹介した石と同じく宗教的なものでありながら、中世以降の後期式枯山水に見られるのが十六羅漢石です。悟りを開いた釈迦の16人の弟子「十六羅漢」にあやかってその姿を石で表現したものです。

そのほかの枯山水を構成するもの

禅庭

1.苔

枯山水に欠かせない植物のひとつがです。苔の種類は非常に多く、日本だけでも約2000種類以上あるといわれています。枯山水に使われる主な苔は、オオスギゴケ、コスギゴケ、ヒノキゴケなど。季節や環境によって色は微妙に変わっていきます。

2.方丈

禅寺の住職が住む中心的建物である方丈。方丈の南側はもともと仏教儀式を行うための白砂の庭でしたが1619年に寺院式が改正され儀式に使われなくなると植栽や石組が施され、枯山水の中心的な存在になりました。

3.堀

堀は絵に例えると額縁のような存在で、視覚的効果を大きく左右します。枯山水の多くは、粘土を打ち固めた壁の上に瓦やこけらを葺いた築地塀が使われており、低めに造られています。これは庭を際立たせる効果があるのです。

4.白砂

平庭に敷かれた白砂には水流を表現した砂紋が描かれています。多彩な模様と石や植栽の調和は枯山水の鑑賞に大きな役割を果たしています。砂紋を学作業は禅宗の修行にも通じ、早朝から時間をかけて行われるもので住職自らが行うところも少なくありません。

5.借景(しゃっけい)

庭と遠方の山などの風景を組み合わせた自然に溶け込んだ景観を造ることを借景と呼びます。枯山水で有名な龍安寺の石庭も石清水八幡宮の借景を意図して造られたのですが今は堀の向こうに樹木が繁り借景を楽しむことができません。実はこれには現代的な事情があります。昔のような借景を求めようにもそこには大学のキャンパスが見えてしまい、興をそいでしまうのです。今では堀の向こうの樹木が目隠しの役割を担っています。

京都にある枯山水の名庭園

「西芳寺」日本で最初の枯山水の庭園

夢窓疎石が禅寺として再興した寺。2段構成の庭が特徴。日本で最初の枯山水として、のちに金閣寺や銀閣寺もこの庭の構成を模したと言われています。自然発生した苔の美しさから「苔寺」とも呼ばれています。

住所:〒615-8286 京都府京都市西京区松尾神ケ谷町56(地図

「南禅寺」方丈庭園の別名は虎の児渡し

1291年、亀山上皇の利休を寺に改めた寺。徳川幕府のブレーンでもあった住職が、小堀遠州に依頼して造らせた庭には、パースをうまく使って方丈のスペースが大きく見えるよう工夫されています。方丈庭園は、虎の親子を表し川を渡る姿を石と砂紋で表現していることから「虎の児渡し」とも呼ばれています。

禅庭

住所:〒606-8435 京都府京都市左京区南禅寺福地町(地図

「西本願寺」西欧の影響を感じられる庭園

桃山文化を伝える建築物の立ち並ぶ、浄土真宗本願寺派の本山。その庭は、ヨーロッパ風の意匠であるソテツが仏教寺院に初めて植えられたことに特徴があります。そのソテツは、桂離宮から株分けされたものと思われています。

住所:〒600-8501 京都府京都市下京区 堀川通花屋町下ル(地図

「大徳寺」絵画のように美しい流れのある庭園

1325年に建立された臨済宗大徳寺派の大本山。本堂は禅僧の方丈建築で最も古いもののひとつとして知られています。枯滝からの水が石橋の下をくぐり、流水の速度が遅くなるにしたがって川幅が広がり大河に流れ去る様子を描いた庭は、絵画的な美しさ。相阿弥が造ったという説もあります。

住所:〒603-8231 京都府京都市北区紫野大徳寺町53(地図

「妙蓮寺」十六羅漢が見どころの庭園

本門法華宗の大本山で1295年に日像上人(にっしょうしょうにん)が開基した寺。涅槃石(ねはんいし)と呼ばれる巨石を16の石が取り囲み、釈迦と羅漢の問答の姿を表した石庭は、桂離宮の作庭をした僧・玉淵(ぎょくえん)が手がけたもの。桂離宮と類似した意匠も見どころのひとつです。

住所:〒602-8418 京都府京都市上京区妙蓮寺前町寺之内通大宮東入875(地図

枯山水のボードゲーム!?

今回解説した枯山水をモチーフにしたボードゲームがあります。

このゲームでは、プレイヤーが禅僧となり、美しい日本庭園をつくっていきます。勝利の決め手は「庭園の美しさ」。芸術点を競い合うゲームです。詳しい内容はこちらの記事をぜひお読みください。

徳を積むボードゲーム「枯山水」のおもしろさを解説

参考:雑誌「和樂」2004年5月号(監修・宮元健次)

※写真は過去の「和樂web」の記事を再編集しています。