今年GWに伊勢神宮の内宮と外宮を参拝した人は、たったの7174人。前年比で99%減と発表されました。お伊勢参りに行けなくて辛い思いをした方も多いはずです。お伊勢参りが人々に浸透したのは江戸時代で、多いときには年間400万人以上(当時の人口の約6分の1)が参拝しました。なぜこんなに人気だったのかというと、「御師」という人々の存在が大きかったようです。
お伊勢参りの「御師」とは何者か?600年以上の歴史あり
御師はもともと「御祈祷師」の略で、「おし」または「おんし」と呼びます。特定の寺社に属して、参詣者の参拝や宿泊を世話する役割を担っていました。伊勢信仰における御師の起源は7世紀末に遡ります。伊勢神宮の社殿が創建されたのが680年頃と言われていますが、渋谷章社中所蔵の『神道目類聚鈔(しんとうもくるいじゅしょう)』という江戸時代の神道辞典によれば、それ以前の672年の壬申の乱の時には既に御師の原型があったのだとか。壬申の乱に出かける大海人皇子(のちの天武天皇)が三重県桑名に差し掛かったとき、村人が伊勢太神楽の獅子舞を披露してお慰めをしたそうです。このおもてなしに、大海人皇子もさぞ奮起したことでしょう。
室町時代からは様々な地域をまわり、伊勢信仰の広布や参宮勧誘をしたと言われています。また、神楽師を配下に連れて歩き、神札配りや曲芸の披露なども行なったようです。江戸時代にお伊勢参りが大ブームになると、御師の活躍の場も広がり、誰もが人生に一度は行かなければと思うほどに発展しました。この最盛期の頃には全国で2000人ほどの御師が活動していたようです。明治維新後に伊勢神宮の御師制度という仕組み自体は解体されてしまいましたが、現在でも各地を巡業する風習は続いており、600年以上も継承されています。
御師は優秀な宣伝マンだった
では具体的に、御師はどのように伊勢信仰の広布や参宮勧誘をしてきたのでしょうか。小説家の司馬遼太郎は御師のことを「電気店や新聞販売店のようなもので、お伊勢さんの宣伝マン」という言葉で表現しましたが、まさに身近にふらっと家を訪問するような人々と言えるかもしれません。地域の家を一軒一軒まわり、丁寧に祈祷を行うようです。
まず、家の中に入り、竃払い(かまどばらい)をします。竃は人間が生活していく上で食に関わる最も大事な場所で、古来、神が降臨する所と言われていました。無事にお米を炊くことは家内安全の証であり、防火や防災のような意味もあるようです。竃払いが終わった後に、家の前で獅子舞も演じます。これを「神来舞」と言い、家の住人のお祓いをして幸せを願うようです。
また訪問の際に、ありがたい神札や伊勢暦を配布します。室町などかなり古い時代では1年の日数の感覚がないという人が少なくありませんでした。このため手にした暦は生活に大きな変化をもたらしたことでしょう。携帯を見ればすぐに日付と曜日を確認できる昨今では想像もつかないことですが、当時の人にとって暦は大変貴重なものだったのです。伊勢暦は信頼できるということで、多くの人が使用しました。人と会う約束が格段にしやすくなるなど、生活を格段に便利にしたに違いありません。
また、御師がまわるのは家だけではありません。神社や公民館などもめぐり様々な曲芸も行います。まさに芸能の達人というべきでしょうか。1年中旅をし、芸を披露して生きているのです。路上で大道芸を行う人々がいますが、あのイメージと近いのかもしれません。それに信仰の要素が加わって、人々の不安を取り除いてくれるようなありがたい存在でもあるのです。
気軽にお伊勢参りに行けない人は伊勢講を作る
御師が伊勢信仰を伝えた地域では「伊勢に行くぞ」と大変盛り上がります。しかし、そこでネックになるのが時間やお金です。近代以前の移動手段は基本的に徒歩でしたし、伊勢神宮から遠いところであればあるほど、詣でるのが難しいです。そこで、人々は伊勢講というコミュニティを組織します。まずは講田や講畑という共有の田畑を作り、作物を育てて販売して、資金作りをするのです。それを資本にして、年に数回の神事と毎年のお伊勢参りを実現させます。
もちろん講のメンバー全員が一斉に家を開けることはできません。そこで代参者を決めて自分の代わりにお伊勢参りをしてもらいます。選ばれた人は参詣を終えた後に戻ってきて、待っていた講員に神札を配ります。それを受け取ることで全員が神のご加護を受けたことになるのです。もちろん、余裕のある人は講には入らずに個人で参詣するようですが、そうでない人はこのように工夫してお伊勢参りを実現します。伊勢講は憧れの伊勢参詣をみんなで団結して行うだけに、実現した時の喜びもより一層大きなものになるでしょう。
お伊勢参りに行く人は全部無料でおもてなし
こんなに苦労してまでも実現するお伊勢参りですが、無料で旅をして節約する方法もあったようです。江戸時代と現在を比較すると感覚に差がありそうですが、当時は1年間に人口の約6分の1がお伊勢参りをする時代なので、気軽に旅できる工夫も色々と考えられていたのでしょう。
まずは「抜参り(ぬけまいり)」です。これは奉公人や若者が主人や親に内緒でお伊勢参りに出かけ、無一文で施しを受けながら参詣を実現するというもの。信仰の目的に加えて世間を見るという成人としての通過儀礼的な一面があり、内緒で行っても世間は咎めない風潮があったようです。犬や幼児が自分だけでお参りしに行ったなどという信じられないような逸話も残っており、道中の人々に温かく見守られて旅ができたことがよく分かります。
このような風潮もまた、御師をはじめ旅をサポートする人がいたから生まれたと言えます。御師は参拝を行う信者に対して、宿坊や料理の案内や提供などを行なっていたようです。これはとても嬉しいおもてなしですね。つまり、御師は先ほど述べた優秀な宣伝マンという一面に加え、旅行プランナーやツアーコンダクターのような顔も持ち合わせていたということです。
お伊勢参りを御師のおもてなしで楽しむ
このように多種多様な仕事をこなす御師という存在が、お伊勢参りを全面的に支えていたことは事実です。この御師の集団はある意味、最初期の旅行会社と考えることができるかもしれません。しかし、その仕事内容には現在ある旅行会社もきっと驚くことでしょう。
日本全国を足で回り、芸能を披露したかと思えば、神札や暦配り、宿坊や料理の案内と提供まで行います。伊勢暦の配布や豊作祈願の対価としてのお米を初穂料としてもらい生計を立てる一方で、宿坊や料理の案内と提供でお金を取らないというビジネスモデルを確立して、気軽にお伊勢参りができる風潮を作りました。その成果は江戸時代に年間400万人が詣でたという数字を見れば明らかです。今日、伊勢神宮は日本で最も有名な神社の1つですが、その信仰の陰には600年の歴史を誇る御師の存在があります。新型コロナウイルスなどで外出をしにくい状況が続きますが、伊勢神宮の参拝について考えるときにこの御師に注目してみるのも良いかもしれません。
アイキャッチ画像:歌川広重 「伊勢参宮略図并東都大伝馬街繁栄之図」 国立国会図書館デジタルコレクション