「不調を感じたらすぐに休む、在宅勤務を推奨する、時差通勤を励行する」――。新型コロナウイルス(以下、コロナ)禍が促した働き方の見直しだ。国策たる「新しい生活様式」の一環ともいえる。
しかし、こうした「心構え」を感染症対策商品製造のサラヤ株式会社(大阪市)は今回の事態を迎えるずっと前から実践していた。「従業員の健康は企業活動にとって貴重な経営資源であるため、日ごろからさまざまなリスクに備える必要がある」との考えに基づくものだ。
サラヤの名を全国に広めたのは、赤痢予防の手洗いを目的として1952年に発売した日本初の薬用石けん液と専用容器である。トイレでよく見かける緑色の石けん液と言えば思い浮かぶ人も多いだろう。以来、同社の歩みは感染症対策のそれと足並みを揃えている。実際、コロナ禍でも医療機関向けから家庭用まで供給のための増産体制に力を入れた。
併せて、他の自然災害に狙いを定めた事業継続体制(BCP)も整備。「従業員の健康を最優先に行うことが事業継続の第一歩」という更家悠介社長に、感染症対策商品を手がける専業社の立場から「現在進行形」の取り組みを聞いた。
2019年12月ごろに感じ始めた「異変」
ーーズバリ、コロナの第一報はいつ、どのような形でもたらされたのですか。
更家:(以下略) 2019年の12月ごろから、なんとなく「異変」を感じていました。生産委託していた中国の工場が国の統制下に入ったからです。そのせいで月の後半にはマスク供給の道の一つが途絶えてしまった。
国内で感染者の発生が確認された20年1月下旬以降は問い合わせが増加しました。あてにしていた中国からの輸入分は備蓄分をやりくりしていたものの、2月末にはついに底をつきました。
ーーマスクばかりでなくティッシュペーパーやトイレットペーパーが全国の小売店頭から姿を消し始めたころですね。
はい。発注件数の急増で電話がつながらない状態が続きました。やむなく、オンライン注文に誘導。個人需要ばかりでなく、事業所や医療施設からの注文も押し寄せました。
前年同期に比べてざっと3倍です。既存顧客だけでなく、新規受注分が増えたせいです。殺到する受注をさばくため、国内の工場をフル稼働し、三交代で臨みました。それでも生産量は倍にとどまりました。
ーー働き方改革に逆行する増産体制を組んでも追いつかなかった。
そのままだと迷惑がかかるので既存の顧客に「新型コロナウイルス感染症対策商品の供給に関するご案内」という書面を3月に通知しました。
例えば、サージカルマスクは「注文受付を停止」、それ以外の個人防護具は「通常納期では届けられない」、手洗い石けんやアルコール手指消毒剤も同様の状況であることを伝えました。
手指消毒用アルコールの生産量を6倍に
ーーコロナが経営に与えた影響をどうみていますか。
すでに申し上げたように多くの注文がどっと押し寄せました。しかし、当社の思いとは裏腹に、資材供給や生産能力に限りがあるため、すべてが行き届いているとはいえない状態です。
ただ、使命や責任を全うするため、顧客の意向を確認したり、生産スケジュールをやりくりしたりして早急な対応に努めています。併せて、代替品の提案や製品のスクラップ&ビルドも進めています。
ーー生産体制や人員配置はどのように変わりましたか。
5月度には衛生関連用品、特に手指消毒用アルコールの生産量を前年の月平均の約6倍まで引き上げました。市場や政府からの要請に応えるためです。これに伴って、国内の製造拠点では緊急時増産体制を整えました。
たまたま関東工場(茨城県北茨城市)が3月に稼働を始めたので、ハンドソープやアルコール除菌スプレーなどの生産体制は順次改善しています。
人に感染するコロナは7種類
ーーサラヤさんの名を全国に知らしめたのは伝染病である赤痢予防のための石けん液(1952年)によってでしたね。
ええ。手洗いと同時に殺菌・消毒ができる「公定書外医薬品」という扱いで、全国の学校や事業所の手洗い場に置かれました。61年にはうがいの励行を目指す「うがい器」が公害対策商品として小学校に設置されました。
90年には速乾性手指消毒剤「ヒビスコール液」を発売。幅広い菌に持続的に効くことから世界進出の大きな足掛かりにもなりました。
ーー会社の歴史は感染症対策を狙いとする手指衛生管理の歴史でもあるわけですね。
結果的にそうですね。実は、人に感染するコロナはこれまで7種類見つかっているんです。その一つが今回のウイルスです。
ーー最も新しいタイプなので文字通り「新型~」と呼ばれるわけですね。
おっしゃる通り。ちなみに、新型を除く6種類のうち4種類は一般のかぜの原因の10~15%を占めていて、多くの場合軽症にとどまります。
残り2種類のウイルスは2002年に発生した「重症急性呼吸器症候群(SARS=サーズ)」と12年に発見された「中東呼吸器症候群(MERS=マーズ)」です。
ーー未知の感染症に対する備えはどのように。
サーズやマーズばかりでなく、ノロウイルスや新型インフルエンザなど、近年、社会を不安に陥れる感染症が増えています。そのためには、事が起きてからでなく、事前の備えが肝心です。よく知られているように、治療薬の開発には治験や法的な手続きなどに膨大な時間と資金を要するからです。
――それが新薬普及のネックになっている面もありますね。
その一助になればという願いを込めて、当社は「サラヤ微生物研究センター」という自前の研究施設を運営しています。
外部の検査機関と連携して病原コロナの研究を続けているところです。当社の強みですね。
グローバルネットワークの構築を
ーー時を戻します。コロナ禍対応で最も苦労したのはどんなことですか。
生産、在庫数量をはるかに上回る発注をいただいたことです。それらに応えるべく供給体制を整えるのがメーカーとして急務であるにもかかわらず、残念ながら現在も受注残を抱えている状況です。
このため、3月に出した通知では、書面の最後に「しばらくの間、新規でのお取引はお受けいたしかねます」と添え書きせざるを得ませんでした。苦渋の決断でした。
ーー中国をはじめとする海外製造拠点の稼働状況は。
現在、世界9拠点に工場を展開していますが、進出先の各国政府等の行動制限令に基づいて、ほぼ通常通りに稼働しています。
ーーコロナ対応で学んだことや気づいたことがあればお聞かせください。
今回のようなパンデミック感染は03年に広まったサーズ、09年の新型インフルエンザのように、ほぼ10年単位でグローバルに発生しています。ということは、今後も発生する可能性が予想できるわけです。
ですから「次」に備えるためには、グローバルな対応と各国の協力が不可欠です。当社も、その予防や対応ができる企業として、グローバルネットワークの構築と実践的な活動を充実させたいと思っています。
大阪本社と東京サラヤにランクルを配備
ーーコロナ禍を契機とする「新しい生活様式」で叫ばれた働き方を普段の心構えとして何年も前に導入されていることに驚きました。
「不調を感じたらすぐに休む、在宅勤務を推奨する、時差通勤を励行する」ということですね。その心は、企業活動にとって従業員の「健康」は貴重な経営資源だと考えているからです。いわば「健康第一主義」の実践。
ですから、その具体策として、毎年秋ごろにマスクや手洗い石けん、うがい薬、消毒用アルコールを全社員に配布しています。もちろん、インフルエンザ予防対策です。
そして、新型インフルエンザ流行時に作成した「行動指針」と「社内対策指針」をインフルエンザ以外の感染症流行時にも使えるように使えるように整備しています。
また、本社と東京サラヤに1台ずつ、悪路に強いランドクルーザーを配備して、災害時の救援に使えるようにしています。阪神淡路大震災の時、がれきの山に行く手を阻まれた経験を生かしたものです。
ーーランクルの配備はまさにBCPの実践的な取り組みといえますね。
BCPは11年の東日本大震災を機に危機管理対策の一環として導入しました。自然災害や大火災などの緊急事態に遭遇した場合に事業継続するための方法や集団を取り決めておく必要があるからです。今回のような感染症の大流行も対象です。
創業以来、感染症対策商品を数多く手がけてきたから言えるのですが、BCPにおける感染症対策の基本は「従業員の健康を第一に考える」ことです。感染予防の基本は手洗いとうがいです。
今回のような流行時に限らず、常にトイレや手洗い場に手洗い石けんやアルコールを常備して正しい手洗い方法を知り、習慣づけることが大切です。
根拠に基づいた製品開発に努める
ーー手がける製品や事業による社会的使命について、どのような思いをおもちですか。
当社ができることは医療や福祉、公衆衛生をはじめ、一般消費者の感染予防や治療分野に衛生基材を十分に供給することです。ですから、従業員総出で企業の社会的使命が達成できるように頑張りたいですね。
ーーコロナ収束の見通しとその根拠をお示しください。
ワクチンに関しては世界各地で開発競争が行われていますが、私たちが使えるまでにはまだ少し時間がかかるとみています。海外ではいまだ多くの感染者が出ている国もあります。国際的な交流も大きく制限を受けています。
日本では緊急事態宣言が解除されましたが、経済活動の正常化にはまだ時間を要すると思います。そう考えると、サーズや新型インフルエンザの時のように急激にではなく、徐々に回復していくのではないか。そういう前提で今後の製品供給やサービス提供に努めたいと思っています。
ーー製品を使われる病院や個人に対する、メーカーとしてのメッセージがあれば。
衛生や医療関連の事業にとって重要なのは「根拠に基づいた製品開発」です。この点は譲れない。ですから、私たちも常にそのことを胸に、製品をお届けします。