男が美女に弱いのは、いつの時代も同じ。でも、美女のお願いを聞いてしまったばっかりに、滅ぼされてしまった武将がいたのです。なぁ~にぃ~? やっちまったなあっ!
美女の名は。
そんなとんでもない事件が起きたのは、平安時代末期。
美女の名前は常盤御前(ときわごぜん)、武将の名前は平清盛(たいらのきよもり)です。
平治の乱に勝利した清盛は、敵方の武将・源義朝(みなもとのよしとも)の側室だった常盤御前に惹かれます。美貌のみならず、捕らわれた母と幼い3人の子どもらの助命を請う健気な姿に心打たれたのだといいます。
清盛は常盤御前の願いを聞き届け、将来の禍根になりうる常盤御前の子ら、今若・乙若・牛若も助けたのでした。
助けた牛に滅ぼされ……
常盤御前の子は清盛の庇護のもと、すくすくと成長していきます。
その中の1人、牛若が、後の源義経となるのです。
義経は兄・頼朝の挙兵に応じていくつもの合戦で活躍し、ついに清盛ら平家を滅ぼしてしまったのでした。
――と、いうのがよく知られる物語。
やっちまっていた……とも言い切れない
しかし、最近の研究によると、清盛はそこまで「やっちまって」はいなかったよう。
平治の乱に参戦していた義朝の嫡男・頼朝の助命がすでに決まっていたこと、そもそも義朝は平治の乱の首謀者ではなく巻き込まれただけであったこと、義朝の都における影響力や軍事力が清盛の脅威にはならないレベルだったことなど、常盤御前の子どもたちの助命は、彼女の美貌とはさほど関係なかったのでは、と見る説が主流となっているようなのです。
歴史は往々にして脚色されて伝わります。でも、事実でなかったとしても、こうした話にはわくわくさせられてしまうものですね。
アイキャッチ画像:スミソニアン博物館所蔵品より
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