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2023.11.10

王朝サロンのヒロイン!中宮・藤原定子を照らした光と影

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藤原定子(ふじわらのていし/さだこ)は平安時代に一条天皇から寵愛された中宮(ちゅうぐう/后のこと)。2024年の大河ドラマ『光る君へ』では、女優の高畑充希(たかはたみつき)さんが演じます。

定子は才気にあふれる女性で、『枕草子』を執筆した清少納言を従えて、宮中で和歌を詠んだり、音楽を楽しんだりするような文化的なサロンを開きました。しかしその後、政治的な後ろ盾をなくし、苦境の中、若くして命を落とします。

摂関家の姫として、一条天皇に嫁ぐ

定子は貞元元(976)年、のちに摂政・関白となる藤原道隆(ふじわらのみちたか)の娘として生まれました。母は高階貴子(たかしなのきし/たかこ)という宮仕えの経験を持つキャリアウーマンで、当時の女性としては珍しく漢字を書きこなすことができたと伝えられています。母の教育により、定子もまた漢詩や漢籍の教養を持つ知的な姫君へと成長しました。

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そして15歳を迎えた正暦元(990)年、まだ11歳と幼い一条天皇の内裏に入り、中宮となります。
一条天皇の母は、道隆の妹である藤原詮子(せんし/あきこ)。入内時の関白は、定子と一条天皇の祖父である藤原兼家(かねいえ)です。つまり、二人はいとこ同士という間柄。定子の入内は当然ながら、摂関家の権力を強めるための政略結婚でした。

清少納言は見た!一条天皇と中宮定子の仲

定子の女房(にょうぼう/貴族に仕える女性)として宮中で働いていた清少納言は、随筆『枕草子』に、一条天皇と中宮定子の仲睦まじいエピソードを残しています。その中には、まるで姉と弟のように無邪気な、こんな場面も。

御仏名(みぶつみょう)のまたの日
仏事の翌日、地獄絵の屏風を中宮様にお見せしようと(一条天皇が)いらっしゃった。とても気味の悪いことといったらない。中宮様は「(清少納言も)見なさい、見なさい」とおっしゃるけれど、お側にはべらずに隠れてしまった。(『枕草子』 第77段より)

まるでいたずらっ子のような笑

第77段の本文はこの後、「雨が降っていて退屈だからと、(一条天皇が)殿上人をお呼びになって、(管弦の)遊びをなさった」と続きます。殿上人というのは、天皇の生活空間がある清涼殿に昇ることを許された身分のある人々のこと。きっとにぎやかに音楽を楽しんだのでしょう。

一条天皇は笛の名手として知られ、漢詩や漢籍を好んだと伝えられています。明るい性格の定子とは、気が合ったかもしれません。

またの夜(次の夜)、中宮様は夜の御殿に参上なさった。(『枕草子』 第293段より)

夜の御殿(おとど)とは、清涼殿にある天皇の寝室を指す言葉です。『枕草子』の中には、定子が一条天皇の寝室へと赴くシーンもあり、幼くして寄り添った二人の間に、やがて男女の愛が育まれていったことが分かります。

宮中に「定子のサロン」がオープン

『枕草子』には、定子の知性がキラリと光るエピソードも数多く登場します。

雪のいと高う降りたるを
雪がとても高く降り積もったので、女房たちはいつもなら上げる格子(雨戸)を下ろしたままで、炭櫃(すびつ)に火をおこし、話などしながら集まっていた。
そこへ中宮様がいらっしゃって「少納言よ、香炉峰(こうろほう)の雪はどんなかしらね?」と仰せになる。
(香炉峰の雪は、簾を上げて眺めるという白楽天の漢詩を思い出して)格子を上げさせ、御簾(みす)を高く巻き上げたところ、お笑いになられた。(『枕草子』 第280段より)

田米知佳画集(国立国会図書館デジタルコレクションより)

無名(むみょう)といふ琵琶
無名という名前の琵琶を、主上(天皇)が持っていらっしゃったので、女房たちで拝見して、鳴らしてみたりした。(中略)「これの名前は、なんというのでしたっけ」と問いかけたところ、「とるに足らないもので、名前はないのよ」と中宮様がお答えになったのは、さすがでいらっしゃる。(『枕草子』 第89段より)

共通認識としての知識があったからこそ、ということなのでしょう。それにしてもなんとセンスの良い♪

中宮となった定子の元には、選りすぐりの貴族の娘が女房として仕えていました。美しく賢いと評判の女房たちと親しくなりたい若君たちも集い、宮中には定子を中心として、気の利いた会話や芸術を楽しむサロンが開かれたのです。

田米知佳画集(国立国会図書館デジタルコレクションより)

「中関白家」の栄華と失脚

定子の入内後、道隆は摂政・関白を歴任し、兄弟も出世しています。一族の勢いは、とどまることを知らないかに見えました。

関白殿、黒戸より出でさせたまふとて
関白殿が黒戸(清涼殿北廊の西)からお出ましになり、女房たちがずらりと控えている間を「なんとすばらしい女房がたよ」とかき分けるようにして進んでいらっしゃる。(中略)権大納言様が沓(くつ)を取り、履かせてさし上げていらっしゃる。そのご様子もとても立派ですばらしい。(中略)宮の大夫(だいぶ)殿は、清涼殿の戸の前に立っていらっしゃって、膝をつくことはないだろうと思ったけれど、関白殿が少し歩き出すと、なんと、すっとひざまずかれた。(『枕草子』 第124段より)

清少納言が関白・道隆の堂々たる姿に感じ入るこのシーンで、履物を差し出している権大納言様というのは、道隆の息子で定子の兄の藤原伊周(これちか)。すでに大臣に次ぐ役職についています。
清少納言が膝をつくか、つかないかと眺めている宮の大夫殿というのが、のちに権力者となる藤原道長(みちなが)。道隆の弟で、定子にとっては叔父ですが、この時の役職は中宮職(ちゅうぐうしき/中宮に関する庶務を行う)の長官と、まだそれほど高くはありません。

しかし、道隆が長徳元(995)年に病で亡くなると、一条天皇の母・詮子は道長を次の関白にと推薦し、状況が一変します。

亡き父・道隆の後を継いで、関白になるかと期待された兄の藤原伊周は、翌長徳2(996)年、一族の従者が花山天皇の従者と乱闘を起こした事件をきっかけに、不敬であると批判され、失脚。
それを聞いた定子は、一条天皇の子を妊娠中の身でありながら発作的に鋏で髪を切り落とし、出家しました。

平安時代もけっこう権力争いバチバチですね……。

こうして道隆の一族は後世、摂関家の権力を固めた父の兼家と、のちに栄華を極める道長の中継ぎの関白という意味で「中関白家(なかのかんぱくけ)」と呼ばれることになるのです。

後ろ盾を無くした定子を支えた人

一条天皇は、後ろ盾を無くした定子を見捨てませんでした。二人の間には長徳2(996)年に第1子となる皇女が、そして長保元(999)年にもまた、第2子となる敦康(あつやす)親王が生まれています。

摂関家が天皇の外戚として権力をふるった時代、後ろ盾のない定子を寵愛し続けたことで、一条天皇は公卿たちから批判されることもあったようです。
長保2(1000)年には、出家をした中宮では役目を果たせないだろうと、道長の娘である藤原彰子(しょうし/あきこ)が中宮の座につき、定子は形ばかりの皇后になりました。

清少納言は『枕草子』の中で、中関白家の失われた栄華をうっすらと懐かしむことはあっても、定子がさらされた苦境について、具体的にはほとんど触れていません。
第47段には、清少納言が親しくしていた藤原行成(ゆきなり)との気の置けない、のろけのような会話が綴られていますが、その後半にさりげなく、定子と一条天皇がともに夜を過ごした翌朝の様子を記しています。

つとめて日さし出づるまで
明け方まで式部の女房と入り口の小部屋で休んでいたら、奥のお部屋から上の御前(おまえ/天皇)、宮の御前(中宮)が出ていらっしゃった。(清少納言たち女房が)すぐに起きられず慌てているのを見て、大笑いなさった。(中略)殿上人の中には気がつかずに寄ってきて、女房に話しかける者もいるけれど、お二人は「我々がここにいると気づかれないように」と笑っていらっしゃる。(『枕草子』 第47段より)

最後は愛とプライドだけを手に……

長保2(1000)年の暮れ、25歳の定子は第3子となる皇女を出産しますが、後産(のちざん/胎盤が出ること)が進まずに命を落としました。
いつ死を予期したのか、寝室の御帳台(みちょうだい/四方に帳を下す寝室の調度)の紐には、一条天皇に宛てた辞世の句が結びつけられていたといいます。

夜もすがら 契りしことを 忘れずは 恋いむ涙の 色ぞゆかしき
―夜通し愛を誓ったことを忘れていなければ、恋しいと血の涙を流してくれるでしょうか。あなたの涙の色が知りたいのです―
(『後拾遺和歌集』より)

定子の葬儀は、親しかった人々の姿すらない、寂しいものでした。
一条天皇は身分の高さゆえに、葬儀に参列することはできません。葬送の時刻に喪服をまとい、次の返歌を詠んだと伝えられています。

野辺までに 心ひとつは 通へども 我が行幸(みゆき)とは 知らずやあるらん
―あなたが葬られる野辺まで付き添うことはできないけれど、心だけは雪のなかを一緒に歩いてゆきます。けれどあなたはもう、私が一緒にいると知ることすらないのでしょう―
(『後拾遺和歌集』より)

一条天皇の后として輝いた定子は、そのまぶしさゆえに政治的な思惑を持つ人々から警戒され、日影へと追いやられて、命を削ったのかもしれません。
それでも愛とブライドだけは、誰も奪うことができなかったのです。

*平安時代の人物の読み仮名は、正確には伝わっていないことが多く、敬意を込めて音読みにする習慣があります。
*年齢は生まれた年を1歳とする数え年で、現在の年齢の数え方とは異なります。

アイキャッチ:『田米知佳画集』雪月花圖(国立国会図書館デジタルコレクションより)

参考書籍:
『一条天皇』著:倉本一宏(吉川弘文館)
『日本古典文学全集 枕草子』(小学館)
『日本大百科事典(ニッポニカ)』(小学館)
『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社)

書いた人

岩手生まれ、埼玉在住。書店アルバイト、足袋靴下メーカー営業事務、小学校の通知表ソフトのユーザー対応などを経て、Web編集&ライター業へ。趣味は茶の湯と少女マンガ、好きな言葉は「くう ねる あそぶ」。30代は子育てに身も心も捧げたが、40代はもう捧げきれないと自分自身へIターンを計画中。

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人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。