Culture
2020.08.10

ビリケンさんとは? 大阪で愛される神様の意外な由来

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大阪のシンボルとして親しまれている展望塔・通天閣。周辺の新世界エリアは、名物の串カツ店などが立ち並び、コテコテの大阪が満喫できる場所です。展望台に鎮座するビリケン像は、『ビリケンさん』として市民に親しまれてきました。ビリケンは大阪誕生の印象ですが、実はアメリカ生まれだというのはご存知でしょうか?ルーツを地元民がじっくりと掘り下げてみたいと思います!

ビリケンさんって何者?

ビリケンは尖った頭とつり上がった目が特徴の子どもの姿をした神様です。このユニークで愛くるしい姿は、明治41(1908)年にアメリカの女性芸術家が、夢の中に現れたイメージを作品にしたのが始まりと伝えられています。

美術教師でイラストレーターであったフローレンス・プレッツは、「人々の希望と幸福の象徴になるようなデザインを考えました」と語っています。最初に粘土で作ったビリケン人形には、ペルシャの詩人の詩の一説を記した紙切れを中に入れていたそうです。その後、ビリケンは様々なグッズや銅像の形で世界中に広がりました。


フローレンスは少女の頃から日本の文化に興味を持っていたと言われ、ビリケンの造形にも東洋美術の影響が見られます。今日、通天閣界隈でこれほど愛されている理由は、生みの親の思いが影響しているのかもしれませんね。ビリケン像は正面に足を突き出していますが、足の裏をなでると願いが叶うと言われています。

初代通天閣は、パリのエッフェル塔をイメージ

現在私達が目にしている通天閣は2代目で、初代は明治45(1912)年に建設されました。意外にも通天閣はパリのエッフェル塔を真似たものだったとか。凱旋門にエッフェル塔の上半分を乗せたイメージの、斬新なデザインに浪速っ子は驚きました!おまけに初代通天閣は、娯楽施設・ルナパークのホワイトタワーとロープウェイで結ばれていたのです。観客は、当時東洋一を誇る高さ75メートルの通天閣から、ルナパークの入り口へ向かうまでの空中の景色を楽しんだそうです。

当時の人にとって、通天閣一帯は憧れの場所だったのでしょう。田舎から大阪へ出て裸一貫で起業した祖父は、「夢のような通天閣を見て、がんばろうと思った」と生前に聞かせてくれたことを思い出します。

現在のビリケンさんは、3代目

当時流行していたビリケン像は、ホワイトタワー内に設けられた「ビリケン堂」で展示されて名物となっていました。ところが1923年にルナパークが閉鎖され、それ以降ビリケン像は行方不明になってしまいます。1943年には初代通天閣が間近にあった映画館からの延焼火災で焼け落ちるなど、不幸が続きます。

その後、地元新世界有志らによって再建話が持ち上がり、苦難の末に1956年に現在の通天閣が完成。通天閣復活から約20年後、かつて新世界の名物であったビリケン像を復活させようという機運が高まります。初代を復元した木彫りのビリケン像は、展望台に展示されて通天閣の公式キャラクターとして定着します。2012年には通天閣100周年のリニューアルに合わせてビリケン像も代替わりに。2代目の引退時には、足裏を約30年間なでられ続けた証で4センチほどくぼんでいたそうです。

3代目ビリケン像はクスノキの一本彫りで、2代目よりも一回り大きいのが特徴です。像内には金のビリケン、「ビリ金さん」が納められ、腹ごもりの像となっています。

感動の名作映画『哀愁』にも登場

1940年公開のアメリカ映画『哀愁』では、ビリケン人形が物語の重要な小道具として登場しています。主演はヴィヴィアン・リーとロバート・テイラー。ヴィヴィアン・リーは、アカデミー主演女優賞を獲得した『風と共に去リぬ』のヒロイン役の印象が強いですが、自身は出演作の中で最も好きな作品だったと語っています。原題はイギリス、ロンドンのテムズ川に架かる橋『ウォータールーブリッジ』。

英独開戦の日。開戦により慌ただしい中、イギリス人将校のロイ・クローニン大尉は予定を変更して、ウォータールー橋に佇んでいました。過去の思い出に浸るロイ大尉の手には、ビリケン人形が握られていました。

舞台は第1次大戦たけなわの頃に遡ります。ロイは、バレリーナのマイラとウォータールー橋で出会い恋に落ちます。周囲に祝福されて2人は結婚の約束をしますが、ロイに招集がかかります。マイラから渡されたビリケン人形を手にして、ロイは戦場へと赴きます。

その後、マイラは彼の母親に会いに行く途中で、ロイ戦死のニュースを新聞で読み絶望します。1年後、街の娼婦に身を落としたマイラは、駅で偶然にロイと再会します。戦死は誤報だったのです。

喜んだロイは、マイラをスコットランドの広大な屋敷へ連れ帰ります。あまりにも幸せなひとときと、自分を善良だと信じるロイの母親の言葉から、マイラは苦しみます。そしてロイの母親に全てを打ち明けて、置き手紙を残してロンドンへと帰って行きます。マイラの手には、これからは一心同体だという思いを込めてロイから渡されたビリケン人形がありました。

マイラを探しにロンドンへとやって来たロイは、周囲に聞き取りをする中で、マイラが姿を消した理由を理解します。そして、マイラは2度と自分の前に姿を見せないだろうと悟ります。その頃、思い詰めたマイラは、ウォータールー橋で軍用トラックに身を投げて自らの命を絶ってしまいます。事故現場にはビリケン人形が落ちていました。

ビリケンさんは、身近な神様

ビリケンは日本で流行すると、通天閣の他にも商店や民家で祀られて、手を伸ばせば届く距離にいてくれる身近な神様として愛されてきました。現在も大阪市此花区、春日出商店街や、箱根登山電車箱根湯本駅プラットホームなど各所に現存しています。関西では宝くじ売り場のカウンターに設置しているのも見かけらます。

愛嬌のある姿、形でありながら、実際は神様であるというギャップ。親しみやすい『ビリケンさん』は、先行きの見えない時代の希望の光として、これからも人々に愛され続けることでしょう。

※参考文献:『ヴィヴィアン・リー 風と共に去りぬ』筈見有弘 福田千秋編集 芳賀書店

書いた人

幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。十五代目片岡仁左衛門ラブ。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。