コロナウィルスに限らず、インフルエンザにしろ風邪にしろ、感染を拡大させないためには清潔が一番。これに異議を唱える人は誰もいないだろう。
しかし、常識というものは、時代によっても変わる。
不潔であればあるほど清らかでよいと賞賛されていた時代があったなど、あなたは信じられるだろうか。
水と湯は憎むべきもの
病気の原因となるウィルスや細菌は、さまざまな経路から私たち生物の口や鼻、のどなどから体の中に入り込んでくる。空気感染や飛沫感染など、ウィルスによって若干の違いはあるものの、多くはウィルスの侵入さえ防ぐことができれば理論上は感染しない。
14世紀のヨーロッパではペストが蔓延し、多くの死人が出ていた。そのころの知識であっても、なんらかの菌が病の原因であるということは認識してはいたようだ。患者からの感染を防ぐために、まるで鳥のくちばしのようなマスクをつけた医者の絵姿が残っている。
医師シュナーベル・フォン・ローム(ドイツ語で「ローマの嘴の医者」)を描いたパウル・フュルストの版画(1656年)
(PHOTOGRAPH BY ARTEFACT, ALAMYより)
そんな彼らがたどり着いた結論がこれだ。
「体表の孔を塞いでおけば、感染を防ぐことができる」
結果、発生源と断定されたのは公衆浴場である。風呂に入れば毛穴が広がる。今ではペスト菌はネズミが運ぶことが有力な説となっているが、当時は水が原因だとされた。体表の孔を水に浸さなければ、ペストだけでなく水中に存在するわけのわからない病気を防ぐことができる。浴場はクラスターの温床とされ、瞬く間に風呂に入る習慣は廃れていった。フランス王シャルル7世の侍従医もパリの浴場の閉鎖を呼びかけたという。
生物にとって、恐怖という本能に抗うことは難しい。あっという間に「水と湯は憎むべきもの」となった。肌は極力濡らさないことが推奨され、顔さえ洗わないことが当然の生活は、実にその後約400年にも及んだのである。
体の清潔は魂の不潔
そもそもローマから伝わった共同浴場は快楽のイメージと強く結びついていた。もとはコミュニケーションの場であった所以だが、裸という要素も相まって、さらにはキリスト教が広まるつれ、不謹慎で禁欲的な教えに反する場所として否定されるようになっていった。
特に初期のキリスト教では、その傾向がより顕著だった。例えば、女性はワインと風呂を禁じられていた。なぜか。
野菜とおだやかなハーブを中心とした質素な食事をし、刺激の少ない暮らしをするよう力説した。熱は性欲を亢進すると考えられたため、貞淑な女性はぶどう酒(血液を温める)と湯浴みを禁じられた。
(「図説 不潔の歴史」P58)
”熱”つまり湯は性欲を増進すると思われていたのだ。
アダムとイブの蛇のエピソードに見られる通り、キリスト教では体の中に秘められた誘惑への志向は忌むべきもの。避けることが敬虔な信徒というわけだ。
さらに、入浴は、若い女性が自分の容姿に関心をもつおそれがあるのでけしからぬとされた。奴隷を使う身分の人間にとっても、「奴隷の前で裸になり世話をさせる」ことから、彼らに欲情する余地を与えるとも考えられた。つまり、自分だけでなく他人の欲望を呼び覚ますことも、その信徒の信仰の深さや清らかさが足りない、という理屈になる。
分別のある娘は、意識して自分を汚し・・・すばやく生まれついた美しい姿の見栄えが悪くなるようにする。
(「図説 不潔の歴史」P58)
乱暴な言い方をすれば、不潔であればあるほど魂が清らかで高潔である、とされたわけだ。
このようになった原因のひとつに、ユダヤ教では体そのものの穢れを大きく問題にしていたことも挙げられる。独自性を追求したかったキリスト教は、ユダヤ教からの脱却を目指した故に、体という物体に目を背け、魂だけに固執するようになっていく。
無敵なり「白くてきれいな亜麻布(リネン)」
16世紀あたりになると、入浴の習慣はすっかりたまに行うイベントのようなものになり下がっていた。ペストの脅威が消えてからも、人々はどうしても必要な時以外は体を洗おうとはしなかったし、体の分泌物は体表に保護膜を作るとかたくなに信じていた。
女房を身ごもらせたければ浴場へやって自分は家にいるべし。
(イタリアのことわざ「図説 不潔の歴史」P113)
貧困層であろうが特権階級だろうが、髪の毛にシラミやその卵、ノミなどがうじゃうじゃついていることはごく普通のことだったし、衣服で隠れる部位もノミやシラミだらけ、強い体臭は大量の香水でごまかすことが当たり前だった。
王侯貴族であれば、その傾向はさらに強まった。なんといっても最先端の医療知識を持った宮廷医師たちが細心の注意を払っているのだ。
ルイ十三世が生まれたときの記録を見てみよう。生後6週になると頭のマッサージを施し、7週では皮膚炎だらけの頭にバターとアーモンド油を摺りこむ。生後9か月で櫛を使い髪を整えたら、初めてぬるい湯で足を洗うことが許されるのが5歳の時。さらに初めて全身の産湯を使ったのが7歳だとある。
活動的な子供だけでなく、大人の日常も似たようなものだったようだから、さぞかし誰もが強固な”膜”を形成していたことだろう。
ここまで読んで、彼らは不潔であることが気にならなかったのだと断じる人も多いかもしれない。しかし、それは違う。
太陽王と呼ばれたルイ十四世が風呂に入った記録は、1665年、27歳の一回きりしかない。しかし、彼はとびきり清潔な人物という評判だったという。なぜか?王は日に三度も下着を変えていたからだ。清潔を避けていたわけではなく、彼らは自分たちが「とても清潔」だと信じていたのである。
その秘密兵器は亜麻布(リネン)だ。17世紀に清潔な亜麻布といえば、単なる布地ではなく、脂肪分と油が多い汗を吸い取ってくれる魔法の素材だった。
パリで活躍した建築家のルイ・ル・ヴォーは自身の手掛けた建築に浴室を作ることを検討したものの、却下した理由をこう説明している。
亜麻布があればよいからである。亜麻布は、今日では、大昔に浴槽や蒸し風呂が体をきれいにしたのよりずっと手軽に清潔を保ってくれる。(中略)ギリシャ人やローマ人に風呂がかかせなかったのは、亜麻布に洗浄する性質があるとわかっていなかったから、ということになる。
(「図説 不潔の歴史」P103)
さらに「体表の孔をふさげ」という志向は、服装にも大きく影響した。当時のヨーロッパのドレスにつるつるしたサテンやタフタが多用された理由は、体表をカバーするためにはきつく織られたすべすべした生地をぴったり仕立てて身に着けることが望ましいとされたからだ。
綿やウールは織目が荒すぎるとされ、貧しい人々はオイル引きの布や、ジュートやヘンプの織物で「身を守っていた」。みっしりと隅々まで覆われた美しいドレスの下に亜麻布の下着をつけることは、最先端のファッションというだけでなく、最新の健康習慣でもあったのだ。
風呂に入ると早死にする
18世紀半ばになると、ここで新たな考え方が出現した。皮膚には呼吸機能があり、孔をふさいでしまうと二酸化炭素が皮膚から排出されなくなり悲惨な結果を招くというものだ。タールを塗られた馬で行われた動物実験では、馬は皮膚呼吸ができなくなって死んだと断じられた(現代ではこれは体温調節ができないからだとわかっている)。
今までの常識がひっくり返り、清潔を保つことが奨励された。しかし、長年の風呂嫌いの文化は、人々をまっさらな赤子に戻してしまっていた。体を洗い、湯船に浸かる。それができる環境も整ってはいなかったし、せいぜい水やスポンジで部分を清めるに留まった。富める人々でさえ風呂に浸かろうとまでは望まなかったし、敬虔な人物や男性であれば湯を使うなどは「自分を甘やかす行為」だとされ、必要な場合は冷水浴で十分だと思っていた。
産業革命が起り、人々が密集して暮らようになり、貧困層を中心にチフスやコレラが流行した際には、国家の肝いりで公衆の入浴施設も作られたが、利用者はごくわずかで、特にありがたいと思うものでもなかった。むしろずいぶんな数の人々がこわがる始末だった。入浴はいまだ「危険で身体を酷使する行為」であり、垢は薬など買えない貧しい人々の体を守ってくれる唯一のものだったからだ。
「風呂に入る人は早死にする」
「垢は髪を育てる」
「長生きしたければ、肌のオイルを落とすな」
体臭がきつければ、性的能力が高いということだった。
(「図説 不潔の歴史」P187より)
現代の私たちからみれば驚くばかりだが、彼らは大真面目に「不潔な自分」を誇っていた。結果的にペストだけでなく、チフスやコレラも長く蔓延することになるが、彼らは自分たちが最適な対処をしていると信じていた。まるで魔法の布に希望を託していた時代と同じように。
安心という信仰に気をつけろ
現代では清潔はマナーになった。そんな私たちから見れば、過去の先人たちの涙ぐましい努力は、愚かで滑稽にしか見えないかもしれない。
その反動なのか、19世紀に入り、マウスウオッシュやデオドラントスプレーなどが出現し多くの「不潔恐怖症」が生み出された。
今となっては、吊革やドアノブなど、他人が触れたものに触れない人でさえいると聞く。清潔は安心のための絶対尺度になり、誰もが清潔という宗教に入信したのが私たちが生きる現代だ。
さらにはコロナウィルスという新たな敵が出現し、その動きをより拡大させてきている。
そんな現代を生きる私たちに、先人たちのような思い込みは本当にないのだろうか?
これさえしていれば大丈夫。
そんな思い込みで、必要な”孔”までふさいでいないか。
身体の隅々の孔までふさいで安心していた先人たちのように。
マニュアルやルールを守るという行為は、自分自身で考えることなく絶対的な安心をもたらす。しかし、常識はいつか覆る。清潔と不潔がひっくり返ったように。
どの時代にも「清潔」という観念はあった。ただその根拠が異なっただけだ。不確かな情報を信じ込むことがどれだけ危険なことであったか、この不潔の文化は改めて教えてくれているように思える。
そして、店舗の棚から特定の品がなくなるというニュースを見るたびに、ひそかに己を振り返るのだ。
参考文献:「図説 不潔の歴史」(THE DIRT OF CLEAN)キャスリン・アシェンバーグ著
http://www.harashobo.co.jp/book/b368286.html