マンガ『鬼滅の刃』の鬼殺隊の炎柱・煉獄杏寿郎(れんごく きょうじゅろう)の衣裳といえば、炎の模様のマントが印象的です。よく見ると、煉獄杏寿郎の髪型や刀の鍔(つば)も炎の形になっていて、かっこいいですよね!
ところで、炎をモチーフにした文様があることをご存じですか?
炎の文様は歌舞伎の衣裳にも使われています。例えば、歌舞伎『鳴神(なるかみ)』の鳴神上人が雲の絶間姫(くものたえまひめ)のハニートラップにひっかかって術が破られたことに怒り、形相が変わった時にまとっているのが炎の文様の衣裳です。
この記事では、『鳴神』を例にして、炎の文様の衣裳が歌舞伎の舞台ではどのように使われているのかを紹介します。
炎がモチーフ、「火焔文様」とは?
「火焔(かえん)文様」あるいは「火炎文(かえんもん)」は、燃え上がる炎をかたどった文様です。
火に対する信仰は、古くから世界各地にみられます。古代社会では、火・炎を神格化して崇拝の対象(=火神)としたり、火を神聖視、あるいは神の象徴と見て、宗教儀式に用いてきました。「火焔文様」には、呪術(じゅじゅつ)的な意味も託されているのです。
もともと「火焔文様」は、西アジアを起源とする拝火教(ゾロアスター教)の聖火信仰から生まれたとも言われています。それがシルクロード沿いに伝わり、仏教美術にも数多く使われてきました。
仏教美術では、仏が放つ光明をシンボライズするものとして仏像の光背(こうはい)に炎のモチーフが取り入れられています。例えば、不動明王(ふどうみょうおう)や金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)の光背は万物を焼き尽すような荒れ狂うダイナミックな炎で、人々の煩悩を鎮め、災いを振り払う意味を持っています。
日本人の自然信仰と炎の関係
「火焔文様」とは別に、宝珠の上と左右から炎が燃え上がる様を文様化した「火焔宝珠(かえんほうじゅ)文様」と呼ばれる文様があります。宝珠とは龍王の脳中より出た火炎が燃え上がっている形をした玉のことで、仏法ではこれを得ることで、いかなる願いもかなうと言われています。
「火焔宝珠文様」は、本来は吉祥文として使用されますが、狐火を連想させる形をしています。
狐火とは、闇夜に山野などで光って見える怪しい炎のことで、鬼火、火玉とも呼ばれます。狐火は、狐の口から吐き出される火であるという俗説もありますが、実際は燐化水素の燃焼などによる自然現象であるとか、扇状地などに現れやすい光の異常屈折によるものと言われています。
この画像は、大晦日の深夜、狐火の名所として知られる王子稲荷の大榎の元に、頭上に狐火を灯した狐の群れが集まるという幻想的な光景を描いたものです。王子稲荷には関八州(かんはっしゅう、相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野 の関東8か国の総称)の狐が毎年、大晦日の夜に参詣にやってきて、大榎の下で装束を改めるのだとか。画像には狐が口から炎を吐きだし、たくさんの狐火を灯す様が描かれていますが、農民たちは、狐火の多い少ないで翌年の作物の吉凶を占いました。
歌舞伎の衣裳に使われる「火焔文様」
歌舞伎の舞台でも、「火焔文様」の衣裳はひときわ目をひきます。
『鳴神』では、鳴神上人が雲の絶間姫に騙されたと知った後にぶっ返りで現れる衣裳に、燃え上がる炎の文様が施されています。
ぶっ返りとは、一瞬にして衣裳を替える「引抜」の一種です。着物の上半身の部分を仮に縫ってある糸を抜いてほどき、腰から下に垂らして鮮やかな柄の裏面を見せることで、役の性格が大きく変わったことを表現する仕掛け。「見顕し(みあらわし)」という、隠していた本性を顕したときに使われる方法です。
『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』では、雨乞いのため父母を鼓にされた狐忠信(きつねただのぶ)が親恋しさから源義経の家来・佐藤忠信に化け、鼓を追いかけます。狐忠信は、本物の佐藤忠信と鉢合わせして本性をあらわし、早変わりで狐になった時の衣裳に「火焔宝珠文様」があしらわれています。演出によっては宙乗りをする狐忠信は、まるで狐火のようです。
火焔を纏(まと)うのは荒々しい男性だけではありません。
『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』では吉原の花魁・揚巻の通称「三月の裲襠(うちかけ)」の背には、「火焔文様」をモチーフにした金色の豪華な火焔太鼓があしらわれおり、観客の目を奪います。
歌舞伎『鳴神』の炎の衣裳の意味は?
現在上演されている『鳴神』の原型は、寛保2(1742)年1月、大坂・佐渡島座で二代目市川海老蔵(二代目市川團十郎)が初演した『雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)』のうち、四幕目「岩屋の場」を独立させたもの。歌舞伎十八番の中でも、古風な趣をもつ荒事の代表作です。
『鳴神』のあらすじ
鳴神上人は、帝(みかど)より加持祈祷の依頼を受け、成功した折には祈祷所建立が約束されていましたが、約束が反故されただけではなく、洛中を追放されてしまいます。鳴神上人は、帝が約束を守らなかったことを恨み、北山にある大滝に龍神(竜神とも)を滝壺に封じ込めました。
このため、1か月あまり雨が降らず、農民たちは困り果てています。
朝廷は、雲の絶間姫(くものたえまのひめ)を使者として北山へ差し向けることにしました。
北山にやってきた絶間姫は、「亡き夫の想いの残った衣を濯(すす)ぎたいが水がないので、滝の水を求めてここまで来た」と言い、夫とのなれそめをお色気たっぷりに語って聞かせます。上人は次第に話に引き込まれ、思わず身を乗り出し、行法を行っていた壇上から転落。
気絶した上人に、絶間姫は口移しで水を飲ませます。目覚めた上人が絶間姫に疑いを持つと、姫は「出家して弟子になりたい」と言い出します。上人が弟子の白雲坊、黒雲坊を使いに出して二人きりになると、絶間姫は急に具合が悪くなったふりをします。驚いた上人は、慌てて絶間姫を介抱しますが、偶然触れてしまった胸、初めて知る女性の肌の柔らかさに骨抜きになり、ついには堕落してしまいます。
絶間姫は夫婦の盃として酒を勧め、上人を酔いつぶし、滝に張られた注連縄(しめなわ)を切って立ち去るのでした……。
妖艶すぎる女密使のハニートラップ
雲の絶間姫は、実は陰陽師・安倍清行(あべのきよゆき)の高弟。宮廷一の美女であるだけでなく、色香もあり、知性と教養を備えた女性です。竜神を封じ込めるほどの強力な術を使う高僧・鳴神上人を、絶間姫が手練手管(てれんてくだ)を使って破壊させていく様は、美貌の女スパイによるハニートラップと言ってもいいでしょう。美女の甘い言葉には、修行を積んだ高僧もだまされてしまうのです! そして、どこかエロチックな二人のやりとりは、舞台を観ている観客も思わず赤面!?
絶間姫には、宮廷一の美男として誉れ高い文屋豊秀(ぶんやのとよひで)という恋人がいました。実は、文屋豊秀には許嫁がおり、帝から「竜神を封じている鳴神上人の術を破れば、文屋豊秀と夫婦にさせてやる」という褒美があったのですが……。
密命を成功させた雲の絶間姫が文屋豊秀と結ばれたかどうかは、残念ながら、不明です。
龍と雨の関係
龍は古代中国で作り出された想像上の動物で、天に昇って雨を降らすと信じられました。その姿は、数種の実在の動物を組み合わせて作られており、角は鹿、頭は駱駝(らくだ)、爪は鷹をモチーフにしたとされています。
雲の絶間姫が大滝にかけられた注連縄を切ることにより、上人の術が破られ、滝壺から龍がかけ昇り、雷が轟き、大雨が降り出します。この場面の小道具の龍は、物語を劇的に展開させる「動く文様」ととらえることができ、雨を降らせるという祈りと記号が龍という「動く文様」の中に託されているのです。
荒事らしい怒りの演出に注目!
絶間姫にだまされたと知った上人は、怒りで髪を逆立て、炎となって荒れ狂い、止める弟子たちをなぎ倒し投げ飛ばし、雷神となって絶間姫の後を追って行きます。この場面の鳴神上人の衣裳には、雷や稲妻を曲折した直線で表した雷文が地文様として使われています。雷文は通常は右巻きと左巻きが対になる陰陽形であり、陰と陽の重なるところに雷が鳴り、雨が降るとされました。
このように、雷文や火焔文は現世のものとは思えぬ超自然的なものを表し、荒事の主人公を際立たせる特別な役割を果たしています。中でも『鳴神』では、文様が物語のダイナミックな展開の中で大きな効果を果たしていることがわかります。
炎の持つ二面性
火は人間にとって不可欠なものです。
火は人間を寒さから守るだけではなく、火を使って土や鉱石から土器や金属器を生み出し、食料を調理したり、生活に不可欠なもの。信仰や宗教儀式でも火が用いられます。一方で、火事、火山の噴火など、火には破壊的な側面もあり、表裏一体の二面性を持つ存在です。
火や炎は、一定の形や型を持つわけではなく、人間の喜怒哀楽の表情のように千変万化します。
演じる役柄の荒ぶった感情や気持ちを反映するかのように、燃えさかる炎を文様化した「火焔文様」の衣裳。視覚という面からも、演出の面からも、歌舞伎の舞台には不可欠なものなのかもしれません。
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主な参考文献
- 『日本大百科全書』 小学館 「火炎文」の項目
- 歌舞伎文様考 第14回 火焔文様 〜内に秘めた荒ぶる魂(歌舞伎美人)
- 歌舞伎演目案内「鳴神」(歌舞伎on the web)
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