Culture
2020.12.13

戦闘力抜群!こんなバイクが公道を!?80年代のレーサーレプリカブームを振り返ろう

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80年代は、全国の若者がこぞってバイクに跨っていた時代だった。

この時代、日本の輸出産業はもはや世界を席巻していた。1985年公開の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』には、様々な日本製品が登場する。ビデオカメラも腕時計もストップウォッチも主人公が欲しがっているクルマも、ありとあらゆるところにメイド・イン・ジャパンがあった。

日本人は急流のような忙しさと引き換えに、十分な可処分所得を手にするようになった。それは20歳を迎えていない若者にも伝搬する。彼らが真っ先に買い求めたのは、二輪車だった。

より速く、より力強く。80年代の日本製自動二輪車は「戦闘力」という言葉と共に発展した。

400cc全盛の時代

さて、今回筆者が記事を書くにあたり仕入れた2冊の雑誌がある。

1冊は三栄書房(現・三栄)の『モト・ライダー』1984年7月号、もう1冊はモーターマガジン社の『オートバイ』1985年11月号である。

この時代、レーサーレプリカブームというものがあった。一般層の間でも有名な鈴鹿8時間耐久ロードレースの前日に鈴鹿4時間耐久ロードレースというものが開催されていて、これがロードレースの国際ライセンスを持っていないアマチュアにとっての最高峰だったことをまずは認識していただきたい。

この鈴鹿4耐のレギュレーションだが、当時は「2スト250ccか4スト400ccの市販車」ということになっていた。明日のシャンパンファイターを夢見る若者は、鈴鹿4耐を基準に己の乗るバイクを思案していたのだ。それに加味して、日本では400cc以上は大型二輪、それ未満は中型二輪という免許区分が存在するが、当時は指定教習所での大型二輪教習は行っていなかった。だからといって免許センターでの一発試験は「東大入試より難しい」という評判だ。故に当時の若者は400cc未満の車種に甘んじるしかなかった、という事情もある。

その分だけ、400ccの取り扱いに割く熱量が非常に大きかった。たとえば『モト・ライダー』1984年7月号には、各社の4スト400ccの実測性能を比較した特集記事が載っている。ここで出てくるマシンはヤマハFZ400R、スズキGSX-R、ホンダCBR400F、カワサキGPZ400F。各車種のエンジン回転数毎の出力を表した曲線グラフや0-400m加速のタイム、コンマ1秒単位の最高速、サーキットでのラップタイムなども算出している。恐ろしく科学的な特集記事で、今現在のバイクメディアとは検証の着眼点が異なる。今であれば「街乗りの快適さ」や「走り出しのトルク(これが強いとエンストしにくく、初心者でも乗りやすい)」が最優先されるものだが……。

バイクは「戦闘力」だ!

『モト・ライダー』1984年7月号には、このような記事もある。

「スズキRG400/500Γが走る日」

この当時、スズキRG250Γは既に登場していたが、その上位版の400及び500はまだ発表前。知っている人は知っているはずだが、スズキのRGΓシリーズは怪物のような代物だ。爆発的な加速力と、タンクに穴でも開いてるのかと疑わざるを得ないほどの燃費の悪さ。2スト4気筒という、現代の環境活動家に見せたら発狂しそうなエンジンを積んでいるのだから当然だ。

だが、80年代は「戦闘力」の時代であることを忘れてはいけない。

ここで言う「戦闘力」とは、もちろんレースを念頭に置いた表現である。ロードレーサーを主人公にした新谷かおる氏の漫画『ふたり鷹』は、小学館の週刊少年サンデーで1985年まで連載されていた。この作品には「レースの神様」こと吉村秀雄も実名で登場していた。

「わしのチューンしたレーシング・エンジンは戦闘力があるっていうけどね……あたりまえさ! わしは戦闘機のエンジンをつくっているんだ!」

その考え方が公道を走るバイクにも伝わっていたのが80年代、ということだ。

カワサキ忍軍の始祖!

もう一冊、モーターマガジン社の『オートバイ』1985年11月号が手元にあるのでそちらも見ていこう。とはいっても、この『オートバイ』は何と全780ページの分厚い書籍である。遠目から見れば電話帳のようだ。インターネットなど影も形もない時代、情報は雑誌から仕入れるしかなかったからページ数がかさむのも当然の現象である。

その中でも筆者が特に気になったのは、カワサキGPZ1000RXが新車として紹介されているページである。

これはGPZ900Rの大型版で、アメリカではどちらも「Ninja」と呼ばれていた。このペットネームがそのまま、現代の「カワサキNinja」として固有名詞化する。2020年の公道を走る二輪車はやたらとNinjaだらけだが、GPZ900RとGPZ1000RXはまさに「カワサキ忍軍の首領&副首領」と言うべき存在なのだ。

安全教育の芽を摘んだ「3ない運動」

『オートバイ』に、このような特集がある。

高校の「3ない運動」に反発する高校生からの投稿を集めたものだ。

当時、日本の教育界は「免許を取らせない、バイクを買わせない、運転させない」という内容のキャンペーンを展開していた。これは明日のロードレーサーを目指す若者の成長を阻害し、大きな反発も生んでいた。本田宗一郎も、この3ない運動に大反対していたことは有名な話だ。

この特集に掲載されている投稿をひとつ引用させていただこう。

俺は高3の750ライダーです。2年の時、限定解除しました。俺の学校も3ナイやってます。当然、かくれて乗ってます。バレると停学になります。学校側はアタマから押さえつけるんじゃなくて交通教育をして安全に走れる生徒を育てて、安全に走れない、交通ルールを守れない奴の免許を取りあげればいいんじゃないでしょうか。(モーターマガジン社『オートバイ』1985年11月号より)

反論しようのない正論である。

2020年を生きる我々は、自治体職員が飲酒運転事故を起こして複数人を死傷させたり、会社役員が高速道路で煽り運転を繰り返す場面を目撃している。それを防ぐには若いうちからの交通安全教育を施すしかないという結論にならざるを得ず、実際に3ない運動を取りやめて生徒にライダー講座を開催する高校も現れるようになった。

が、80年代の教育関係者は学校判断で生徒の運転免許を没収するという越権行為を堂々と行い、「地元警察と協力して良心的なライダーを育てる」ということは一切考えなかった。

今だからこそ、バイクに注目

日本の二輪産業は、確実に縮小している。

新車種の先行発売はインドやインドネシア等のアジアの新興国が舞台で、日本人は本国への上陸を数ヶ月間待たされるという展開が常態化している。南アジア及び東南アジアの若者は誰にも気兼ねなくバイクに乗っている。それを力づくで止める大人はまずいない。二輪製造メーカーが日本以外のアジア諸国に視界を向けるのは、当然の流れである。

そんな今だからこそバイクに乗ってみる、というのは決して悪い選択肢ではない。今のバイクは、昔のそれよりも防音性能や燃費性能に優れている。MTバイクの変速段数がデジタル画面に表示されるようになり、乗り味自体もマイルドな車種が増えた。初心者にとって、現代のバイクは手の届きやすいところにある。

さあ、バイクに跨ろう!

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【参考文献】
『モト・ライダー』1984年7月号(三栄書房)
『オートバイ』1985年11月号(モーターマガジン社)
新谷かおる『ふたり鷹』(小学館)