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2021.03.08

漫画『チェンソーマン』はなぜ凄いのか?『鬼滅の刃』『呪術廻戦』のダークヒーローを憑依現象から比較してみた

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近年、異質な存在が体に入り込むことで異能を得たダークヒーローが主人公に据えられた作品は少なくない。週刊少年ジャンプの人気連載マンガ『呪術廻戦』の主人公・虎杖悠仁(いたどり ゆうじ)。『鬼滅の刃』のヒロインで、鬼化したが人を喰わなかった竈門禰豆子(かまど ねずこ)。そして『チェンソーマン』の主人公・デンジも、ダークサイドの異形から力を得たダークヒーローと言っていいだろう。

なかでも『週刊少年ジャンプ』で2020年12月14日まで第1部「公安編」が連載されていた『チェンソーマン』は、多くのファンが各々の予想をSNSで呟きながら展開を見守ってきた。また第1部連載終了直前には「このマンガがすごい!2021 オトコ編」の1位を獲得し、最後まで話題性に事欠かなかった。

『チェンソーマン』は血と肉塊が飛び散るハードなバトルシーンを斬新な構図で描きつつ、それを少年誌のテイストに落とし込み、クールなエンターテインメント作品に仕上げているのだから面白くないはずがない! しかし何と言ってもこの作品の「すごさ」は、「意外性」なくして語れない。ストーリー展開やキャラクターの行動など、私たち読者は想像をことごとく裏切られ、驚かされてきた。

では、この作品に意外性を感じる要因は何なのか。思い巡らせてみると、悪魔ポチタの心臓を持った「人でも悪魔でもない」デンジの行動の読めなさが、ひとつ挙げられるのではないか。まだ未読だというファンのために詳細を書くのは控えるが、マキマとデンジとの闘いの成り行きは全く想定できないものだった。正直、筆者はまだこの結末を消化できていない。

異形が体に入り、力を得たダークヒーローは、日本の「憑きもの」「憑霊」という現象から読み解くと、違いを実感しやすい。そこでなぜ、ダークヒーロー・デンジが意外性を生むキャラクターなのか、虎杖や禰󠄀豆子と比較しながら探ってみたい。

■漫画好きで知られる和樂web編集長セバスチャン高木の音声解説はこちら

ダークヒーローたちの憑かれる体

異能を持つダークヒーロー誕生のエピソードに、人であった主人公がダークサイドの存在に憑かれることで、その存在の戦闘力や強大な能力を使えるようになる、というひとつの定型があるだろう。例えば、巨匠・永井豪作『デビルマン』の主人公・不動明(ふどう あきら)も、デーモンであるアモンに憑依され力を得ている。憑依された体の持ち主、あるいは依代となった体の主に対して、意識の主従関係、つまり本来あった理性を保持できるか、憑依するものを統御できるかという点を重視するのが今のダークヒーローのテンプレートでもある。

現実世界でも、神霊や精霊などの存在に憑かれることで身体や精神が何らかの影響を受ける「憑く」という現象はあり、世界各地で見られる。ただし、日本における「憑く」ものとは、狐憑き、鬼、式神、護法、呪い、付喪神と幅広い。マンガのダークヒーローたちの体に憑くものも悪魔、呪い、鬼、地球外生命体などとさまざまだ。

では、この日本の「憑依」という現象をもとに、ダークヒーローたちの憑かれた状態と憑いたものとの関係性、物語の設定のベースとなったであろう宗教を探っていこう。

まずは「憑く」という言葉の本来の意味について、確認しておきたい。憑霊信仰を通して妖怪や悪霊を体系的に論じた小松和彦著『憑霊信仰論』(1994 / 講談社学術文庫)によると、このように記されている。

《日常の状態・能力+α》の状態として規定された場合には、個人にかぎることなく、多くの対象について用いられるわけで、文字通り、非日常的で神秘的な力とか霊的な存在とかが、日常的・自然的存在に付け加わったのであるとみてもよいであろう。

さらに、憑依するものに憑依されるものが支配され、自我や行動の主体性を失う状態だけが「憑依状態」ではない。また、「憑く」ものは神霊や人由来の怨霊や死霊、動物霊などに限らず、人格や形象を持たない存在「エネルギーのようなもの(呪力)」もあるという。

これを前提に、まずは『呪術廻戦』の虎杖が呪術師になった経緯をおさらいしてみよう。

虎杖は、呪術師・伏黒恵(ふしぐろ めぐみ)の窮地を助けるために、強い呪力を得ようと呪いの王・両面宿儺(りょうめんすくな)の指を飲み込み、人々に害をなす呪霊と戦う呪術師となった。彼はもともと、驚異的な身体能力を持っていたが、猛毒である宿儺の指を取り込んでもなお、もとの肉体と自我を保てたことで、千年に一度の逸材と言える器であることが判明した。

ここでのポイントは、器である虎杖と宿儺の主従関係が入れ替わる設定だ。「憑く」現象に置き換えてみると、虎杖の体に起きている現象は自分を器にして霊的な存在をおろすシャーマンや霊媒と同様のものであり、人に霊的な存在(呪霊)が憑依している状態である。

宿儺が体内に入ったことで虎杖の顔に出た隈取りのような模様や、手の甲に現れる口は、憑かれた人の異常性を表す「聖痕(スティグマ)」とも考えられる。『憑霊信仰論』によれば、スティグマには「生まれながらにして身に帯びている場合と、生まれて後に背負い込む場合との二通りが考えられ」るといい、同著では具体的な例として、岡山県湯原町の「憑きもの」を有する家筋(ミコガミスジ)をあげている。ミコガミスジには、「神の加護を受けている徴(しるし)として聖痕(スティグマ)すなわちミコガミガサというできものが、婚出した長女の子供に生じる」のだという。

『呪術廻戦』の異能者の設定については、陰陽道に多くの影響を受けていると考えられる。日本の陰陽道とは、「鬼信仰を強調したり、古来からの神懸りによる託宣などを吸収することによって呪術的信仰化していった。律令体制下にあってしばしば禁圧された『蠱毒(こどく)』(動物霊を用いての呪い)や『厭魅(えんみ)』(人形に釘を打つ呪い)などの伝統をも摂取し、王朝期には『式神(しきがみ)』と呼ばれる守護・使役霊を用いて占いをしたり、それを人に憑けて呪い殺すことができるという信仰」(『安倍晴明「闇」の伝承』小松和彦著 2000、桜桃書房)で、陰陽師・安倍晴明の伝承上よく知られる宗教でもある。

『呪術廻戦』の伏黒が手持ちの式神を増やすために行う「調伏(ちょうぶく)」や、釘崎野薔薇(くぎさき のばら)の術式「厭魅(えんみ)」、「呪いは呪いでしか祓えない」という基本設定も、陰陽道からインスパイヤされたものだと思われる。これらをもとに独自性をもって多様なキャラクター設定と作品世界の構築をし、異能バトル作品として昇華させたのだ。

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人に取り憑く、鬼の血の脅威の正体

次に『鬼滅の刃』の禰󠄀豆子を見てみよう。

禰󠄀豆子が鬼化した経緯について、作中では具体的に描かれていない。だが、鬼の始祖である鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)の血が人を鬼化させることから、主人公・炭治郎の不在時に竈門家へ鬼が押し入り、家族が惨殺される中でひとりだけ生き残り、襲った鬼の血が何らかの形で禰󠄀豆子の体に入り込んで彼女は鬼化したのだろう。

禰󠄀豆子は、人を襲わないように竹の猿ぐつわを噛んだままでいるが、ある程度の理性は保っている。鬼の血自体に人を操る意思はないため、憑かれるものと憑くものとの器や意思の主従関係を争うような内面的な葛藤は描かれていない。しかし異物が入り込み、体に憑いたことで鬼化しているので、「憑依」の形態のひとつと考えていいだろう。

さらに『鬼滅の刃』の鬼は、「障り」という現象に置き換えられる。『妖怪学新考』(小松和彦著 2015、講談社)には、「古代では、薬などでは治らない病気は『もののけ』(物の気・物の怪)による病気とされ、その『もののけ』の正体は、神、怨霊、鬼、天狗、キツネのような動物霊など多様であった」とあり、説明できない病気や現象が、「憑依」といった超自然的存在に起因するものだと考えられてきたのだ。さらに「古代から中世の京都では、怪異現象の原因を鬼信仰のシステムのなかに組み入れることで説明しようとする傾向が強かった」という。

『鬼滅の刃』の時代設定は大正時代ではあるものの、始祖である無惨本来の非情さ、その配下の鬼たちの人であった頃の不幸な生い立ちなどを考えると、人を鬼化させる血は、怨みによって厄災をもたらす感染呪術、つまり「呪詛(すそ)」の一形態として置き換えることもできるだろう。古くから解明できない病を「もののけ」や鬼によるものと考えられていたとすると、『鬼滅の刃』が世界的なパンデミックを予見した作品にも思えてくる。

恨みで人が鬼化する伝説として、例えば「宇治の橋姫」がある。橋姫は夫である藤原頼通(ふじわらのよりみち)が他に女をつくっていたことに腹を立て、丑の刻参りで生きながら鬼と化した女性だ。

『鬼滅の刃』で鬼と闘う隊士の設定については、山岳信仰から発生した修験道の影響が感じられる。修験道は「仏教系の呪術師、すなわち山岳修行によって呪力を獲得した『修験者』(「験者」あるいは「山伏」とも呼ばれる)」(『憑霊信仰論』より)は、「物怪調伏(もののけちょうぶく)」の儀礼で、「護法」あるいは「護法童子」と呼ばれる神霊を使役する。『憑霊信仰論』によると、信貴山に住む僧・命蓮が使う「剣の護法」について、平安時代の絵巻『信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)』に次のような描写がされているという。

右手には剣、左手には索を持ち、剣で編んだ衣に身を包んだ愛らしい顔をしながらも逞しい体躯の童子の姿をしている。

これは、隊士となった子どもたちである炭治郎らの姿に、重なってはこないだろうか。

さらに炭治郎の背負っていた禰󠄀豆子が入る箱は、修験者の荷物のひとつで、仏具などを入れるバックパック「笈(おい)」のイメージに近い。竈門家が里ではなく山に住んでいたことも、どことなく修験者を想像させる。

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『チェンソーマン』の設定に見られる特殊性

最後に、『チェンソーマン』のデンジはどうだろうか。チェンソーマンは前述した2人のダークヒーローと比較しても、特殊性は際立っている。それはなぜか? 実は、筆者自ら提示した前提をくつがえすようで恐縮だが、困ったことに「憑きもの」の概念ではカテゴライズできないのだ。

まずはチェンソーマンに出てくる人外のキャラクター設定をおさらいしよう。

  • 悪魔:人を喰ったり殺したりする。固有の名前を持った存在
  • 魔人:悪魔が死んだ人の体を乗っ取った状態で、悪魔として分類されている。頭部が特徴的な形状(デンジとバディを組む血の悪魔・パワーには、ツノがある)。理性のある魔人は公安が飼っており、デビルハンターのチームに加わる戦闘要員。半不死身
  • チェンソーマン:魔人だが、マキマ曰く「人でも悪魔でもない匂いがする」。通常は人だが、トリガーとなる紐(スターターロープ)を引くと変身する。(絶命する前に紐を引ければ)不死身

次にデンジがチェンソーマンになった経緯を思い出してみよう。

デンジは母を心臓の病気で早くになくし、父は借金を残して自殺し孤独だった。借金が返せずヤクザに殺されそうになった矢先に、重傷を負ったチェンソーと犬の合いの子のような悪魔ポチタと出会う。親友となったデンジとポチタは協力して生活を続けていたが、デンジは悪魔に憑かれたヤクザに殺されてしまう。そこでポチタは、デンジが「普通の生活を送る」という夢を叶えることを条件に、自分の心臓をデンジに与え、チェンソーマンとして蘇生させたのだった。

デンジは悪魔に乗っ取られたのではなく、悪魔ポチタと契約し、ポチタの心臓を身体に取り入れた魔人である。シャーマンのように霊的な存在を自ら身体におろした状態でもなく、異質の存在に取り憑かれているわけでもない。物理的に同化した状態と言っていいだろう。

デンジとポチタの間には器の主を争うような葛藤はなく、西洋の悪魔に見られる契約のための贄といった代償もない。ポチタはほぼ無償(普通の生活を送る光景を見せるという条件はある)で力を貸している。デンジとしての人格は、本来のデンジのままだ。ポチタは心臓を与えた後もデンジに話しかけることがあるが、概念のような存在となっている。

そこで注目したいのはチェンソーマンの変身に、スターターロープを引くというトリガーがあることだ。この設定は、「憑依」の分野とは全く別ジャンルの変身するヒーロー、つまり特撮や魔法少女におけるパターンだ。サブカル好きを公言しており、さまざまなものから発想を得ている藤本タツキ先生なら不思議なことでない。

対して、悪魔が人の死体に取り憑く「魔人」は、憑依現象に置き換えても差し支えないだろう。死体が蘇生し、もとあった人としての理性を留めているなら、処分されずにデビルハンターと闘う、という設定は、憑かれた存在と憑いた存在の主従関係とも取れる。

全ての悪魔が名前を持って産まれてくるという設定も同様だ。『チェンソーマン』では人が恐怖を感じる事物や現象が悪魔として登場している。初期に登場したキャラクターだけでも、「ゾンビの悪魔」や「筋肉の悪魔」、「血の悪魔」、「ナマコの悪魔」、「コウモリの悪魔」と、バラエティ豊かなラインナップとなっている。

『妖怪新考学』によれば、日本には「名づけられるもののすべてに霊的な存在を認める傾向のあるアニミズム信仰」があり、「名づけられるものはすべて『神』になる可能性と、『妖怪』になる可能性を合わせもっている」という。

さらに同著には、超越的・非科学的な存在と「妖怪」について、こう述べている。

『超自然的力』や『超自然的存在』もしくは『霊的存在』は、大きく二つに分類することができる。一つは、人々に富や幸いをもたらすもの、いま一つは人々に災厄をもたらすもので、前者は『神』と呼ぶことができ、後者は『妖怪』とか『魔』と呼ぶことができるはずである。

これらの内容から『チェンソーマン』に出てくる悪魔や魔人は西洋の悪魔とは異なる、日本的な価値観における「神」が転化した、超越的な存在である「魔」と判断できる。

『チェンソーマン』ではアニミズム的な超自然現象を基礎とする世界観と、さまざまな分野の過去作品からの引用が入り混じっている。そのため、今までの常套パターンを想定していると、簡単に裏切られてしまうのだ。

心がないデンジが引き起こす意外性

『チェンソーマン』の意外性を考察するにあたり、忘れてはならないのが、現代社会に紐づく設定が組み込まれている点だ。

ムック本『このマンガがすごい!2021』のインタビューで、藤本先生は「デンジは『ドライを装っている』わけではなくて、心に穴が空いちゃっている。本当に空虚なんだろうな、って」「だからデンジが敵に恐怖心を抱かないのは、彼が勇敢だからではなく、敵を恐れる“回路”がないからなんです」「デンジに関しては、親から虐待を受けた子のドキュメンタリーを参考にしました」(『このマンガがすごい!2021』「チェンソーマン スペシャルインタビュー」より)と語っている。

デンジに心がないなら、彼の予測不能の行動も腑に落ちる。

さらに同著によると藤本先生はドキュメンタリーも好んで観ているとあり、作中には貧困や児童虐待といった社会問題も盛り込まれている。思えば、前作『ファイアパンチ』でも、性的マイノリティのキャラクターが登場していた。

異質な世界で展開する物語の中に、こうしたリアリティを持つ設定が入ると、ドライでクールな世界観が構築される。一方で、現実世界にも通ずるデンジの境遇は共感を呼び、読者は普通の暮らしに憧れる彼の想いに寄り添おうとするのである。

つまりサブカルチャーを血肉化した藤本先生は、そうした作品から引用をしつつ、ノンフィクションからのエッセンスも加え、心のない主人公は予測外の行動を起こすために、『チェンソーマン』の意外性は加速しているのだ。

さて、チェンソーマンは漫画アプリ『少年ジャンプ+』で、第2部「学校編」の連載が予定されている。デンジの次なる活躍を心して待とう。

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和樂web編集長セバスチャン高木による音声解説はこちら!/h2>

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参考書籍:

  • 『憑霊信仰論』(小松和彦著 1994、講談社)
  • 『妖怪学新考 妖怪からみる日本人の心』(小松和彦著 2015、講談社)
  • 『安倍晴明「闇」の伝承』(小松和彦著 2000、桜桃書房)
  • 『このマンガがすごい!2021』(宝島社)
  • 『神道とは何か 神と仏の日本史』(伊藤聡著 2012、中公新書)

書いた人

もともとはアーティスト志望でセンスがなく挫折。発信する側から工芸やアートに関わることに。今は根付の普及に力を注ぐ。日本根付研究会会員。滑舌が悪く、電話をして名乗る前の挨拶で噛み、「あ、石水さんですよね」と当てられる。東京都阿佐ヶ谷出身。中央線とカレーとサブカルが好き。