つい最近の我が家の会話。
「明日の取材は?」
「ニホンオオカミ」
「和樂webじゃなく、ネイチャー雑誌とかの取材?」
「いや。和樂」
「和樂webって…。『日本文化の入口』っていうコンセプトが変わったの?」
「いや。まま」
じとっとした目で見られたので。
仕方なしに、どうしてニホンオオカミの取材に至ったのかを、かくかくしかじかと説明した。
事の発端は、関西を運行する京阪電車の吊り広告だ。
じつは、私には密かな楽しみがある。それは、車内広告を見るコト。取材先では公共交通機関を利用することが多く、なかでも吊り広告は情報の宝庫だ。地方独自の個性が光り、一向に見ていて飽きない。なんなら、記事の企画ネタと結びつくことも。
そして、昨年の令和2(2020)年の暮れ。
実家のある京都で仕事があり、久しぶり京阪電車に乗った時のこと。
そこで発見したのが「ニホンオオカミ」の広告。
かつて、日本にもオオカミがいた。それが「ニホンオオカミ」である。
オオカミのなかでは最も小型で、頭胴長は1mほど、尾長は30cm内外。現在は絶滅種とされており、最後に捕獲されたのが、明治38(1905)年に奈良県吉野郡東吉野村鷲家口(わしかぐち)での若いオス。
ちなみに、車内広告の正確な内容は「ニホンオオカミの復活を願う」というもの。まずもって、そんな団体があることなど知らなかったし、ましてやニホンオオカミが絶滅したのも、辛うじてというくらいの知識。あまりにも珍しすぎて、目を引いたまま、そのインパクトが頭に残っていたのだろう。
そして年が明けた2月。
愛知県で「ニホンオオカミの頭骨寄贈」のニュースが駆け抜けた。私の中では、もう既に「あのニホンオオカミ」という位置づけ。自分でも「どのニホンオオカミだよ?」と突っ込むほどに、何故か親近感が沸いた。
早速、寄贈先となる「豊橋市自然史博物館」へと取材を申し込んだ。
こうして、ようやく私の頭の片隅にいた「ニホンオオカミ」は、頭骨となってご対面。
今回は、そんなニホンオオカミにまつわるディープな記事。
それでは、ニホンオオカミの特徴から、オオカミ信仰まで。
骨から分かる事実の数々を、ご紹介していこう。
現代でも根強い「オオカミ信仰」の象徴
ニホンオオカミの頭骨は、日本で大体10点ほど確認されていると事前にリサーチ済み。だが、取材の初っ端から驚かされた。
「頭の骨とか、頭の骨の一部自体は全国で80点ほど知られているのですが、ほとんどが『家宝』や『守り神』として個人宅で伝えられてきたもの。そのため、現在でも多くは個人の所有物です」
こう話されるのは、豊橋市自然史博物館主任学芸員の安井謙介(やすいけんすけ)氏。
担当分野は脊椎動物で、今回のニホンオオカミの頭骨の研究を担当されている。
つまるところ、事実を整理すれば。
ニホンオオカミの頭骨は、他にも数多く存在するのだが、表には出てこない。公的機関で保管されているのは10点ほど。だから、先ほどのリサーチ結果に至るワケである。
「科学的に研究する場合は、公的機関にあって、所定の手続きを経れば誰でもアプローチできるものでないと。個人所有のものは、誰もがアプローチできるものではないので、研究者は手を出しづらいのです」
だからこそ、今回、寄贈され公的機関所有となったこちらの頭骨は、ニホンオオカミの研究の前進に、大いに貢献する標本になるのだとか。
さて、そこで、1つの疑問が。
そもそも論として、どうしてニホンオオカミの頭骨が表に出にくいのか。珍しいモノだから「貴重」という意味合いなのだろうか。例えば、日本各地には「河童」とされるミイラなどが存在する。それと同じようなニュアンスと考えられなくもない。
じつは、この背景には、1つの信仰が関わってくる。
それが、「オオカミ信仰」だ。
「『オオカミ信仰』は有名です。日本各地でみられる信仰で、色んな形態があるようですが。ニホンオオカミは田畑を荒らすシカやイノシシを餌としていたため、農作物を荒らす害獣を追い払う益獣としてすごく崇められていた存在。そのため『神』として祀られる場合もあったようです」
確かに、ニホンオオカミは捕食者としての顔を持つ。ニホンオオカミがいることで、作物が荒らされないのであれば、特に昔の日本では非常に有難い存在となっただろう。しかし、それだけではない。
「昔、『キツネ憑き』が病気の主な原因として考えられていたこともあって。憑いたキツネを追い払う力を持っているとして、ニホンオオカミの頭骨を病人の枕元に置くだとか。ニホンオオカミを祀った神社のお札を張るとか。そういう信仰もありました」
オオカミ信仰で有名な神社といえば、埼玉県秩父市にある「三峯(みつみね)神社」だろう。こちらのホームページにも、「お使い(神様の霊力を受け、神様と同じ働きをするとして仰がれる動物)」がオオカミであると掲載されている。どうやら、あらゆるものを祓い清め、さまざまな災いを除くとのいわれがあるようだ。
「今回寄贈された方は、宗教関連の方ではなくて。代々続く地域の名家の方で、病気祈願のために、枕元に置くという用い方をしていたと。身内はもとより、親しい方にも頭骨を貸し出して病気治癒の祈願として用いたというようなことをおしゃっていて。昭和25(1950)年までは、そういうふうに使っていた記憶があるけれども、それ以降はないとの話でしたね」
未だ根強く残るオオカミ信仰。
そういう意味では、今回の寄贈は非常にレアなケースなのだろう。
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ニホンオオカミと見分ける特徴とは?
それでは、ここでようやくのご対面である。
寄贈されたままの木箱から、ニホンオオカミと思われる頭骨が取り出される。
箱の裏書には明治29(1896)年との記載が。つまり、少なくともこの年には、ニホンオオカミと思われるこの頭骨が存在していたことになる。
「ニホンオオカミの頭骨があるので、寄贈しますという話でした。『オオカミ』の頭骨と伝えられ保管されてきたものが、実際はイヌやキツネなどの頭骨だったという話は結構あるので、最初は半信半疑だったのですが。見てすぐに『ニホンオオカミ』だとわかりました」
「見てすぐに」ということは、ニホンオオカミの特徴があるのだろう。
安井氏にそのポイントを教えてもらった。
真っ先に見て分かるのが「額段(がくだん)」。
額から鼻先にかけての窪みである。まずは、ニホンオオカミであるか否かの議論は脇に避け、イヌかオオカミかの特徴を見る。
「イヌだと非常に額段が発達している、すなわち額から鼻先にかけての部分が深く窪んでいます。また、額のところが発達していて、もこっと飛び出ています。一方、オオカミは、額段も額の飛び出しも全然発達していない。これがオオカミの特徴なんです」
実際に確認すると、今回寄贈された頭骨は、額と鼻先がスッと直線的に繋がっている。
「額段が発達していなかったので、まずイヌではないというのが分かって。キツネやタヌキとは大きさが全然違うので、これはオオカミだと。大きさ的にみて、北半球に広く分布しているタイリクオオカミとは全然違うので、ニホンオオカミじゃないかと思いました」
次のポイントは、口の中。
「パッと見て分かる特徴が、上顎を構成する骨の後縁に見られる形状なんですよね。ここがへこんでいるじゃないですか。『硬口蓋(こうこうがい)』といって、口の中の天井部分を触った時の固いところ、人間でも骨の部分なんですけど。その硬口蓋の後縁の中央部が窪んでいるのが、ニホンオオカミの特徴なんですよ」
他のオオカミやイヌは、硬口蓋の後縁中央部が飛び出ているか、もしくは直線的であるという。それらに比べて、ニホンオオカミの硬口蓋の後縁中央部は窪んでいるのだとか。
「薬として用いるために、色々と削られているところもあるんですが。今回の頭骨の硬口蓋の後縁部は、人為的な改変ではないので、元からあった形だろうと」
それだけではない。
「あとは、側頭部にある『神経孔(しんけいこう)』、神経や血管が通る孔(あな)の数も重要ですね。ニホンオオカミは、6個の孔があるんですけれども。タイリクオオカミやイヌは、5個しかないんですよ」
ニホンオオカミは、前から3番目の「前翼孔」と呼ばれる孔が2つに分かれて合計6個となる。
加えて、歯にも注目が。
「下顎の第一大臼歯。教科書的には『裂肉歯』と呼ばれている、その名の通り肉を切り裂くための歯なんですけれども。この歯の歯冠(しかん)部分の長さと幅の大きさを測って、ニホンオオカミとタイリクオオカミの第一大臼歯のそれらと比較したところ、ニホンオオカミのサイズの範囲内にドンピシャリと入ったので」
「加えて、頭骨のサイズもニホンオオカミのサイズ。形態的特徴もサイズ的にもニホンオオカミそのものということで。(今回寄贈された頭骨は)ニホンオオカミで間違いないだろうと断定しました」
ニホンオオカミはどうして小さい?
それにしても、現存しているタイリクオオカミと比較すると、ニホンオオカミは非常に小さい。サイズが小型化したように思えるのだが。いや、それともタイリクオオカミが大型化したのか。
「現在日本列島に生息しているほとんどの哺乳類は、過去にユーラシア大陸から日本列島に渡ってきたものの子孫です」
となれば、タイリクオオカミが本家本元ということか。
「約260万年前から、地球は寒い時期(氷期)と暖かい時期(間氷期)が数十万年~数万年周期で繰り返し訪れるようになりました。氷期になると水分は氷床や氷河という形で陸上に固定されるため、海水準は低下します。その結果、大陸と日本を隔てる東シナ海や対馬海峡だとか、サハリンと北海道を隔てる宗谷海峡だとかが陸化し、日本と大陸が繋がっちゃう」
なんだか話が壮大になってきた。
大陸と日本が繋がる。一時期だけは、日本が島国でなくなるというワケだ。
「その繋がった時に、大陸からいろんな動物が日本にやってくる。その後、暖かくなり氷床や氷河が溶けて海水準が上昇すると、行き来は途絶える」
再度、日本はまた島国となる。
この時、大陸に生息している種類と同じままのものもいれば、日本列島内で進化し日本固有のものになったものもいるという。日本で現在見られるほとんどの哺乳類は、こうした大陸と日本列島との地史的関係の産物なのだ。
「その中でニホンオオカミについて考えると。日本がユーラシア大陸と繋がったときに、タイリクオオカミが日本にやってきて住み着いた。その後、海水準が上昇して日本が『島化(しまか)』した後に、日本列島の中で小型化したのがニホンオオカミだと考えるのが一番妥当かと」
安井氏曰く、動物の体サイズは、生息環境や他の動物との関係により、同じ系統のものでも大きくなったり小さくなったりすることがあるとか。
特に島化すれば、大型草食獣が大陸よりも少なくなるので、それらを捕食する肉食獣は小型化する。逆に、小型獣は島では捕食者や競争相手が少ないので大型化する。この哺乳類の体サイズの変化は日本だけでなく、世界各地でも確認されているという。
「ニホンオオカミの場合は、日本が大陸と繋がっているときに、朝鮮半島経由でやってきたタイリクオオカミが小型化したものだと。最近のミトコンドリアDNAを使ったゲノムの解析では、『種』というよりは『亜種』のレベルでの違いが妥当ではないかとの結果が出ています。その説で間違いないと、個人的には思っています」
「亜種」とは、同じ種に属するが地域毎に特有の違いが見られる集団に対して与えられるもの。「種」の1ランク下位の分類学における階級となる。最終的な決着はついていないが、ニホンオオカミはタイリクオオカミとは別の種ではなく、同種と解される。
つまり、分類学的にはタイリクオオカミ「Canis lupus(カニス ルプス)」という種に属する、日本固有亜種「Canis lupus hodophilax(カニス ルプス ホドフィラクス)」という位置づけとなるのだそうだ。
江戸時代の三河地方に生息したニホンオオカミ?
今後、寄贈された頭骨を研究するという安井氏。
ちなみに、研究の結果、いつの時代のものか分かるものなのだろうか。
「形態学的研究からは分かりません。これだと、うまくいけば誤差の少ない高い精度で年代値を推定できると思います」
測定方法は、放射性炭素である炭素14を用いた年代測定。
「測定を行う骨や歯に含まれるタンパク質の保存状態の良し悪しにより、測定値の精度が決まる。6万年前以降の骨や歯の化石、遺跡出土物の年代測定に良く用いられる方法です。これは化石でも出土物でもない骨そのものなので、タンパク質の保存状態も良いと考えられます。従って、誤差の少ない年代値を測定できると思います」
ただ、測定以前の情報がある。
このニホンオオカミは、どうやら江戸時代に捕獲されたものと推定されるのだとか。
「(木箱の中に)関連資料として、お手紙が3通入っていました。今回寄贈された方のおじいさんが、昭和初期に、当時オオカミだとかニホンイヌの研究家だった斎藤弘さんという方に、頭骨を郵送して鑑定を依頼し、その鑑定結果の手紙も入ってまして。ニホンオオカミの頭骨で間違いないよと、大体江戸時代のものではないかというようなやりとりの手紙でした」
当時は、口蓋のへこみや神経孔の数というのは、ニホンオオカミの特徴として知られていなかった。しかし、それ以外の特徴でニホンオオカミだと断定されたようだ。
「今回、寄贈して下さった方は、出所とかいつの時代のものかは、全然わからなかったようですが、その由来を知っていたその方のおじいさんと、当時の研究者のやりとりによって、これは三河地方(愛知県)産の江戸時代のものであるということが分かった。ただ、それも伝承なので、確実にそうだとは言えないんですが…」
なんでも、日本全国均等にニホンオオカミの骨が残っているかといえば、そうでもない。これにも、オオカミ信仰との関係がある。
「オオカミの頭骨がいっぱい出てくるのは、丹沢だとか奥多摩のあたりだとか、紀伊半島だとか、信仰が残っているところ。結構、偏ったところに多く保存されていて。東海地方を含む中部地方のオオカミってそう多くはないんですよね」
言い換えれば、今回の頭骨が愛知県産と断定できれば、非常に意義のある標本となる。
「ニホンオオカミの地理的変異を考えるときに、ちょうど空白地帯だった東海地方を埋めるような標本になる可能性がある」
絶滅した動物だからこそ、新しい標本を手に入れることはできない。もし愛知県産だとなれば、ニホンオオカミの形態に地理的な違いがあるのかなども、今後調べることができる。
哺乳類学にとっては重要な一歩となる。そう、安井氏は胸を張る。
ホントにニホンオオカミは絶滅した?
さて、取材の後半で、ニホンオオカミにまつわるミステリーをぶつけてみた。
未だに生存説が囁かれることもあるニホンオオカミ。本当に絶滅してしまったのか。
「個人的に、絶滅していると。公式にも絶滅となっていますし、科学的に考えても、生き残っている可能性はほぼゼロに近い。一つの種類が生き残るには、ある程度の個体数が必要なんですよ」
生息するのに必要な面積や、餌となるシカやイノシシの量、さらにはそれらが生息するのに必要な面積をも考えれば、なかなか現実的に難しいだろう。加えて、万が一生存しているならば、やはり多くの目撃例や死体の発見例があるはずだし、死亡個体の骨なども見つかるはず。つまり、それらが無いということは、ほぼ確実に絶滅したであろうと考えるしかない。
もう1つの質問。こちらも是非とも聞いてみたかった。
車内広告で知ったニホンオオカミの復活についてである。
「ニホンオオカミはオオカミ信仰で日本人に長く親しまれてきた。カッコいいからだとか、ニホンオオカミが生息していた当時の風景への憧憬とか、獣害対策に活用できないかとか、色々な思いをお持ちだろうとは思うんですけれども。絶滅したものを復活させるのは、現状では技術的にまだ無理だと思いますし、すべきではないと個人的には思う」
確かに、シカやイノシシの獣害が減るくらいまでの個体数の確保となると、生息エリア、人間との関係など、どれ1つ取っても難しいだろう。
「今、ニホンオオカミの代わりにタイリクオオカミの別亜種を持ってこればいいんじゃないかという人もいますけど、ニホンオオカミが亜種として成立した背景には数十万から数万年という長い歴史がある。その歴史の中で、日本列島に特殊化して、日本の気候、風土、他の動物との関係を築いてきてのがニホンオオカミなんです」
同じ種だからと言って、別亜種を日本に持ってきてもいいというのはすごく乱暴だと、安井氏は語る。
「その亜種は亜種で、亜種として形成されてきた地質学的な時間の歴史があるわけですよね。その歴史を無視して影響がないかというと、確実に影響がないとはいえない。科学的にはまだ解明されていないことが多い中で、現在生態系の頂点がいないからと、ただその一点の理由のみで持ってくるのは、ちょっといかがなものかと思いますね」
かつて、日本ではニホンオオカミを積極的に駆除した時期がある。もちろん、これ1つをもって絶滅理由とはいえない。人為的要因に加え、イヌからの伝染病の蔓延や生息地の減少など、複合的な理由で絶滅に至ったと考えられている。
「人間が絶滅させてしまったんだけれども、だからといって、代わりのモノを持ってきて同じ地位につけるというのは、問題があるんじゃないかなと思う。個人的には、オオカミに限らず、その生物が辿って来た歴史を無視し、人間の都合だけで好き勝手に移動させることは反対ですね」
因縁めいたニホンオオカミとの出会い
じつは、安井氏の研究分野は「日本列島に生息している哺乳類の歴史」。
立ち止まってよくよく考えれば、とてつもなく広い。
「オオカミは1つの研究テーマです。僕の研究は、今生きている哺乳類だけでなく、絶滅した哺乳類も含めて。もともとは哺乳類化石が専門なので、絶滅してしまったナウマンゾウだとか、ヤベオオツノジカだとか。動物の『骨』を中心に研究しています」
そんなニホンオオカミと安井氏との出会いは、約20年前に遡る。
「学生時代、オオカミの化石を見つけてですね。骨の化石を研究していたときに、岐阜県の郡上八幡の洞窟から3万年前のオオカミの骨や歯を見つけて、それがどういうものなのかと調べたのが、僕とオオカミの関わり合いのきっかけ」
なんでも、オオカミの骨を目的にフィールドワークをしていたわけではないのだとか。
「その時代の動物の化石が何か取れたらなと思っていたときに、偶然にオオカミの化石を見つけました。それは、大陸から来たオオカがどんどん小型化して、ニホンオオカミになっていく途中のものではないかと考えられる非常に面白いもので。ニホンオオカミの成立に関しては結構興味があって。そんな経緯もあって、今回の寄贈はびっくりしたというか。因縁を感じたんですけれども」
質問を続けていくと、非常に興味深い事実が。
「見つけたのは、下顎だけだったんですけれども。歯の大きさは、タイリクオオカミ的だったんですね。けれども、顎の長さは短くなっていって。そこから、小型化というのは、全てのパーツが均一に小型化するのではなく、パーツごとに小型化しやすい部分としにくい部分があって。やはり、生きていくために欠かすことができない『裂肉歯』なんかは、餌をかみ切るための歯なので結構保守的。それ以外は結構フレキシブルに変化すると」
それにしても、安井氏はどうしてこの道を選んだのか。
研究者としての人生のスタートは、なんと「収集癖」。
「もともと昔から様々なモノを集めるのが好きだったんですね。収集癖があって。その中で、化石だとか貝殻だとか、生き物に関する、自然界に関するものに特に面白さを感じて、大学院まで学び続け、さらに骨の魅力にはまっちゃったというところ」
段々、取材自体がコアな内容にハマりつつある。そんな私の心配をよそに、安井氏は少しだけ考えてから、骨の魅力を語ってくれた。
「骨の魅力…。その動物の生き様が形として表れる。骨を見る事でわかるんですよ。その一瞬にして、その動物がどういう生き方をしてきたか。どういう履歴を経て来たかが分かるというのが非常に面白くて。骨に魅了される、惹きつけられる」
ここまで順調だった取材なのだが。
突如、安井氏のテンションが…まさかの上振れ。
「まあ、単純にいうと、カッコいいからと」
「えっ?」
安井氏の本音が一気に炸裂。動揺する私。爆笑するカメラマン。
「色々理屈こねてますけど、格好いいからで。格好いいじゃないですか、ねえ、こんなんあったらと。いやいやいや、こりゃ格好いいなと。なんだかんだいいますけど、根はそこです」
今にして思えば。ただ1つ残念なのは、このとびきりの笑顔をカメラマンが撮影し損ねたというコト(爆笑してたから)。テンションMAXの安井氏の姿を、是非とも読者に伝えたかったと。本当に無念でならない。
「これを集めたら、アレも欲しくなった、コレも欲しくなったと。それを今は職業として、学芸員という特権的地位を活かしてできるというのは非常に有難い。特権的というのはまずいな、職務の一環として、それを行えるのは非常に有難いですね」
少し落ち着いたところで、話題は今後の研究へと移る。
「ニホンオオカミだということは、ほぼ間違いないですけれども。これを論文にして報告したいなと思ってます。DNA解析や年代測定が専門の方と、今後協力してできたら」
研究には、標本からのサンプル採取が必要となる。今回寄贈された頭骨は非常に貴重なもの。効率的に正確なデータを算出するために、採取の方法など慎重に検討して進めたいとの言葉で取材を終えた。
最後に。
帰り支度の際に、雑談がてらこんな話も。
「様々な方がニホンオオカミに興味をお持ちで、少し困惑するような問い合わせとかもあるんですよ」
そんな心配事をひとり呟いた安井氏。
なんでも、宗教的儀式に使うために貸して欲しいといった電話もあるのだという。
こちらは記事を書く身。
手元で頭骨を管理するのは大変だ、などと他人事のように思っていたのだが。
まさかのまさか。
先日、記事を書くため、改めて取材テープを起こしたところ、聞き覚えのない声が。人なのか獣なのか判別はつかないものの、完全なる「うめき声」である。何度確認しても間違いない。不気味な声が2度も入っていた。
思い出したところで、録音時点で部屋にいたのは、安井氏とカメラマン、私の3名のみ。その事実は変わらない。もしや、何かを訴えているというのか。全く見当もつかず、ただ、意外にも不可解な思いを抱える顛末となってしまった。
もともと、記事の締めに昭和の川口探検隊もどきで、「次回は『オオカミ信仰』の取材でも」なんて、終わらせようと考えていたのに。本当に、そんな企画が舞い込んで実現するかもしれない。
ふと、研究職を志す理由を語ってくれた安井氏の笑顔を思い出した。
ああ。
結局は同じか。
1つを知れば、その先が知りたくなる。それを知ってしまえば、さらにその先が当然知りたくなる。溢れ出る知識欲は、きっと永遠に枯渇しないのだろう。だからこそ、研究者がいて。書き手がいて。読み手がいるのだ。
始まりは1つの車内広告。そこから豊橋市自然史博物館へ。
さて、次に続くのは…。
「ニホンオオカミ」の探求の旅は終わらない。
基本情報
名称:豊橋市自然史博物館
住所:愛知県豊橋市大岩町字大穴1-238(豊橋総合動植物公園内)
公式webサイト: http://www.toyohaku.gr.jp/sizensi/
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