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2021.04.04

クイズ!大河ドラマ『青天を衝け』に登場の徳川家茂が行った、画期的なことって何?

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幕末は先の見通しの立たない、変化に富んだ時代でした。大河ドラマ『青天を衝け』は、コロナ禍の現代とも通じる幕末で、ひたむきに生きる渋沢栄一が描かれます。また庶民の渋沢栄一と共に、幕府側の主要な人物として描かれるのが15代将軍・徳川慶喜です。徳川幕府最後の将軍として知られていますが、慶喜の前に将軍だった人物のことは、印象が薄いのではないでしょうか? 

たしかに……。

『青天を衝け』では、若手俳優の磯村勇斗(いそむらはやと)が14代将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)を演じます。イケメンの容姿に甘んじず、様々な役柄に挑戦しているだけに、どんな家茂になるのか楽しみですね。

さて、徳川家茂が行った画期的なこととは…….。それは、将軍として229年ぶりに江戸から京へのぼったことです!

229年! 令和3年の現在からさかのぼると……寛政4(1792)年江戸時代中期、松平定信の寛政の改革真っ最中!

ライバル慶喜に勝利して、第14代将軍に!

家茂は安政5(1858)年、13歳で将軍になりました。13代将軍家定の後任問題をめぐり、慶喜を推す派閥との激しい争いがありましたが、大老の井伊直弼(いいなおすけ)※の強力な補佐によって勝利したのでした。

家茂は生まれたときには父が亡くなっていて、さらに叔父も死去したために、わずか4歳で家督を継ぎます。将軍の地位も、家茂がなりたいと熱望したというよりは、運命に導かれたような印象を受けます。

幼いころから権力争いを目の当たりにしていたんだろうなあ。

文久2(1862)年、17歳になると公武合体の推進のために、孝明天皇の妹の和宮と結婚します。和宮には婚約者がいたのに、それを破棄しての輿入れでした。周囲が仕組んだ政略結婚でしたが、同い年の2人はやがて打ち解けて、とても夫婦仲が良かったと伝えられています。

よかった~!

※江戸末期の大老、彦根藩藩主。幕府の危機回避のために、反対勢力に弾圧策を取る。桜田門外の変で、斬殺された。

将軍として229年ぶりの上洛!民衆は歓喜!

文久3(1863)年、家茂は将軍として、3代将軍家光以来、実に229年ぶりに上洛を敢行します。一般人にとって将軍とは、長らく江戸城の奥に存在する権力者で、ベールに包まれた存在でした。この上洛が驚きをもって受け止められたことは、数々の浮世絵が残っていることから想像できます。

テレビもネットもない時代、きっと現代の想像より謎に包まれた存在だったんだろうなあ。

当時、将軍をあからさまに描くことはタブーとされていたので、浮世絵に「将軍」と表記はされていません。しかし、朱傘を差し掛けられた馬上の姿は、誰が見てもあきらかです。浮世絵によっては、源頼朝をイメージしてカモフラージュしたものも多く見られます。

他のジャンルでも見かける、「見立て」という発想だったのでしょうか。

『東海道之内江戸芝新ン橋』歌川芳艶 国立国会図書館デジタル

家茂の上洛は、公武合体の強化が目的だったようです。家茂は京で和宮の兄・孝明天皇に謁見して、攘夷(じょうい)※を約束しています。

後の新選組に連なる浪士組結成の目的も、この将軍家茂上洛の警固のため、でしたね!新選組の史実。結成から隊名由来・応募資格・主要メンバーや組織編成・隊服まで解説

家茂が危険を顧みず、馬や時には徒歩で向かった上洛は、庶民にとってインパクトのある出来事でした。家茂は道中で、庶民の田植えや、漁猟を眺めることもあったようで、その様子を描いた浮世絵も見られます。

※外敵を追い払って国内に入れないこと。

『東海道名所之内 穴嶋八幡』歌川芳艶 国立国会図書館デジタル

妻の和宮や周囲が愛した細やかな心遣い

家茂は慶応元(1865)年、第2次長州征伐※を指揮するため、3度目の上洛をします。しかし、翌年の慶応2(1866)年、心労が重なり病に倒れ、大坂城内で亡くなってしまいます。20歳という若さでした。

勝海舟は、家茂の聡明さと温和な人柄を、高く買っていました。家茂の死によって、徳川幕府の先行きを心配したと伝えられています。

勝海舟の心配が的中した形になった、のでしょうか……。

※江戸幕府が長州藩を攻めた戦い。この戦いで幕府は敗戦を重ねて、家茂の死で撤退し、権威が失われた。

妻の和宮は、『空蝉の 唐織衣 何かせむ 綾も錦も 君ありてこそ』の和歌を詠みました。家茂は江戸を発つときに、和宮にお土産は何がいいかと尋ねていました。和宮は西陣織がいいとお願いをします。西陣織は、家茂が亡くなった後に、形見として和宮に届けられたのでした。

「あなたがいないのに織物が一体何の役に立ちましょうか。綾織物も、絹織物も、あなたがいてこそのものなのに」。和宮の悲しみと、家茂を愛する気持ちが伝わってくる切ない和歌です。

本当に深く想いあっていたんだなあ。

家茂がもしも長生きしていたら、歴史はまた違っていたのかもしれませんね。

参考文献:『王政復古』久住真也著 講談社現代新書、『天璋院篤姫のすべて』芳即正編 新人者往来社

書いた人

幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。

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人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。