日本ではあまり知られていないことですが、北斎は江戸時代の市井(しせい)の絵師にもかかわらず、海外で最も有名な芸術家のひとりであり、各方面から絶賛されている特別な存在のアーティストです。特にアメリカの「LIFE」誌では、印象派の名だたる画家やゴッホらを差し置いて19世紀最高の画家に選ばれたほど! それほど高い評価を受けている10の理由をご紹介します。
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理由1. ダ・ヴィンチと双璧をなす、科学的視点に基づく作画
14世紀半ばから16世紀にかけてのイタリア・ルネサンス期を代表する大芸術家のレオナルド・ダ・ヴィンチは、絵画、彫刻、建築、音楽といった芸術分野はもとより、科学や数学、工学、解剖学、地学、植物学といったジャンルにも才能を発揮した、まさに万能の天才です。
ダ・ヴィンチの科学的・多角的な知識や見地はなんと、自然と共生し、自然から学んだものだと本人が語っています。そして、「絵画こそが最高の芸術」だと断言しているのです。
同時代の偉大な彫刻家・ミケランジェロはその言葉に憤慨し、ダ・ヴィンチに詰め寄ったところ、「君には空気は表せないが、私は空気が描ける」と言い返されます。
科学的な視点をもっていたダ・ヴィンチは、遠くの山が青く見えるのは水蒸気の層によるものだということを知っており、空気を描くという意味がわかっていたのです。そして、空気遠近法という画法を編み出し、絵画こそ最高という言葉を裏付けました。
ダ・ヴィンチと同じように、北斎もつねに自然に目を向け、的確に描き表すことを可能にした絵師のひとりです。その結果、自然と人間が闘っているという観点をもつようになり、『神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)』の大波をはじめ、風や水の動きまで絵画として表現することに成功したのです。
理由2. その絵は、世界的建築家の作庭のモデルになった!
帝国ホテル旧本館の設計者として知られるアメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトは、日本の近代化に尽力するかたわら、浮世絵を愛し熱心にコレクションをしていたという側面があったことをご存じでしょうか。
それを物語るのが、ライトが手掛けた歴史的な作品、「落水荘」の建築秘話です。
落水荘は、アメリカのピッツバーグで、デパートの経営者として成功したオーナーのカウフマンのために設計した別宅の別名で、その名は邸内を勢いよく落ちていく滝の水に由来しています。
自然豊かな郊外にふさわしい別荘を希望したカウフマンのオーダーを受け、ライトが示した設計図は、なんと滝の上に立っている邸宅。それを見たカウフマンは、滝の上ではなく滝を見ながら暮らしたいと変更を要求。それに対してライトは、「滝やそれを取り巻く自然と一体となって暮らしてもらいたくて、この家を設計した」と答えます。そして、やおら取り出した一枚の浮世絵が、北斎の『諸国瀧廻り(しょこくたきめぐり)』。瀧から流れ落ちる水をユニークに描いた浮世絵を眺めるカウフマンにライトは、日本人が自然と共生していることを語りかけ、納得させるとともに満足へと導いたと伝えられています。
近代建築史に偉大な業績を残し、その作品が世界遺産に指定されることが確実視されているフランク・ロイド・ライトが、北斎の『諸国瀧廻り』を手本にしていたとは!
海外の別荘にまで影響を及ぼし、それが歴史的建築物として名を馳せるとは、北斎には知る由もなかったことでしょう。
理由3. 目に見えないものまで描き切った!
風景画の傑作『冨嶽三十六景』のうちの「駿州江尻(すんしゅうえじり)」は現在の「三保の松原」の名称で知られている景勝地の近辺を描いたものです。
東海道の宿場・江尻では、旅人が強風にあおられて、笠や懐紙を飛ばされ、歩くのにも難儀しています。
この中で特筆すべきは、風の流れなど一切描いていないのに、吹きすさぶ強風が画面から感じられることです。視覚ばかりでなく、ビュービューと吹きすさぶ風やザワザワとゆれる草木の音、旅人たちのうめき声など、視覚にも訴えかけてきます。
目に見えるはずのないものまで描き切るという高等テクニックも、北斎にとってはお手のもの。そのルーツは50代のころにさかのぼります。
たくさんの弟子たちの作画の参考書である絵手本を描くことに熱中していた北斎は、この世のあらゆるものをリアルに描く技術を磨き上げ、この絵のような効果を生むことへとつながっていったのです。
たとえば『北斎漫画』には、風の表現方法や水や波の動きなど、目に見えないものや止まることなく形をかえていくものの一瞬を切り取った、優れたデッサンをいくつも描いています。これほど的確で効果的な描き方をこの時代に実践していた絵師は、北斎をおいてほかにありません。だからこそ、『北斎漫画』が欧米でセンセーショナルな話題となり、たくさんの芸術家が手本とするまでにいたったのです。
理由4. アール・ヌーヴォー期に活躍したデザイナーも真似をした
近代を迎えた19世紀後半、パリの美術界は北斎らの影響による「ジャポニスム」の全盛期でした。
やがてパリの街は急成長し、人々の生活が大きく変化していくにしたがって、情報伝達手段としての芸術が脚光を浴びるようになります。それが、ポスターという新しいメディアの誕生につながりました。
印刷による広告物は、かつては文字が中心でしたが、リトグラフ(石版画)をはじめとした印刷技術の発達によって絵を忠実に複製することが可能になると、視覚に訴えかけるポスターの需要が急激に高まります。
そこに現れた新しいスターが、ロートレック。北斎などの浮世絵からヒントを得た彼は、『北斎漫画』を思わせる線描を用い、大胆に平面化した彩色に簡潔で力強い文字を配するなど、浮世絵からたくさんのことを学び、大成功をおさめたのです。
チェコ出身で、パリで活躍したミュシャもその技法を受け継いだひとりでした。彼は日本美術における自然に対する意識に影響を受け、流麗な曲線と細密な彩色からなるポスターを次々に発表。それが新たな装飾芸術、アール・ヌーヴォーへと発展します。
ポスターという新しいメディアで一世を風靡したふたりは、画家というよりも優れたデザイナーと表現されます。そんな彼らにデザインの基礎を教えたのは、まぎれもなく北斎です。そんなことから、北斎はヨーロッパの近代的なデザインの発達においても、先駆者として称えられているのです。
理由5. 印象派の巨匠・モネは、北斎にならって連作に挑んだ!
印象派に北斎が与えた影響は、枚挙にいとまがありません。
平面的でありながら躍動感にあふれた描写、左右非対称や余白をいかした画面構成、対象物の一部を拡大したり切り取ったりしてデフォルメした構図、鮮やかで精彩に富んだ色使いなどなど……。
浮世絵の多種多様なテクニックは、西洋の画家にとって目新しいものばかりで、そのどれもがまさしく驚異的な表現方法だったのです。
それ以前、日本美術への興味は「ジャポネズリー」と呼ばれていましたが、北斎の登場によって、ヨーロッパの芸術家は日本美術の斬新さを積極的に取り入れようとする意識をもつようになり、「ジャポニスム」と呼ばれる洋式が定着していくのです。
特に積極的にジャポニスムを取り入れた印象派の画家は、絵を描く技術のみならず、『冨嶽三十六景』のように、ひとつの画題を、条件を様々に変えて描くという手法もまねするようになります。
その代表的な画家が、印象派の祖であるクロード・モネ。『冨嶽三十六景』からヒントを得たモネは、ひとつのテーマを、季節や時間を変えて何作も描くという連作に積極的に取り組んだと言われています。
『エトルタ海岸』はモネの連作を代表する作品で、季節や時間によって光線が刻々と変化する様子を、優しい色彩で描き、連作という手法を見事に自分のものにしています。
モネはほかにも、『積みわら』『ルーアン大聖堂』、そして最高傑作として日本でも人気ナンバーワンを誇る『睡蓮(すいれん)』など、自然ばかりでなく、人物や室内、静物などにもテーマを広げて、連作を楽しんでいたふしも見受けられます。
同じく印象派のドガは『踊り子』を、セザンヌは『サント=ビクトワール山』を連作し、ポスターデザインで名を馳せたロートレックやミュシャにいたっては、シリーズ作品を何作も生み出し、パリのアート・シーンを活気づけました。
理由6. だれひとり思いつかなかった、グラフィックな描写
材木問屋が集まっていた「本所立川(ほんじょたてかわ)」の様子を、遠くに見える小さな富士山とともに描いたこの絵は、グラフィック・デザイン的な面白さがひときわ強調されています。
下から投げ上げられた材木を受け取ろうとしている男が乗っているのは、積み上げられた木材の塊。高さは明らかに誇張されています。ですが、この塊がもっと低かったとしたら、この絵がもつ緊張感や躍動感は薄れてしまうことでしょう。
右側に縦に並べられた材木も同様に、絵としての面白みが優先されています。
グラフィック・デザインの概念などない時代に、北斎は画面構成の面白さを何よりも重視して、グラフィカルな表現を悠然とやってのけているのです。
『冨嶽三十六景』にはほかにも、富士山をデザイン化した「凱風快晴(がいふうかいせい)」や「山下白雨(さんかはくう)」、丸を多用した「尾州不二見原(びしゅうふじみがはら)」、三角形を並べた「東都浅草本願寺(とうとあさくさほんがんじ)」など、グラフィカルな魅力をもつものがいくつもあり、アイディアの豊富さに感心させられます。
かくも多彩な表現をいとも簡単にやっているというところが北斎の凄いところ。それが今日まで続く、賞賛へとつながっているのです。
理由7. 北斎によってヨーロッパはジャポニスムに席巻された!
ジャポニスムとは、19世紀末パリからヨーロッパ全土に広がった一大ムーブメント。日本の美術品に触発された芸術家たちが、日本的な表現やモチーフにならったジャポニズム。その源が北斎の『北斎漫画』や『冨嶽三十六景』だったのですから、北斎はジャポニスムの原動力でもあったのです。
絵画から工芸、音楽の分野にも影響を及ぼしたジャポニスムはやがて、アール・ヌーヴォーへと進化し、西洋美術の近代化へダイナミックな変革をもたらします。その発火点となった北斎が欧米で燦然と輝くスター絵師として扱われるのは当然のこと。海外での北斎に対する認識は、日本で考えるよりはるかに高いのです。
理由8. 齢90にして微動だにせぬ線を描き上げた!
日本美術の作画修行の第一歩は、フリーハンドでまっすぐな線や丸い線を描くことからはじまります。
当時は下絵から彩色、仕上げまで、筆一本で描いており、定規を使うことなどもってのほか。揺れや滲みのない線こそ、絵師の生命線でした。しかし、年を重ねると筋肉が衰えて、指先が震えてしまうのは人の常。にもかかわらず、北斎は80歳を越えてから肉筆画に本格的に取り組むようになったのですから、恐れ入ります。
しかも、北斎の肉筆がは線の美しさが際立っていて、乱れを一切見せないという怪物ぶりを発揮。90歳で描いた『富士越龍図(ふじこしりゅうず)』では、長い線を引くのが困難になった分、短い線を重ねて描いていることが指摘されていますが、それはまさに最後の最後まで絵の向上を目指した北斎の気魄(きはく)の賜物です。
理由9. 世界に冠たる「マンガ」は、北斎によって広まった!?
マンガという耳慣れた言葉は、『北斎漫画』によって広く使われるようになった、と考えられていることをご存じでしょうか。漫画の語源にはいくつか説があり、ひとつは、もともと漫画は中国語でヘラサギを表す言葉であるため、江戸時代の戯作者・山東京伝が「気の向くままに描く」という意味で用いていたというもの。そのほか中国語で随筆のことを「漫筆(まんぴつ)」といい、そこから転用したという説などがあるのですが、北斎がなぜ絵手本に「漫画」と名付けたのかは未詳です。
当初の意図はわからないものの、漫画と言えば今や世界に通用する日本語のひとつ。それを広めたのが北斎だったと考えるのならば、その先見性や後世への影響力の強さに、改めて驚かされてしまいます。
理由10. LIFE誌のみならず、アメリカの美術館グッズにも北斎の名が!
アメリカの有名なフォト・ジャーナル誌『LIFE』が1998年に、「過去1000年の間で最も重要な人物はだれ?」という調査を行い、上位100人のランキングを発表しました。
その結果、1位エジソン、2位コロンブスなど、アメリカにゆかりの偉人が上位を占め、その後も世界史でおなじみの名前が並びました。
そのランキングに、日本人で唯一選出されたのが、なんと葛飾北斎でした。
そこには、エドガー・ドガの、「北斎は浮世絵の絵師たちのうちのひとりにすぎないのではない。彼自身がひとつの島であり、大陸であり、世界全体なのだ」という言葉が添えられ、西洋美術に多大な影響を与え、ジャポニスムを巻き起こしたことと、モネやドガ、ルノワール、ゴッホ、ピカソといった偉大な画家たちの道標となったことが紹介されています。
そして、100人の中で19世紀の画家として選ばれているのも、北斎ただひとりだけだったのです。
アメリカで北斎がいかに有名なのかは、ミュージアムショップなどで販売されている、美術史における重要な画家の名を列記した定規にその名が見られることからもわかります。
北斎が日本より海外で、はるかに有名で重要視されていったとは……。今こそ北斎が残した浮世絵や肉筆画の数々から、その美しさや面白さ、そして北斎自身の絵師としての桁外れな凄さを再認識し、堪能したいものです。
和樂web編集長セバスチャン高木が葛飾北斎について音声で解説した番組はこちら!
5月28日(金)劇場公開! 映画『HOKUSAI』
工芸、彫刻、音楽、建築、ファッション、デザインなどあらゆるジャンルで世界に影響を与え続ける葛飾北斎。しかし、若き日の北斎に関する資料はほとんど残されておらず、その人生は謎が多くあります。
映画『HOKUSAI』は、歴史的資料を徹底的に調べ、残された事実を繋ぎ合わせて生まれたオリジナル・ストーリー。北斎の若き日を柳楽優弥、老年期を田中泯がダブル主演で体現、超豪華キャストが集結しました。今までほとんど語られる事のなかった青年時代を含む、北斎の怒涛の人生を描き切ります。
画狂人生の挫折と栄光。幼き日から90歳で命燃え尽きるまで、絵を描き続けた彼を突き動かしていたものとは? 信念を貫き通したある絵師の人生が、170年の時を経て、いま初めて描かれます。
公開日: 2021年5月28日(金)
出 演: 柳楽優弥 田中泯 玉木宏 瀧本美織 津田寛治 青木崇高 辻本祐樹 浦上晟周 芋生悠 河原れん 城桧吏 永山瑛太 / 阿部寛
監 督 :橋本一 企画・脚本 : 河原れん
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