早速ですが質問です!
ミノムシ、ミミズ、カメ、タニシ
このうち鳴くのはどれでしょう?
答えは……なんと全部。
俳句の季語では全部鳴くことになっているんです!
蚯蚓(みみず)鳴く―【秋】
秋の夜にジーと低い声で鳴くとされていますが、実際には螻蛄(けら)の鳴き声だそうです。
『和漢三才図会』の「蚯蚓」の項には「四月始テ出ル。十一月ニ蟄結ス。雨フルトキハ先ズ出デ、晴レバ則夜鳴ク。其鳴クコト長吟ス。故に歌女ト曰フ」と書かれています。また、柳田国男は「昔、蛇は歌が巧みで目を持たなかったが、蛇のところへ蚯蚓が歌を教えてもらいに行くと、目と交換になら教えてやろうと言ったので、その声と目を取り換えた」という説話を紹介しています。それであの陰気なジーーの歌声では割に合わないような?
蚯蚓なくあたりへこごみあるきする 中村草田男
蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ 川端茅舎
みみず鳴く日記はいつか懺悔録 上田五千石
蓑虫鳴く―【秋】
『枕草子』第四十三段で清少納言は虫のいろいろを紹介する中で蓑虫についてこのように述べています。
・・・みのむし、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣ひき着せて、「今、秋風吹かむをりぞ来むとする。待てよ。」と言ひおきて、逃げて去にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ。」とはかなげに鳴く、いみじうあはれなり・・・
訳:みのむしにはとてもしみじみした趣を感じる。鬼が生んだ子なので「親に似て恐ろしい心があるに違いない」として、みすぼらしい衣を着せ「もうすぐ秋の風が吹く季節がきたら迎えにきましょう。それまで待っていなさい」と言いおき、親は子どもを捨ててしまった。それを知らないみのむしの子は、風の音を聞いて8月頃になったのを知ると「ちちよ、ちちよ」とはかなく鳴く。なんともしみじみすること……。
蓑虫の音を聞きにこよ草の庵 松尾芭蕉
蓑虫の父よと鳴きて母もなし 高浜虚子
蓑虫のオスは成長すると蛾となって蓑を出ていきますが、メスは一生蓑の中で過ごし、目も口も肢も翅もすべて退化してしまって、腹の中には数千の卵があるのみだそうです。あはれもここに極まると思いませんか?
亀鳴く―【春】
鎌倉時代後期に編まれた夫木和歌抄にある「川越のをちの田中の夕闇に何ぞと聞けば亀のなくなり」(藤原為家)という歌がもとになって生れた季語。「亀の看経(かんきん)」という傍題もあります。看経はもともと禅宗で「経文を声を出さずに読む」という意味の言葉なのですが、その後「声に出して読経する」ことを指すようになりました。亀の風体からお経をよむこともありそうです・・・??
鳴きたるはどの亀なりし一休寺 角川春樹
亀鳴くや男は無口なるべしと 田中裕明
田螺鳴く―【春】
田螺(たにし)鳴くについては、調べても根拠となるものが見つかりませんでした。しかし、一茶の時代から句に詠まれ、いまなお詠み継がれています。
鳴く田螺鍋の中ともしらざるや 小林一茶
田螺鳴くひとり興ずる俳諧師 山口青邨
日表に田螺鳴きけり宇治拾遺 山尾玉藻
春の駘蕩とした気分が春愁を呼び亀や田螺を鳴かせ、秋のしみじみした情感が秋思を呼び蚯蚓や蓑虫を鳴かせる。これらの季語は元ネタがあるとはいえ、浪漫性、諧謔性があり、俳人に長く愛されてきました。このような想像上の季語がなぜ春と秋にあり、夏冬にはないのでしょうか。過ごし易い季節だから? 農耕民族ゆえの春の予祝と秋の収穫のよろこび? 中国に影響されて? はっきり理由は言えなくても、私達はどこかでDNAレベルでそれに納得しているように思えます。
春と秋、どちらが好きですか?
古来、春秋どちらが優れているかという議論は尽きません。主だったところを拾ってみます。
古事記
兄・秋山之下氷壮夫(あきやまのしたひおとこ)弟・春山之霞壮夫(はるやまのかすみおとこ)の二神が伊豆志袁登売神(いずしおとめのかみ)を娶ろうと争います。母は弟神のために藤の蔓で上下の衣と沓を織り合わせ、弓矢を作り、その娘の家に行かせたところ、藤の蔓がことごとく藤の花となりました。
春山之霞壮夫が藤の花咲く弓矢を乙女の厠に懸けておいたところ、伊豆志袁登売は不思議に思い手にとって家に入ろうとします。春山之霞壮士はすかさずその乙女の後ろについて押し入り、無理やりまぐわってしまいます。
万葉集
天智天皇が内大臣藤原朝臣(藤原鎌足)に「春山の花の艶と、秋山の紅葉の色、いずれが良いか歌で競わせよ」と命じ、額田王の答えが次の長歌です。
冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ歎く そこし恨めし 秋山吾は
さんざん春を持ち上げておいて最後に掌返しをする額田王なのでした。
源氏物語
六条御息所の娘、斎宮女御が二条院に里帰りしていたとき、源氏は彼女の気を引こうとして「春秋優劣論」を持ちかけます。「母が亡くなった秋に惹かれる」と答えた女御に源氏はここぞと言いよりますが、女御はつれない態度に終始し(そりゃ生霊死霊になった六条御息所の娘ですから)、源氏もしぶしぶあきらめます(“わが御心も、「若々しうけしからず」と思し返して”―あの歩く下半身・源氏が自分のことを若々しくけしからずと自制したのも、齢を重ねたゆえでしょうか)。
また源氏はこれから着想して、四季の町からなる広大な邸宅(六条院)を造営し、秋好中宮(斎宮女御)のために亡き御息所の邸跡に秋の風物を配して彼女の里邸(里下がり時の邸)としました。一方春を好む紫の上は隣の東南の春の町に住まい、紫の上と秋好中宮は六条院の春の主と秋の主として、春秋の優劣を競いあいました。
若菜・下では六条院で催した女楽の成功に大変気をよくした源氏が、夕霧に春秋優劣論や音楽論を語っています。
更科日記
ある夜、菅原孝標女が同僚といるところへ源資通がやってきて春秋どちらがよいかと話しかけます。
「いづれにか御心とどまる」と問ふに、秋の夜に心を寄せて答へ給ふを、さのみ同じさまにいはじとて、
あさ緑花もひとつに霞みつつおぼろに見ゆる春の夜の月
と答へたれば、返す返すうち誦じて、
「さは、秋の夜は思し捨てつるななりな。今宵より後の命のもしもあらばさは春の夜をかたみとおもはむ」
といふに、秋に心寄せたる人、
人はみな春に心をよせつめり我のみや見む秋の夜の月
菅原孝標女は「人と同じことは言うものか」と春を推し、それに対し資通が「これから先は春の夜をあなたとの思いでのよすがとしましょう」などと歯の浮く科白を言います。するとはじめに秋を推していた同僚は「みんな春推しなのね、秋の月を見るのは私だけなのね」と拗ねてしまいます。
このくだりは高校の古典で習った記憶がありますが、男女間の心の機微にドキドキしました。
さて、あなたは春と秋、どちらが好きですか?
参考文献
カラー図説 日本大歳時記 春・秋 講談社
基本季語500選 山本健吉 講談社学術文庫
他