Culture
2019.07.16

隅田川でアーティスティックスイミング?東京2020開催までに知っておきたい江戸のスポーツ

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東京2020オリンピック・パラリンピックの開催日が近づいてきました!
トップアスリートたちが来日し、世界の頂点を目指す檜舞台。どんな記録やストーリーが生まれるのか、大会の盛り上がりを想像すると気分が上がりますね。

東京・両国にある江戸東京博物館で2019年7月6日から8月25日まで開催される特別展「江戸のスポーツと東京オリンピック」は、日本のスポーツとオリンピックの歴史をひも解く展覧会。展示の第一章は「江戸の『スポーツ』事情」と題し、江戸時代に行われていた運動や競技について解説しています。江戸時代に「スポーツ」なるものはあったのでしょうか? 展示内容をもとに、江戸のスポーツについてレポートします。

平和な時代が育んだ江戸のスポーツ

江戸時代に「スポーツ」はあったのでしょうか?

……ありました。


特別展「江戸のスポーツと東京オリンピック」、第一章「江戸の『スポーツ」』事情」の展示風景

特別展「江戸のスポーツと東京オリンピック」では、国際スポーツ・体育評議会(ICSPE)によるスポーツの定義(「プレイの性格を持ち、自己または他人との競争、あるいは自然の障害との対決を含む運動」)などをもとに、江戸時代に行われていたさまざまな競技・運動もスポーツのひとつととらえて紹介しています。
江戸時代には、どんなスポーツが行われていたのでしょう。

水術―武芸から発展したさまざまな泳法

◆まるでアーティスティックスイミング?錦絵「極暑あそび」

三代歌川豊国が描いた錦絵「極暑(ごくしょ)あそび」。暑い暑い夏の日、歌舞伎役者たちが乗る遊船が隅田川を進んでいます。船の脇には、個性的な泳法で泳ぐふんどし姿の男たち。彼らの泳ぎには

「土左衛門およぎ」「しやちほこ立游(たちおよぎ)」「徳利もち立游」「雷盆(すりばち)およぎ」「かへるおよぎ」

と、脱力系のタイトルがつけられています。


「極暑あそび」歌川豊国(三代)/画 1852年(嘉永5)早稲田大学演劇博物館蔵
[特別展「江戸のスポーツと東京オリンピック」展示期間:7月6日~28日]

まるでアーティスティックスイミングのようなポージング。歌舞伎役者たちは料理をつまみながら、その泳ぎを鑑賞して楽しんでいます。
彼らが泳いでいるエリアは、神仏に詣でる前に水を浴びて心身を清める「水垢離(みずごり)」を行う場所。江戸時代、真夏になるとここで水遊びをする人々も多かったようです。
これも、江戸の日常的なスポーツのひとつですね。

◆江戸時代に生まれた泳法「小堀流」は今も健在

「極暑あそび」に描かれた泳法は豊国のユーモアから発したものだったかもしれませんが、江戸時代にはさまざまな泳法の流派が生まれました。その多くは武芸を起源としており、今の水泳競技のようにスピードを競うものではなく、武装したまま泳いだり、立ち泳ぎをしながら武器で格闘する「水術」を基本としたものでした。


『水練早合点』小堀常春/著 1816年(文化13)蔵 京都府立京都学・歴彩館 京の記憶アーカイブより
[特別展「江戸のスポーツと東京オリンピック」では、国立歴史民俗博物館所蔵本を展示]

水泳に関する日本最古の書籍『踏水訣(とうすいけつ)』や、水術の教科書『水練早合点』の著者である熊本藩士・小堀長順常春は、日本泳法の流派のひとつ「小堀流踏水術」の創始者。小堀流の泳法は熊本藩の藩校で教えられた歴史があり、今も熊本や長崎を拠点に活動が続いています。

武術―剣術、弓術はガチな技からたしなみへ

戦乱の世には、戦場でガチに戦うために習得していた武芸や武術。戦のない平和な時が続いた江戸時代、武士はそれらを教養やたしなみとして学び、楽しむようになりました。
剣術の練習の場では真剣を使っていましたが、それでは怪我をして危ないということで竹刀や防具が発達。思う存分打ち合えるようになって、勝敗を競う試合が行われるようになります。


1834年(天保5)から江戸末期にかけて使用された剣術道具の展示。面、胴、小手を備え、現在の剣道の防具に近いスタイル

弓術は京都・三十三間堂の横長な軒下を舞台に矢を射る「通し矢」という競技を生みました。「通し矢」は平安時代末期ごろに始まったとされますが、江戸時代に入ってルールが整備され、競技性が増します。いくつかの部門のなかでもっとも難しいとされた「大矢数」は約121メートルの距離を24時間射続けるタフな試合。頂点をとった競技者は「天下一」の称号を得ました。


「大矢数」で2度の「天下一」に輝いたアスリート・星野勘左衛門茂則所用の弓や「通し矢」の成績が書かれた資料

打毬―徳川吉宗が再興した「ポロ」

「享保の改革」を行ったことで知られる8代将軍徳川吉宗は、武芸を奨励しました。太平の世が続き、ゆるんでいた幕臣たちの気持ちを引き締める意図があったようです。
吉宗は、平安時代から続く「流鏑馬(やぶさめ)」や、古代ペルシャを起源とする「打毬(だきゅう)」を再興し、ルールなどを整備して広めました。「打毬」は馬上で杖を操って毬をゴールに入れる競技で、欧米や南米で今も行われている「ポロ」と同様のものです。


「打毬」で使用された道具(右)など。杖と毬は紅白で色分けされているのが日本的

蹴鞠―町人の間で大ブームとなった遊芸

江戸の町人に大人気だったのが蹴鞠(けまり)。蹴鞠は6人から8人ほどで行う競技で、地面に落とさないように、鴨沓(かもくつ)と呼ばれる革靴で鞠を蹴り上げます。サッカーのリフティングのようですが、蹴り上げる回数だけでなく、足の運び方、姿勢、所作の美しさなど、芸術点のような評価も重視されました。
平安時代から鎌倉時代には貴族を中心に広まりましたが、江戸時代には茶の湯や俳諧に並ぶ文化的な遊芸として武家や裕福な町人もたしなむように。肉体的な技量だけでなく、作法や心得に熟知することも求められ、独自の深まりを見せます。飛鳥井家、難波家という家元が並び立ち、免許制度もできました。
競技のユニフォームにも厳格な規定があり、「江戸のスポーツと東京オリンピック」展では江戸中期から後期に使用された装束をトータルコーディネートして展示しています。


蹴鞠の装束や毬、鴨沓、扇。装束には細かい作法や様式があり、袴の色・模様は技量や経験年数によって規定されていた

相撲―横綱誕生! 興行としての相撲の始まり

古代、農耕儀礼や年中行事として行われてきた相撲は、中世になって、寺社に奉納される芸能・寺社の建立や修繕のための寄付を募る勧進相撲となり、江戸時代に入ってからは相撲興行に発展しました。また、「土俵」が誕生したことで、勝敗を決めるルールが成立。興行が定期的に行われるようになると相撲人気は沸騰します。
1789年(寛政1)、無類の強さを誇っていた大関・谷風と小野川に横綱免許が与えられ、横綱の土俵入りが披露されると江戸市中は大熱狂。相撲ブームとなりました。
この後、相撲はほかの江戸のスポーツとは別の発展を遂げ、国技として定着していきます。


「小野川 谷風 引分の図」勝川春英/画 1791年(寛政3)頃 東京都江戸東京博物館蔵

特別展「江戸のスポーツと東京オリンピック」で、日本のスポーツ史を振り返ろう

「江戸のスポーツと東京オリンピック」展は、江戸時代のスポーツのほかにも、近代スポーツ、1964年の東京オリンピック・パラリンピックなど、東京2020大会に向けて知っておきたい日本のスポーツとオリンピックの歴史を紹介しています。大河ドラマ『いだてん』に登場する金栗四三や人見絹枝ほか、歴代のオリンピアンにまつわる貴重な品も多数展示。松岡修造さんがナレーターを務める音声ガイドも必聴です。


金栗四三が1912年のストックホルム大会で使用したユニフォーム(複製)を鑑賞する松岡修造さん。音声ガイドは「テンション抑えめで語りました」とコメント

これまで脈々と続いてきた日本のスポーツの歴史や、オリンピックに賭けてきた人々の熱い思いを知れば、オリンピック開催に向けての感慨もひとしお。東京2020オリンピック・パラリンピックの予習に、ぜひ足を運んでみてください!

展覧会情報
展覧会名:特別展「江戸のスポーツと東京オリンピック」
会場:東京都江戸東京博物館 1階特別展示室
会期:2019年7月6日(土)~8月25日(日)
公式サイト

書いた人

寺社巡り、歳時記、やきものなど、さまざまな日本文化にまつわるウィークリーブックの編集担当を経て、料理専門誌編集部へ。たんぱく質不足。炭水化物過多。お腹はゆるゆるでいいが背中はバキバキでありたいので、背筋を中心に日々トレーニングしたりしなかったり。