あれほど暑かった夏が過ぎ去り、朝夕は肌寒く感じる気候となりました。
こんな時期は、羽織るものに悩みます。
さて、クイズの答えはと言うと…….。
「たんぜん」です!
えっ、何? そんなの知らないという方も、旅館に泊まった時に見かけたことがあるかも?
外湯巡りや街歩き用にと、浴衣の上に着る厚手の着物が用意されている場合がありますね。これを丹前と呼びます。
始まりは、人気ナンバー1の湯女から
丹前と呼ばれるようになったのは、江戸時代に実在した「勝山(かつやま)」という女性が関係しているといわれています。
彼女は、「丹前風呂」と呼ばれる風呂屋の湯女(ゆな)でした。容色の優れた湯女が、客の身体を洗ったり、湯茶を接待したりすることから、丹前風呂は大いに繁盛したとか。特に美貌が際立っていた勝山はもてはやされ、客たちの注目の的となったそうです。
腰に木刀の大小をさし、派手な綿入れを着て歩く姿は、さぞかし目立ったことでしょう。男っぽい粋な着こなしが評判となり、いつしか贔屓客も同じ様なかっこうで通うように。
こうして広袖の綿入れを、丹前風呂の湯女の勝山が着ていることから、丹前と呼ぶようになったのです。
湯女は私娼として売春行為も行っていました。そのため江戸幕府から取り締まりを受け、勝山は逮捕されて、吉原へ身柄を移されてしまいます。
勝山のサクセスストーリー
勝山はそんな風に刑罰として吉原へ引き渡されたので、吉原の遊女の中では最下級の扱いを受けるかに見えました。ところが、美貌と才覚があったことから、存在感を増していき、最後には太夫まで上りつめます。これは、当時とても珍しいことでした。
勝山は、井原西鶴の『西鶴織留(さいかくおりどめ)』※に名妓として紹介されています。浮世絵にも描かれていることから、全国的に名の知れた太夫だったのでしょう。
髪型も大人気!
勝山は丹前だけでなく、人気の髪型も考案しています。髷(まげ)を、大きな輪に結った形は、「勝山髷」と呼ばれて人気を博しました。粋なスタイルを好んだ勝山は、武士の装いをヒントにして、武家風の髪型を考えたようです。この髪型で侍風の男姿で道中をしたところ、江戸の若い女性たちが憧れて、こぞって真似たそうです。
やがて武家の奥方も取り入れるなど大流行し、この髷を幅広くした「丸髷」が既婚女性を代表する髪型として定着していきます。勝山は、現代のトップモデルのような、時代を先取りするファッションリーダーだったのですね。
アイキャッチ画像:『遊女 勝山』月岡芳年画 国立国会図書館デジタルより
参考文献:『お江戸ファッション図鑑』撫子凜著 株式会社マール社発行 『精選版 日本国語大辞典』小学館