Culture
2019.09.19

三遊亭のルーツは、呑む・打つ・買う!? 落語家の亭号と名前の秘密

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噺家にとって苗字のような役割を持つ「亭号(ていごう)」。「三遊亭はみんな同じじゃないの?」「なぜ同じ門下なのに亭号が違うの?」など、落語初心者にとってわかりづらい概念のひとつです。しかし、噺家や落語家にとって、亭号は系譜を表す大切なもの。亭号がどういうものか知ると、落語をもっと深く楽しむことができるでしょう。

落語初心者の最初の難関!亭号と名前の基礎知識

噺家の名前の前についている三遊亭や柳家などの「亭号」。三遊亭、柳家、桂、古今亭などメジャーな亭号の他に、隅田川、五街道、昔昔亭(せきせきてい)、鈴々舎(れいれいしゃ)など変わったものもあります。多くの亭号は江戸時代や明治から継承されていますが、名乗っていた噺家が廃業するなどして無くなったものもあります。ちなみに現在使われていない名跡は「空き名跡(あきみょうせき)」といいます。

噺家の亭号は、基本は入門した一門の師匠のものをもらいます。他の名跡を襲名しない限り、入門した時と同じ亭号です。亭号が変わる他の理由としては、自分の師匠の死去、一門からの破門があります。廃業しない場合は別の一門へ移籍する必要があり、この場合、移籍先の亭号に改名されます。

落語年代記 安政1年当時の寄席と噺家の情報を記したもの。東京都立図書館デジタルアーカイブ

師匠に所縁のある名前をもらって落語家へ

落語家・噺家の「圓楽」「小遊三」「談志」といった名前をつけるのは、その一門の師匠です。前座になる際に、師匠の名前から一字を使うなどした所縁のある名前をもらいます。その中には、前座の頃は覚えられやすい「栄豊満(えいとまん)」など変わった名前をもらうこともあり、その場合は二ツ目や真打に昇進する際に、別の名前や名跡を襲名することが多いようです。ちなみに、件の三遊亭栄豊満さんはその名前のまま二ツ目に昇進しました。

三遊亭はみんな同じ?複雑で深〜い落語の亭号

江戸落語の亭号は、元を辿ると概ね三笑亭可楽(からく)か立川焉馬(えんば)に行き着きます(桂の亭号は関西発祥)。しかし、現在に到るまでに分裂したり名前が変わったりしているため、三遊亭や柳家が全て同じ流派や一門ではありません。「鈴木」さんが全て親子や親戚ではないのと同じイメージです。

初代林家正蔵 自作の落語を集めた『百花撰』東京都立図書館デジタルアーカイブ

三遊亭だけど林家?林家なのに三遊亭?

例えば、笑点でおなじみの三遊亭好楽と六代目三遊亭円楽は、同じ「五代目圓楽一門会」に所属しています。しかし、好楽はもともと林家彦六の弟子「林家九蔵(くぞう)」です。彦六の死去により五代目圓楽の門下に移籍したことで「三遊亭好楽」となりました。九蔵時代の師匠であった林家彦六は「彦六の正蔵」こと八代目林家正蔵であり、その前は三代目三遊亭圓楽です。彦六は数回移籍していますが、得意とする芝居噺や怪談噺は二代目三遊亭圓楽(三遊一朝)に稽古してもらっています。

一方、六代目円楽の師匠は五代目圓楽、その師匠は昭和の名人・六代目三遊亭圓生(えんしょう)です。
したがって、六代目円楽と好楽は、ルーツは違いますが現在は同じ所属で同じ師匠を持つ「兄弟弟子」という関係です。それぞれ弟子を持っているので、「好楽一門」「六代目円楽一門」となります。

しかし、同じ三遊亭でも三遊亭小遊三は、円楽や好楽とは別の「落語芸術協会」に所属しています。さらに、小遊三の師匠は三代目三遊亭遊三(ゆうざ)であり、その師匠は四代目三遊亭圓馬(えんば)です。

さらに遡ると彦六・六代目圓生・四代目圓馬のそれぞれのルーツは三遊亭圓朝(えんちょう)の門下にあり、分かれて現在に至っていることがわかります。

●代目のカウントは真打の名跡だけ

このように、亭号で分けるにはあまりにも複雑で人数が多すぎるため、落語家・噺家は一般的に「名前」で呼ばれます。「三遊亭円楽」なら「三遊亭さん」ではなく「円楽さん」という具合です。

また、名跡を襲名した噺家は、先代と区別するために代目をつけます。五代目・圓楽は笑点の司会をしていた馬づらの圓楽で、六代目・円楽は笑点の司会を狙っている腹黒の円楽です。
さらに、現在その名跡を持つ噺家を「当代(とうだい)」といいます。例えば、六代目円楽は「当代の円楽」であり、「円楽の当代は六代目」です。

なお、代目をカウントするは真打が名乗っていた名跡に限ります。例えば、三遊亭鳳楽が惣領弟子に譲った「楽松」は、鳳楽が前座から二ツ目時代に名乗っていた名前のため、現在の「三遊亭楽松」を二代目とはいいません。当代、または代目をつけずに呼びます。当代の楽松は真打のため、楽松に弟子ができて弟子に名前を譲ると、その譲られた弟子は「二代目楽松」となります。

落語の系図で見る亭号のルーツ

落語の亭号のルーツを知る資料には、初代三遊亭圓生がまとめた天保7年の「東都噺者師弟系図」、二代目船遊亭扇橋がまとめた弘化5年の「落語家奇奴部類」、昭和4年に上方落語家である月亭春松によって編纂された「落語系図」があります。特に「落語系図」は上方の落語の歴史も知ることができる貴重な資料です。

落語系図(復刻版)兼好法師や曽呂利新左衛門から噺者として掲載している。

これらから、現在につながる亭号のルーツは、江戸中期に職業噺家として誕生した「立川(烏亭)焉馬(うてい・えんば)」「三笑亭可楽(からく)であることがわかります。彼らの前には豊臣秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)であった曽呂利新左衛門(そろり・しんざえもん)がいますが、この名跡は明治19年に上方(関西)で襲名され、二代目の死後は空き名跡となっています。

立川焉馬の元の職業は大工の棟梁です。本所竪川の相生町に住んでいたことから「立川」と名乗ったとされています。焉馬の門弟には初代「立川談笑」がおり、初代談笑の門弟には初代三笑亭可楽から移籍した初代「立川談志」がいます。
また、櫛職人だった三笑亭可楽は、現在に繋がる諸派の祖「可楽十哲」を輩出しました。

可楽十哲と現在に続く亭号

朝寝坊むらく:「人情続き咄の祖」。十代目となる三笑亭夢楽が死去した2005年より空き名跡となっている。
林家正蔵:鳴り物入りの怪談噺を得意とする「道具入り怪談の元祖」。
三遊亭圓生:「鳴り物入り芝居掛り元祖」。三遊派の祖。
船遊亭扇橋(せんゆうてい・せんきょう):「音曲噺の元祖」。柳連・扇連の祖。

この他、三笑亭可上・うつしゑ都楽・翁家さん馬・三笑亭左楽・佐川東幸・石井宗叔がいますが、廃業による消失または空き名跡となっています。
また、このうち、「三遊亭圓生」からは金原亭(きんげんてい)・古今亭・司馬・三升家(みますや・当時は三枡亭みますてい)が、「船遊亭扇橋」からは入船亭(いりふねてい)、麗々亭(れいれいてい)・春風亭(しゅんぷうてい)・柳亭(りゅうてい)・柳家(やなぎや)が生まれ、現在に至っています。

落語っぽい!?わりと自由な亭号と由来

噺家の名前に意味があるように、亭号にも由来と意味があります。
有名なところでは、「三笑亭可楽」の由来が「山椒は小粒でピリリと辛い」というもの。最初は「山生亭花楽」と名乗っていましたが、贔屓筋から「生け花の師匠のようだから、唐土の虎渓三笑(こけいさんしょう)の故事に因んで改めた方が良い」と勧められ、同じ読み方で改名したと伝えられています。

また、「三遊亭圓生」も最初は「山遊亭猿松」でしたが、「呑む・打つ・買う」の三道楽をもじった「三遊亭」に改名。改名した亭号は他にも「舟遊亭=入船亭」「麗々亭柳橋=春風亭柳橋」「朝寝坊むらく=三笑亭夢楽」があり、初代「三遊亭圓馬」の前には、「坊主の噺家」をもじった「花枝房圓馬(はなしぼう・えんば)」がいます。

落語の歴史は亭号の歴史

現在、噺家・落語家の人数は東西合わせて約800人。江戸時代以降過去最高人数です。寄席通いをしていると、この中から「なぜか好き」という噺家が何人か現れるはず。その噺家の亭号や名前からルーツを辿ってみると、どの系統に惹かれるのかなど自分の好みがわかってきます。
現在の系図を調べるなら、「東京かわら版」から発売中の『東都寄席演芸家名鑑』がわかりやすいでしょう。関東で活躍する落語家・講談師・浪曲師・寄席色物のプロフィールと現在の系図が掲載されています。

ピンときて贔屓にした噺家が、一代で名を上げ未来の大名跡となるかもしれません。こうなればもう、落語ファン冥利に尽きるというものです。

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