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Culture
2022.01.02

心がほっこりとあたたかく。歌で文化を伝える七草粥の話【彬子女王殿下と知る日本文化入門】

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お正月を迎えると、初詣、おせち料理、初夢、鏡開きなどさまざまな行事や習わしがありますが、連載「年中行事で知る日本文化」では七草粥について、彬子女王殿下が解説してくださります。食べるとなんだかホッとするのは、身体を大切にする気持ちが自然とこもっているからかもしれません。

『千代田の大奥 かるた』 楊洲周延 国立国会図書館デジタルコレクションより お正月といえば、かるた・羽子板・凧揚げなどの遊びも

七草の歌は後世へのメッセージ

文・彬子女王

せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな 、すずしろ 、これぞ七草

1月7日の前には、春の七草を寄せ植えにした、大きな取っ手の付いた籠が届く。子どもの頃は、その籠を窓辺に飾り、札を見ながら春の七草を口ずさんで覚えたものだ。小さな蕪がすずな、小さな大根がすずしろ。「じゃあ、すずって何だろう…」と思っていた。辞書で調べてみると、「すず」は「鈴」でもあり、「小さい」という意味らしい。「小さい菜っぱ」と「小さい白」。大根の根が白いことから、このように言うようになったようだ。籠の中に植わっているかわいらしい見た目にぴったりのネーミングである。

数年前、友人宅で七草粥をご馳走になることになった。食卓についていたら、まな板と包丁、七草が出てきて、友人が「縁起物なので、叩いてください」と言う。包丁を持って刻もうとしたら、「声を揃えて、さんはい!トウドノトリガ~♪」と歌い出したのである。「えっ、えっ、ちょっと待ってください、何の歌ですか??」と聞いたら、「あら、ご存じありません、七草の歌?」ときょとんとした顔で言われた。初耳だった。「知りません…」と言うと、「大陸から渡ってくる鳥が病気を持ってくるって昔の人はちゃんとわかっていたんですね。当時から鳥インフルエンザがあったと言うことらしいですよ」と七草囃子という歌があるのだと教えてくれた。

なるほど、呪文のように聞こえていた「トウドノトリ」は「唐土の鳥」か。調べてみると、日本各地で歌詞に若干の違いはあるものの、「唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先になづな七種はやしてほとと」などという囃子歌を、七草を叩くときに歌うとある。日本では古来、災いは外の世界からくると考えられていた。冬になると大陸からやってくる渡り鳥が、悪い病気を運び、農作物を食い荒らす。その鳥を大きな音を出すなどして追い払い、厄を祓って五穀豊穣を祈る「鳥追い」という農村の小正月の行事があった。これが七草粥と結びついたものであるようだ。トントンと七草をまな板で叩く音が、鳥を驚かす音と似ているからだろうか。七草を叩きながら、鳥を追う。そこには人間と鳥の戦いの様相など感じられない。なんだかとても平和な新春の景色だと思う。

友人は山陰出身だが、京都の家でもやっているはずというので、生粋の京女の従妹に聞いてみた。「いつも七草のときにその歌は歌うけど、そんな意味があるなんて知らなかった」とのこと。意味は伝わっていなくとも、人々が口ずさみ、歌い継いでいくことで、その文化は確実に残っていく。七草の歌は、今はまだ意味がわからない彼女の幼い子どもたちにも伝わっていくのだろう。今度は従妹が「この歌はね…」と彼らに教えるのだろうか。まだ見ぬそんな光景を想像するだけで、心がほっこりとあたたかくなる。

『江戸年中行事』 三田村鳶魚著 国立国会図書館デジタルコレクションより 7日の部分には七草之御祝儀の文字が

古来中国の文化と日本の文化が合わさってできた?

旧暦正月七日は人日の節句である。人日と言われてもあまりなじみがないが、古来中国では、1月1日は鶏の日、2日は犬の日、3日は羊の日…などと定められており、この日はその動物を殺さない(食べない)などという決まりがあったという。7日は人の日なので、人を殺さない(処刑などを行わない)ということが決められていたのだそうだ。そして人日には、災厄を祓い、不老長寿を願って、七種の若菜を使って羹(あつもの)、つまり温かいスープを作って飲むという習慣があった。それが日本に伝わり、正月子(ね)の日の若菜摘みの文化と合わさって、七草粥になったのではないかといわれている。

日本では、正月最初の子の日に、野に出て、小松を引き、若菜を摘み、宴を催して、詩歌に興ずるという行事が奈良時代から行われていた。この若菜摘みを、子の日ではなく、7日に行うようになったようだ。日本でも、中国でも、お正月は毎日様々な行事があって忙しいけれど、様々な文化が合わさったり、離れたりしながら、日本のお正月文化が形作られていく過程が興味深い。

子の日の若菜摘みといえば、かの有名な一首を思い出される方も多いだろう。光孝天皇の「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ」。若菜が萌え出し、春の気配を感じる野原だけれど、まだまだ寒く、ちらちらと雪が降っている。芽吹いたばかりのやわらかく、やさしい若菜の緑色と真っ白な雪のコントラストが美しく、目の前にその景色が浮かぶようで、子どもの頃から好きな和歌のひとつだった。大人になって、七草粥とのつながりを知ったとき、そんなに好きではなかった七草粥が、特別な食べ物のように感じられたことを思い出す。

『日本風俗図絵. 第5輯』 黒川真道編 国立国会図書館デジタルコレクションより 若菜摘みの様子が描かれている

七草粥を食べるのは、お正月料理で疲れた胃を休めるためとか、冬に不足しがちなビタミン類を補給するためとか、いろいろな説があるけれど、野菜は旬のものを頂くのが、一番おいしく、栄養価も高い。ビタミンC をきちんと摂っていれば、風邪にもかかりにくい。新鮮な旬の若菜を真っ先に頂ける七草粥は、この時期一番理にかなった食べ物なのである。

 「唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先になづな七種はやしてほとと」

大陸から鳥が感染症を運んでくる前に、ビタミン豊富な七草をたくさん入れたお粥を食べて、体を健康に保ち、備えておく。昔の人は医学的な知識がなくても、生活の中からこのことを知っていたのだろう。今年は七草を羹仕立てにして、中華風にごま油をたらしてみようか。今の時代だからこそ、人日の節句の意味がしみじみとわかるような気がする。

書いた人

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。