沖縄では宴や祝いの席のクライマックスで、必ず演奏される歌がある。「唐船ドーイ(とうしんどーい)」だ。激しいビートでかき鳴らされる三線と歌に合わせて舞い踊る、カチャーシーの代表曲であり、伝統芸能のエイサーでもトリに演じられる。もっともポピュラーな沖縄民謡のひとつだから、耳にしたことがある人も少なくないだろう。
唐船ドーイ さんてーまん 一散走(は)えーならんしや
ユイヤネー 若狭町村(わかさまちむら)ぬ
瀬名波(しなふぁ)ぬタンメー ハイヤセンスル ユイヤナ
歌は琉球王国時代、待ちに待った中国からの交易船が那覇の港に到着したぞ!と沸き立つ人々の気分を表したもの。同時代につくられたと考えられ、現在までうたい継がれてきた。
島の伝統歌からも明らかなように、琉球王国は海上の要所という地理的強みを生かして中国、日本、朝鮮、東南アジアなどの国々と交わり、独自の文化を築いてきた。東京国立博物館で2022年3月13日まで開催中の特別企画「手わざ -琉球王国の文化-」は、王国を支えた職人たちの高度な技術に着目、製作された当時の姿を忠実によみがえらせた模造復元品の展示によって、琉球の美のヒミツを解き明かす展覧会だ。
今回、展示のために東京に来ていた沖縄県立博物館・美術館の学芸員、伊禮拓郎(いれい・たくろう)さんにお話を伺うことができた。模造復元品の製作過程で明らかになった事実と見どころをじっくり解説していただこう。
展覧会の解説前に。そもそも琉球王国とは?
沖縄県は、かつて琉球王国と呼ばれた独立国家だった。正確には、現在の沖縄本島を中心に、北は奄美諸島、南は八重山諸島までが王国がその最盛期に治めた地域だ。
12世紀ごろから沖縄本島では各地に按司(あじ)とよばれる豪族が現れ、南山(なんざん)、中山(ちゅうざん)、北山(ほくざん)という3勢力が争う三山時代となる。1429年、尚巴志(しょうはし)がこれを統一して、琉球王国が誕生。最初の統一王統はクーデターで幕を閉じるものの、すぐに第二尚氏王統が開かれて王国は1879年まで約450年間続く。
王家は首里城に居城した。首里城は王宮であると同時に政治を行う機関、首里王府で、城内ではさまざまな儀式や祭祀も執り行われた。王族の身の回りを整え、行事を遂行するなかで多くの芸能や美術工芸が発展。「王府には貝摺(かいずり)奉行所という漆器製作などを所管した部署があり、主に中国や日本に進上する漆器や王府御用の漆器製作、絵画や図案製作、三線製作などを担っていたとされます」(伊禮さん)
戦後、市民たちの手ではじまっていた琉球王朝文化財の復興の歴史
しかし、明治以降の近代化や、第二次世界大戦末期の沖縄戦でのアメリカ軍による激しい空襲や艦砲射撃によって多くの文化財が失われた。特に首里城は地下の壕に旧日本軍の司令部が置かれたことで集中砲火を浴びたから、城と共に城内に置かれた美術工芸品もほぼ焼失……ただし、なかには保管庫の鍵がこじ開けられた形跡があり、持ち去られたと考えられるものも。王家の冠や国王の肖像画など消えた宝物はFBIの盗難美術品ファイルに登録され、いまだ行方はわからない。
沖縄県立博物館・美術館が戦後70年にあたる2015(平成27)年度から開始した琉球王国文化遺産集積・再興事業は、琉球王国に由来する文化財とその技術を取り戻すための取り組みだ。かつて伝来した8分野(絵画、木彫、石彫、漆芸、染織、陶芸、金工、三線)65件が研究者と技術者の協働で模造復元され、東京国立博物館の特別企画「手わざ -琉球王国の文化-」ではうち36件がいくつかの原資料などとともに展示される。
「沖縄戦の直後、1945年~46年に首里の市民たちは焼け野原から文化財を拾い集め、それらが沖縄県立博物館・美術館の前身の施設に収蔵されます。このとき集められたものが時を経て見直され、王国時代の文化の解明につながりました。今回は、沖縄戦で破壊された王家の菩提寺である円覚寺の仁王像※などの復元もしましたが、壊れる前の姿を実際に見たことがある世代がいらっしゃり、直接お話が伺えるギリギリの時期でした。物質では残らない、技術的なもの、王国の精神の継承も目指しました」(伊禮さん)
復元の手がかりはモノクロ写真と手描きの記録。琉球漆器の最高峰
伊禮さんが推す展示作品を紹介しながら、王国の手わざを取り戻す過程を見ていこう。
「朱漆巴紋沈金御供飯(しゅうるしともえもんちんきんうくふぁん)」は琉球の第一王子家・中城御殿(なかぐすくうどぅん)に伝わった漆器で、王家の法事などに使用された。「高さ約60㎝、直径約48㎝と、とにかく大きい。半円球の蓋とS字に湾曲した6本の脚をもつ足高盆は、他にはない琉球独自のスタイルです」と伊禮さん。沖縄戦で消失し、残されていたのは戦前に撮影されたモノクロ写真と調査記録だけ。類似の形の漆器も復元当時は、沖縄県博と徳川美術館、そしてホノルル美術館にしか存在していなかった。
わずかな手がかりしかなく、実物(原資料)を参照できないなかで、製作当時の姿を「忠実に」よみがえらせるのだから、困難は容易に想像できる。しかも模造復元品の製作では、可能な限り製作当時と同じ材料、同じ技法を用いなくてはならない。単に形を写す、レプリカ(複製品)との大きな違いがここ。
円形漆器の土台となる材料は、一般には木材をろくろなどで削り出して成形することがほとんど。だが、この海坊主のような形をした御供飯の蓋は、エックス線撮影やCTスキャンから、テープ状にした木を巻き上げる巻胎(けんたい)技法で作られていることがわかった。「日本の漆器で巻胎が用いられることはありませんが、琉球漆器ではよく見られる技法です。中国には同様の技法があり、中国由来であることがわかります。ただ、形は同じようなものは見られないので、琉球王国オリジナルといえます」
そして、とりわけ目を引く朱塗りの器全体に施された装飾が、沈金(ちんきん)という琉球漆器を代表する技。漆を塗った表面に刀(沈金刀)で細い溝を彫って文様を描き、溝の部分に金箔などを押し込んで装飾する。中央には王家を象徴する左三巴紋(ひだりみつどもえもん)、全体を牡丹の花と唐草が埋め尽くす姿は息をのむほど美しい。
「まずは、写真や類例を見ながら、技術者に試作をつくってもらいました」と伊禮さんは言う。つまりは、製作のなかでの技術者の気付きをフィードバックしながら、研究者と技術者がともに検討を重ねて本来の姿と技を解明していくということ。試作は何度も行われた。
「現代の沈金刀での試作では線が単調になります。対して、王国時代のものは直線は細く、カーブの部分は太くなって彫線に抑揚がみられる。技術者には第一段階として、当時使われていたと考えられる刀をつくってもらうことになりました」。それが先端をJの字形にした沈金刀で、オリジナル同様の彫線にたどり着いた。
あえて「ふぞろい」「非対称」。テーゲーじゃない、琉球の美意識
「見えないところは手を抜いている、と言われるのが琉球の美術工芸だったのですが、どうもそうではなさそうなことが見えてきました」と伊禮さん。65件の模造復元を通じて、それぞれに多くの発見があったが、分野を問わず多く技術者が指摘したのが、「あえて、ふぞろいにつくっているのでは?」ということだったそう。
職人技といえば、寸分の狂いなく、整然としたもの、と私たち現代人はイメージしがちだ。特に、沖縄には<テーゲー>といって「大概」とか「おおらか」という意味のことばがあるため、それが手を抜いていることを理屈づける根拠ともされてきた。「けれど、製作を担当した技術者は、当時の職人も均一につくる技術は確実にあり、あえて不均一にしようする意識をもっていたのではないか、というんです」
例えば、「聞得大君御殿雲竜黄金簪(きこえおおぎみうどぅんうんりゅうおうごんかんざし)」がある。これは琉球王国の最高位の神女、聞得大君(きこえおおきみ)が儀礼の際に使ったもので、簪の中でも最も大きい。頭(カブ)と柄(ソー)の2つの部分からなり、頭の裏面に雲龍の浮彫りと、背景の地に魚々子紋(ななこもん/小さな丸文様)が施されている。
「日本の魚々子紋は整列して並ぶのですが、琉球のものはそうではない。地の文様にシャープさを持たせず、やわらかく表現することで、メインの文様を際立たせる意図があったのではないかと考えています」
同じように、錫製の瓶を色とりどりのガラス玉で飾った御玉貫(うたまぬち)と呼ばれる祭祀道具の酒器も、歪みのあるガラス玉を編み込んでいた。扁平したものをうまく組み合わせることで、玉と玉の隙間が小さくなって文様がはっきりする。確かにみっしり、王家の三巴紋が鮮やかに浮かび上がる。
「実際に手を動かす技術者の方々の意見は非常に重い。技術を追体験したことで、私たち研究者とは異なる目線での意見がでてきました。『手わざ』を解き明かした今回の大きな収穫でした」(伊禮さん)
国宝・王家の墓のレリーフ、そのモチーフは実は……
「これ、何に見えますか?」
そう言って伊禮さんが示したのは、「玉陵勾欄羽目(たまうどぅんこうらんはめ)」という石彫のレリーフ。玉陵は王家の墓で、1501年、琉球王国最盛期の第二尚氏、第三代尚真王(しょうしんおう)の時代に建てられた。2018年に沖縄では初めて建造物として国宝に指定。墓室の前を装飾するオリジナルの羽目板は沖縄戦で勾欄から落ちたが、修復されて元の位置に戻されている。
コレ、なーんだ??
コウモリ、ですよね??
「沖縄でも長らくコウモリと思われてきました」
えっ、違うんですか!?
オリジナルの羽目板は長い間、屋外で風雨にさらされて摩耗し、いまでは顔や前足の表現を肉眼で読み取ることは難しいという。「しかし、特別な許可を得て羽目板の拓本を取ったら、たてがみのようなものが見えてきて……これは虎なんじゃないか、となって」
虎!? もしかして、「虎に羽つけて」といわれるアレですか??
「そうです、『飛虎(ひこ)』の可能性があります。これまでは沖縄独特のコウモリだとされてきました。ただ、そうであれば、その後の時代にも同じデザインがないとおかしいのですが、ここにしかない。今のところ、飛虎がでてくる最も古い資料は17~18世紀のもので、玉陵は16世紀の建造。この時期に飛虎の表現があったことを証明しなくてはなりませんが」
飛虎は琉球使節が江戸城を訪れる際に掲げた旗にも描かれた、伝説上の聖獣。もともと強い虎に翼が付くことで、「最強」「無敵」の象徴になる。しかしそうなると、いろんなことが変わってきそう……。摩耗が進んで図柄が見えなくなる前に得られた調査記録は、次の時代の文化財保存と研究の現場へ引き継がれていく。
2022年は沖縄が返還されて50年の節目の年。王国の文化を知るまたとない機会になるはずだ。
企画展基本情報
企画展名:特別企画 沖縄県立博物館・美術館 琉球王国文化遺産集積・再興事業 巡回展「手わざ -琉球王国の文化-」
会期:2022年1月15日(土)~3月13日(日) ※会期中、一部の作品の展示替えあり
会場:東京国立博物館 平成館企画展示室
開館時間:9:30~5:00 ※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日
観覧料:(総合文化展)一般1,000円、大学生500円
※総合文化展観覧料および開催中の特別展観覧券(観覧当日に限る)で鑑賞できます。
※高校生以下および満18歳未満、満70歳以上の方は無料(入館時に年齢のわかるものを提示)。
※入館はオンラインによる事前予約(日時指定券)を推奨。
東京国立博物館ウェブサイト:https://www.tnm.jp/
※会期・開館日・開館時間・展示作品・展示期間・開催内容等については変更される場合があります。詳しくは東京国立博物館ウェブサイトなどでご確認ください。