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2022.02.23

ヒノカミ神楽を使う炭治郎はなぜ回転する?「神楽」を徹底解説

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アニメ第2期「遊郭編」の最終話が2022年2月13日(日)に放送された『鬼滅の刃』。遊郭編では竈門炭治郎(かまどたんじろう)が水の呼吸よりも攻撃力の高いヒノカミ神楽を使い、柱の宇髄天元(うずいてんげん)らと共に上弦の陸(ろく)である堕姫・妓夫太郎兄妹と激しい戦闘を繰り広げました。

放送時間が遅いのに、すごい話題でしたよね!

鬼を扱った漫画は数ある中で、鬼を倒すために太陽の光が必要だということは、『鬼滅の刃』の世界観を際立たせている設定のひとつではないでしょうか。鬼殺隊が鬼を斬るために装備するのも、一年中日の光が当たる山「陽光山」で採れた鋼を素材に使った「日輪刀」です。鬼の弱点はまるで西洋のドラキュラに近似しているようにも感じられますが、『鬼滅の刃』の原作者・吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)先生は、日本古来の文化に多くのインスピレーションを得て、鬼滅独自の世界を構築していると考えられます。

原作によると最終決戦では、強い再生力を持つ無惨に斬撃を与え続け、日の出の時間まで足止めをします。炭治郎が使う日の呼吸(ヒノカミ神楽)は鬼の回復力が落ちるため、炭治郎がヒノカミ神楽を連続で出すことが無惨討伐を成功させるための鍵になります。ただ、竈門家で代々受け継がれてきたヒノカミ神楽は身体への負荷が高く、全集中を上回る呼吸法を身につけて、ようやく出し続けることができる、というものでした。

最終決戦の緊迫感が伝わってきます……。

さて煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)の訃報を伝えに行った炭治郎は、息子を悪く言う煉獄の父に憤り、頭突きをしました。このとき回転がかかっていましたね。ヒノカミ神楽は、円を描くような技が多く、回転の動作を流れるように組み合わせることで斬撃を与え続けます。始まりの呼吸であるヒノカミ神楽を使う炭治郎は、なぜ回転して技を出すのでしょうか。ヒノカミ神楽にある「神楽」の解説とともに、炭治郎が回転する理由や、鬼を滅する太陽の光との関連性について紐解いていきます。

神楽とは

神楽とは縄文時代から行われていた神事舞踏で、神を降ろして神託を得たり、鎮魂するための祭祀から生まれたと言われ、現在は、祭りで奉納される芸能として知られています。

神楽の語源は、神を降ろすための依代(よりしろ)となる「かみくら(神座)」が変化したものである、というのが一般的な説です。

起源は、故事「天の岩戸隠れ」だとされています。これは、太陽の神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、弟の須佐之男命(すさのをのみこと)の乱暴な行動に腹を立てて天の岩戸に隠れたために、天界も地界も光を失ってしまい、困った八百万の神々が、天照大御神の興味を引いて外へ出そうと、天の岩戸の前で騒ぎ、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞い踊ったというもので、このときの天鈿女命(あめのうずめのみこと)の舞いは、神がかりをする巫女の姿だと言われています。

『岩戸神楽のはじまり』香蝶楼豊国,一陽斎豊国 国立国会図書館デジタルコレクションより

神楽の変遷

縄文時代からある自然信仰や祖先信仰、シャーマニズムとして行われてきた祭祀に、土着的な信仰が混ざり、そこに渡来した宗教が加わり、地域によって性質の異なる多様な神楽が見られるようになったと言われています。

その中で大きな役割を果たしたのが、修験道です。『新・神楽と出会う本』にはこのように書かれています。

 修験者が所属する修験道は、この列島の山岳信仰や民間信仰、神道に、中国から来た陰陽道、道教、仏教、特に密教を取り入れて神楽を「編集」してきたと考えられている。
中世の信仰の姿は両部神道などと呼ばれ、仏教と神道が混ざった神仏習合、神仏混淆の姿が主流だったのだが、それは修験道の影響が大きかった。
ただ修験道の山中での厳しい修行の中に芸能は見られないので、おそらくは修験の組織の中でその理論を元に祭礼を担った下級に位置する修験者たちが、村落の自治組織の中の社家などと呼ばれる祭りを行う人たちと共に神楽や祭礼を作ってきたのではないか。

興味深いのは、炭焼きをする家に生まれた炭治郎は山に住んでいた人物であること。鬼殺隊に入隊する際は、修験者のように山に入り、修行をしました。そして鬼になった妹・禰󠄀豆子(ねずこ)を入れて背負う箱は、修験者が背負う木製のリュックサック「笈(おい)」にそっくりです。こうした設定から、炭治郎は修験者を参考にしたキャラクターとも考えられるのです。

ふむふむ。共通点がありますね~

なぜ神楽を行ってきたのか

神楽が行われてきた理由について、『新・神楽と出会う本』にはこのように書かれています。

日本列島の風土は北と南、西と東で大きく違う。それぞれの厳しい環境で生き延びていくために人々は、恵みを与えてくれる反面、災いももたらす自然に「神」だけでなく「鬼」も見つけ、その両面性を畏怖して、呪術的な祭祀文化を作ってきた。神に「荒魂(あらみたま)」と「和魂(にぎみたま)」を見るのと同じである。そしてまた祖先からの守護も乞い願い「祖先神」を崇拝してきた。

『鬼滅の刃』の血で感染する鬼も、厄災のひとつとして捉えられるでしょう。さらに炭治郎が窮地に陥ったときに助言を与えてきたのは、死んでしまった母や兄弟たちでした。これは祖先を祀り守護を得てきた、日本の信仰の形とも重なってきます。

歌川広重 シカゴ美術館より

依代となる身体 トランスするための舞

神楽の舞踊に関する動きの多くが「舞」と呼ばれています。原型とされる古式の神楽「巫女舞い」は、神を降ろしたトランス状態=神憑きの状態に入り、神人一体となるために依代(よりしろ)となる巫女が回転運動を繰り返します。

始まりの呼吸(日の呼吸)で回転技を連続して使っている炭治郎は、ある意味、鬼に対抗しうる神がかった戦闘能力が引き出された、トランス状態とも取れるのではないでしょうか。

『江戸の神楽を考える』にはこのように書かれています。

「神楽というものの意味を問うには、定住農民層が神楽のまつり事によって、旱魃(かんばつ)や困窮や、病気や死などの祟りをもたらす根源をどのようにして断ち、のがれ、どのような救いのある状態をもたらしてほしいと希求してきたのかを、神楽の構造とそれを構成する一つ一つの行為そのもののなかに把捉する態度を、いつも基底に保持しておく必要がある」とあって、民間では託宣、鎮魂が古くから催されたが、神楽の構造・かたちは希求する態度によって違ったとある。

つまり思いや集中力の強さによって、引き出される力が変わる鬼殺隊の呼吸は、神へ希求する思いの強さが重視される神楽に近いものとして描かれているとも考えられます。

無限に回復する鬼と違い、人である鬼殺隊は戦闘が長引けば疲労し、ダメージは蓄積する有限の身体を持った存在です。一方で人が唯一、無限に引き出せる力が精神力や集中力であり、呼吸によって鬼に対抗しうる戦闘力を得ている状態も、“神憑き”だとは捉えられないでしょうか。

すると全集中の呼吸を最大限まで引き出した代償として体に現れるアザは、神が憑いたしるしである聖痕(スティグマ)にも見えてくるのです。

足を踏み鳴らし悪霊や邪気を鎮める「返閇(へんばい)」

故事「天の岩戸隠れ」では、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が、桶を足で強く踏みとどろかせて舞ったとされています。

神楽の舞の基本動作には、回転に加えて「返閇(へんばい)」という大地を足で踏みつける動きがあります。『神楽と出会う本』では、返閇についてこのように説明しています。

アメノウズメの場合、この行為には、大地に眠っている魂を目覚めさせ岩戸の中のアマテラスの身体に入れるという鎮魂の意味があったとされているが、返閇には地下の悪霊や邪気が出てこないように押さえつけるという意味もあり、陰陽道、修験道でも重要な要素になっている。

腰を落として構える鬼殺隊の剣士の型は、まるで足を踏みならして悪霊を鎮める返閇の動きのようです。さらに神楽には、跳躍運動が加わるものもあるといいます。これは鬼殺隊の呼吸で出されるアクロバティックな技の数々に見えてはこないでしょうか。

神楽の種類

神楽は日本全国にあり地域によって特徴が異なり、多様性に富んでいます。

その神楽を分類すると、宮中で祭祀として行われてきた「御神楽(みかぐら)」と、民間の間で行われてきた「里神楽」に分けられ、さらに「里神楽」は、下記の4種類に分類されると言われています。

  • 巫女神楽
    託宣する巫女による神がかりの舞を起源にした古式の神楽。「神がかり系」と、祈禱や奉納舞の性格が強い「八乙女系」がある
  • 採物神楽(出雲流神楽)
    2本の紙を竹や木の串に挟んだ「御幣(ごへい)」や、榊(さかき)、剣、鈴などの「採物」を持って舞う採物舞と、神話をモチーフにした舞を組み合わせる神楽を指す
  • 湯立神楽(伊勢流神楽)
    釜に沸かした湯を人々にかけて祓い清める神楽
  • 獅子神楽
    霊獣の獅子頭に神を招いて、悪魔祓いや火伏せなどを行う

炭治郎が日の出まで神楽を出し続ける理由 「夜神楽」

『鬼滅の刃』の作者が参考にしたと考えられるのは、おそらく「採物神楽(出雲流神楽)」でしょう。その中でも最も有名な「高千穂の夜神楽」を紹介していきます。

「高千穂の夜神楽」を見たことがあります。とても神秘的でした!

宮崎県臼杵郡高千穂町は、天岩戸神社や高千穂神社、天安河原など神話にちなんだ名所が多く、「神話の里」と呼ばれています。

『別冊太陽 お神楽―日本列島の闇夜を揺るがす』では、高千穂の夜神楽を下記のように紹介しています。

収穫への感謝と五穀豊穣の祈願、鎮魂儀礼として氏神様に奉納されるもので、毎年十一月末から翌年二月にかけて、高千穂の二十余りの地区で、三十三番から成る神楽が夜を徹して舞われる。高千穂神社に伝わる古い資料から、そのルーツは少なくとも中世までさかのぼることができるという。

高千穂の夜神楽の主要な演目は、「天の岩戸隠れ」と天鈿女命(あめのうずめのみこと)の舞いです。

この夜通し行われる夜神楽の舞は、夜に鬼と闘う鬼殺隊たちの姿とも重なります。

また、無惨戦で炭治郎が日の出までヒノカミ神楽を出し続けるのは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を岩戸の外へと導く「天の岩戸隠れ」の舞いを起源とする神楽から着想されたものだからとも考えられるのです。

ちなみに「高千穂の夜神楽」の舞いの一番「猿舞い」は、「天孫降臨」で道案内をつとめる天狗の面を被った猿田彦の舞いです。鬼殺隊に入隊する前の炭治郎を、剣士として鍛え導いた師・鱗滝左近次(うろこだきさこんじ)は、猿田彦をモチーフにしたキャラクターなのかもしれません。

さらにキャラクター造形のヒントになったと思われる神楽を、もうひとつご紹介します。伊之助がなぜ猪の頭をかぶっているのか、疑問に思ったことはないでしょうか。

確かに、不思議です!

「高千穂の神楽」と同じ夜神楽である「銀鏡(しろみ)神楽」(宮崎県西都市東米良字銀鏡)は、狩猟文化と修験系神楽と山間独特の祭祀文化が混交して、生まれたとされています。この「銀鏡神楽」では、「シシトギリ」と呼ばれる猪の頭が奉納されているのです。伊之助も、神楽を参考にしてデザインされたキャラクターなのかもしれませんね。

まとめ

『鬼滅の刃』のヒノカミは日の神(天照大御神)であり、炭治郎は厄災である無惨を祓い鎮めるためにヒノカミ神楽の舞いによって、神がかった退魔の力を得ているとも考えられます。

このようにヒノカミ神楽と日本の神楽の関係を読み解いていくと、炭治郎が日の呼吸を使って与えた斬撃が、鬼に大きなダメージを与えることにも納得がいくのではないでしょうか。

『神楽と出会う本』では、神楽と神との関係についてこのように書かれています。

「年に一度私を祀れば災いは起きないだろう」という神託を受けて祭りを行うようになったと言い伝えられている契約に近い関係もあれば、荒ぶる神を呪師が別の神の力を借りて抑えるという関係もあるし、ただもてなしてご機嫌を取るだけという関係もあり、さまざまだ。悪い神や下級の神を人が清めて良い神にグレードアップさせることもあるそうだ。

つまり鬼でありながら鬼殺隊に加わり闘った禰󠄀豆子は、炭治郎に浄化され、良い神に変化した存在なのでしょうか。そんな想像をして、日本文化と照らし合わせながら『鬼滅の刃』の漫画やアニメを見直してみると、また、違った楽しみ方ができるかもしれません。

『鬼滅の刃』は、奥深いですね!

▼遊郭編は8巻終わりから!
鬼滅の刃 9 (ジャンプコミックスDIGITAL)

<参考書籍>

  • 『神楽 歴史民俗学論集1』 岩田 勝編集 名著出版 (1990/9/1)
  • 『古代出雲と神楽』 和久利 康一著 新泉社 (1996/7/1)
  • 『江戸の神楽を考える』 中村 規著 日本図書刊行会 (1998/2/1)
  • 『別冊太陽 お神楽―日本列島の闇夜を揺るがす』 平凡社 (2001/9/1)
  • 『神楽と出会う本』 三上 敏視著 アルテスパブリッシング (2009/10/20)
  • 『新・神楽と出会う本 歌・楽器・お囃子』 三上 敏視著 アルテスパブリッシング(2017/10/23)

アイキャッチ:『岩戸神楽のはしまり』国立国会図書館デジタルコレクションより

書いた人

もともとはアーティスト志望でセンスがなく挫折。発信する側から工芸やアートに関わることに。今は根付の普及に力を注ぐ。日本根付研究会会員。滑舌が悪く、電話をして名乗る前の挨拶で噛み、「あ、石水さんですよね」と当てられる。東京都阿佐ヶ谷出身。中央線とカレーとサブカルが好き。

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幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。