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2022.05.03

白拍子とは?男装アイドルの“あはれ”を『平家物語』に読む

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平家物語を読んでみると、そこに登場するのは貴族や皇族・武士だけではなく、意外とお坊さんや遊女、地元民などの庶民なども出てきます。今回はその中でも『白拍子(しらびょうし)』に焦点を当てて読んでみましょう!

源義経の思い人、静御前も白拍子でしたね!

そもそも白拍子って?

白拍子とは、平安末期から鎌倉時代にかけて流行した歌舞のことで、それを舞う女性の事も指しました。その起こりについては諸説がありますが、『平家物語』にも白拍子の起源について書かれた部分があります。

巻之一 『祇王』

白拍子というものは、鳥羽法皇の御代の時(1129~1106年頃)、島の千歳(しまの せんざい)と和歌の前(わかの まえ)という2人の女性が舞ったことが始まりである。

初めは水干(すいかん=男性下級役人の正装)を着て、立烏帽子(たてえぼし=男性の正式な被り物)を被り、白鞘巻(しろさやまき=銀で飾ったつばのない短刀)さして舞っていたので「男舞(おとこまい)」と呼んだ。しかし途中から立烏帽子と白鞘巻をやめて水干だけを用いたので「白拍子」と名付けたのである。

つまり、現代風に例えると、スーツとハットで踊る宝塚男役みたいな感じですね!

なるほど~!

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平清盛のお気に入りの白拍子たち

平清盛のお気に入りの白拍子はどんな女性だったのか、またその悲しい行く末をご紹介します。

祇王

「祇王(ぎおう)」という名の白拍子が、平清盛のお気に入りでした。祇王の妹である「祇女(ぎじょ)」も世間からもてはやされます。そして姉妹の母親の「とじ」もまた白拍子で、清盛はとじに立派な家を買い与えました。

歌川周延『東錦昼夜競 祇王妓女』 出展:ライデン民族博物館

この幸運にあやかって都の白拍子たちは「祇一(ぎいち)」や「祇二(ぎに)」など、「祇」のつく名を名乗ったり、逆に「幸運は生まれつきなのだから名前に意味などないわ」と名乗らなかったりするほどでした。

周囲の羨望を集めていたんですね……。

清盛による祇王への寵愛が3年も続いた頃、都にまた新たに評判の白拍子が現れました。加賀国から来た「仏(ほとけ)」という名の白拍子です。

仏御前は結構アグレッシブな性格らしく、「都中にこの名が轟いているのに、清盛の屋敷にお呼ばれしないなんて!」と言って、自ら出向きました。しかし清盛は気の強い女性はタイプではないらしく「招いてもいないのに来るな」と言って門前払いをしようとしました。

しかし祇王は同じ白拍子として同情し、「若い子なんですから、そんなに冷たくしては可哀想ですよ。歌や舞を見てやってください」と清盛に切々と訴えました。祇王がそんなに言うならと仏御前を呼び戻して舞わせることにしました。

岳亭春信『仏御前』 出展:メトロポリタン美術館

目の前に現れた仏御前の歌声と舞、若さと美しさに清盛はすっかりメロメロになります。清盛は仏御前を召し抱えることにして、祇王を追い出してしまいました。

えっ!あんまりな仕打ち!

出家

しかし翌年の春になり、祇王の元に清盛から「仏御前が寂しがっているので話し相手になってやってくれ」という手紙が届きます。

本当は行くつもりはなかったのだけれど、母のため、暮らしの為に清盛の元に訪れました。以前座れた清盛の側にはいけず、うんと下座に座らされ、歌に思いを込めて涙ながらに舞ってみせても「これから用事があるから席を外す。これからいつでも来て舞ってよいぞ。仏御前を慰めてやってくれ」などと言われてしまいました。

追い出しておいて、呼びつけて、しかも以前よりひどい待遇をする。清盛は、どういうつもりなんだろう?

祇王と祇女、とじは共に髪を落として出家しました。その後、いつか我が身にも同じことが起きると悟った仏御前も清盛の元を離れる為に出家し、3人の前に現れます。そして4人でお寺に住み、静かに暮らしました。

芸の道を行く女の「あはれ」

祇王は出家した時点で、21歳。仏御前は17歳であったと言われています。若い才能がどんどんデビューしてきて、持てはやされ、飽きられて、去っていく。

いつの世も芸事の世界は厳しいものとはいえ、この仕打ちは現代人にとって酷いことのように見えます。きっと当時の人にとっても目に余ることだったので物語として残ったのでしょう。

実際に清盛が白拍子たちをこのように扱っていたのかは定かではありませんが、権力者と白拍子の間ではよくあることだったのかもしれませんね。

若さや美しさを愛でて、その内面を見なかった清盛。最期は、平家の人望が地に落ちた中での病死でした。因果応報だったのかもしれませんね。

有名な白拍子たち

白拍子と言えば、源義経(みなもとのよしつね)に愛された静御前(しずかごぜん)も有名です。静御前に関してはこちらの記事をどうぞ。
幸せな恋が一転悲劇へ。義経に愛された静御前のその後が寂しすぎる…

後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)をメロメロにした亀菊(かめぎく)は、まさに「傾国の美女」でした。
鎌倉時代の美女・白拍子亀菊とは?承久の乱の原因となった後鳥羽上皇の愛人の生涯

アイキャッチ画像:歌川広重『白拍子仏御前』 出展:ライデン民族博物館

    ▼おすすめ書籍

女性芸能の源流 傀儡子・曲舞・白拍子 (角川ソフィア文庫)

書いた人

神奈川県横浜市出身。地元の歴史をなんとなく調べていたら、知らぬ間にドップリと沼に漬かっていた。一見ニッチに見えても魅力的な鎌倉の歴史と文化を広めたい。

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幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。