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2022.06.06

エッセイで知る寬仁親王殿下の素顔(第5回)『ひげの殿下日記』より「私の未来の娘」

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5回にわたって、ひげの殿下こと寬仁親王殿下の素顔が伝わる、エッセイをご紹介してきました。今回が最終回になります。

本書には、自分に正直に、皇族として、一人の人間として、66年の生涯を生き抜かれた寬仁親王のありのままの思いが詰まっている。(彬子女王殿下)
『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』 はじめに より

2012年に薨去された、寬仁親王殿下(ともひとしんのうでんか)。薨去から10年にあたる2022年6月、殿下が生前に書き続けてこられたエッセイが出版されました。タイトルは『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』。1980年から2011年にかけて発刊された、寬仁親王殿下が会長を務める柏朋会(はくほうかい)の会報誌『ザ・トド』、この誌面に掲載されたエッセイ「とどのおしゃべり」を再構成した書籍です。

今まで伺い知ることができなかったエピソードから殿下の何気ない一言まで、じっくり何度も味わいたくなるエッセイ。生涯の愛読書になりそうです。

まだ見ぬ子への思い

この記事では、『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』の中から、殿下のお人柄や、皇室の様子がうかがえるエッセイの一部をご紹介します。前回の記事は、こちらです。

エッセイで知る寬仁親王殿下の素顔(第4回)『ひげの殿下日記』より「天皇と日本」 

日本の皇室について、殿下の率直なお考えが、書かれた内容でした。

寬仁親王殿下
1946年1月5日、大正天皇第四皇子である三笠宮崇仁親王の第一男子として誕生。1968年、学習院大学法学部政治学科卒業後、英国オックスフォード大学モードリン・コレッジに留学。帰国後、札幌オリンピック冬季大会組識委員会事務局、沖縄国際海洋博覧会世界海洋青少年大会事務局に勤務。「ひげの殿下」の愛称で国民に親しまれ、柏朋会やありのまま舎などの運営に関わり、障害者福祉や、スポーツ振興、青少年育成、国際親善など幅広い分野の活動に取り組まれた。著書に『トモさんのえげれす留学』(文藝春秋)、『皇族のひとりごと』(二見書房)、『雪は友だちーートモさんの身障者スキー教室』(光文社)、『今ベールを脱ぐジェントルマンの極意』(小学館)など。2012年薨去。

シリーズの最後にご紹介するエッセイには、「内着帯の儀」や、お名前を考えられる際の苦心などが書かれています。皇室ならではの儀式の様子が、とても興味深いです。彬子女王殿下のお名前をつけるにあたって、試行錯誤される殿下。私自身、我が子へ名前をつけるのに、随分と悩んだことがよみがえりました。名前は、親から子への初めての贈り物ともいえると思います。

殿下の一人の父親として悩まれる様子が、ユーモアを交えて語られています。私も思わずクスッと笑ってしまいました。

私の未来の娘(1981年12月12日)

文・寬仁親王殿下

 今回は、この原稿が発行される頃には、生まれているかも知れない、私の未来の娘のことについて、書いてみようと思います。
 と思ったのは、子供を作る方法や、母親が出産する方法は、会員の皆様と何ら違うところはありませんが、それ以外の部分で、かなりの相違点がみられるからです。
 例えば通常、一般に岩田帯(いわたおび)といわれるのを、 我々では、「内着帯(ないちゃくたい)の儀(ぎ)」と呼び、五ヶ月目に帯親さん(今回はIOC委員で有名な竹田宮(たけだのみや)様にお願いをしました)が、さらしの地で、帯の最後が三角形に赤くなっている帯を届けて下さり、モーニングに身を固めた宮務官(きゅうむかん)が受領し、二階居間で待つ私に渡し、私が妃殿下に渡し、さらに妃殿下から侍女長へと渡り、別室で、侍女長の介添えにより、妃殿下の身体にじかにそれを巻くという式をします。
 本着帯は九ヶ月目に、今度は巾(はば)六十㎝位の、表白・裏赤の二枚重ねの絹の帯を帯親さんがお届け下さり、所作は前回とほぼ同じですが、違うのは、居間で、宮務官から私が受けとると、横に立っている妃殿下にそれを渡しますが、侍女長が、その巾六十㎝の帯を二つ折りにして、妃殿下の洋服の上からお腹(なか)に巻きます。
 そして最後に私が 、チョウ結びにして終了します。
 こう書くと簡単ですが、二つ折りにしても巾三十㎝はあるガサゴソした絹の帯を、かっこよくチョウ結びにするのは大層むずかしい作業でした。

 次にタイトルの件ですが、私は寬仁親王が本名ですが、親王という皇族の位は、第三世迄と決められています(皇室典範)。私の場合は、第一世を大正天皇とし、第二世を父親と考えますから、我が兄弟姉妹は皆、親王か内親王ですが、私の子供からは第四世となり、一つ位がさがって、男なら王、女なら女王となります。英国などでしたら、王女王の方が上位のように思えますが、神州日本では下位であります。
 ところで、おかしいのは、我が国は男子直系を大事にしますから、もし私の所に、現在希望していませんが、息子が出来ると仮定すると、○○王殿下ということになります。 あきらかに位としては、私の弟二人より下位の皇族のタイトルのわけなのですが、皇位継承権というのは、直系であるが故に、現在私が第七位にいますから、その子供が第八位、続いて弟(宜仁(よしひと))が第九位、末第(憲仁(のりひと))が第十位と一つずつ、ずれていくということになります。ただ、宮中などの席次とか歩く順序は、皇太子同妃、親王(しんのう)、内親王(ないしんのう)と来て、王(おう)、女王(じょおう)となるのだそうです。わかりやすく云えば、皇太子同妃両殿下・常陸(ひたち)・秩父(ちちぶ)・高松(たかまつ)・三笠(みかさ)と各宮様が来て、我等夫婦、そのあとに弟・妹・弟の順で続き、私の子供たち(成人してからですが)という風になります。
 
 ラストに名前のことですが私の両親は「崇仁(たかひと)」「百合子(ゆりこ)」といい、双方共に左右シンメトリーな字であった為、我々五人の子供も全員そうなっています。「甯」「寬」「宜」「容」「憲」このように!ただ今回子供が出来ることになって、色々「ウカンムリ」であって左右シンメトリーの 字をさがしましたが、「安・宗・富・宙・空・穴・字・宇」とか他にもいくつかありますが、「安い」とか「お富さん」とか「空々しい」とか「穴子」では困るし、「字」という字を使ったとすると、本籍地によくある「字三八三番地」のように「アザ」などと呼ばれるのは、かないませんし、今困りはてているところです。かろうじて「宗」というのはいいかも知れませんが、残念なことに、私の親友で、愛のコンサートのプログラムの裏表紙の広告「柏ローンテニスクラブ 」の社長・吉田宗弘と同じ字となり、あんな男の一字を頂戴する気には死んでもなれませんから、これも又、ボツなのであります。

『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』

出版社:小学館
著者:寬仁親王殿下
監修者:彬子女王殿下
発売日:2022年6月1日発売
価格:4000円+税
ページ数:608ページ

書いた人

幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。