枕。それは睡眠中の頭を支える大事な寝具。
しかし日本各地の枕にまつわる古い話を知れば、睡眠中だからといって気を抜いてはいられない。と言うのも、枕には恐ろしい話が数多くついてまわるからだ。
『江戸名所図会』にも知られる侍と遊女の怪談。尾張国の老婆と旅人の惨い伝説。日本各地に伝わる「枕返し」と呼ばれる謎の現象。今夜から枕元が気になってしょうがない、安心して眠れなくなる枕話を紹介。
一度眠ったら最後。枕にまつわる怪談3選
一つ家の石の枕
東京・浅草に、枕にまつわる残忍な話が残されている。
浅草の里に住む身分の低い侍は、美人の一人娘を遊女に仕立てて悪行を繰り返していた。道行く旅人を一軒家へ誘い込み、石枕に寝かせる。そして交合した頃合いをみはからって枕元に忍び込むと、旅人の頭を石で殴り、金品を奪うのである。
しかし娘が自らの悪業の深さを悟った時、不幸は起きた。娘はいつものように両親にお客の来訪を告げると、男の姿で石枕に臥した。これまでそうしてきたように両親はお客の頭を石で殴った。ところが衣の下にあったのは血まみれになった娘の死体。両親は旅人に扮して眠っていた娘を殺してしまったのだ。娘の悲惨な姿を見た彼らは悪業から目覚め、これまでの菩提を弔ったという。
旅人を襲う石枕の凶器
石枕が凶器と化す話は他の地域にもあって、たとえば江戸時代中期の国学者・天野信景の随筆『塩尻』にはこんな話がある。
場所は尾張国石枕の里、今の愛知県江南市。ここが昔、東国に通う路だった頃の話である。
宿の老婆が旅人の臥所の下に石の枕を隠していた。この老婆は旅人が寝入った隙に頭に枕を打ち当てて殺し、物を獲り、あまつさえ屍を埋めていたのだった。ある時、この老婆が悪死した。里人は霊が祟るのを恐れ、祠をつくり、後稲荷と名付けて森の神社にしたという。
死臭を放つ木枕の怪
江戸時代の易学者・新井白蛾の著『牛馬問』の「枕の怪」には、江戸深川の空き家を借りた医者のおぞましい体験談が記されている。
この空家、何かがおかしい。どうにも陰気くさく、胸苦しい感じがしてならないのだ。
医者は原因を探して家中を調べてまわった。すると裏の雑屋に古い木枕を見つけた。これが家に漂う陰湿のせいかもしれない、そう感じた医者は枕を打ち割り、火に投じた。妖をなしていたのは、いかにもこの枕だった。木枕の焼ける匂いは、まるで屍のようだったという。枕が燃えてしまうと、医者の体調も全快したとか。
誰が用いたか分からない古い枕。それだけでも薄気味悪いが、古物が妖怪となって人を驚かす昔話は多い。たとえば『付喪神絵巻』には、長い年月を経て霊魂が宿った道具たちが活躍する様子が描かれている。
枕にまつわる、一風変わった伝説はまだまだある。
その不眠の原因、〈枕返し〉のせいかも?
誰にでも訪れる、眠れない夜。寝付けずに困っているとき、あなたの枕元には妖怪が訪れているかもしれない。
柳田国男の『遠野物語』に枕小僧なるものが出てくる。
東北地方に伝わるこの小僧は、特定の家にこっそり棲みついては、寝ている人の枕の位置や行灯の置き場を変えるという。はた迷惑な存在である。
でも石の枕で頭を殴らないし、人を脅かしもしない。それどころか枕小僧のいる家は豊かになるとさえ言われているのだ。そう聞くと、なにか思い出さないだろうか。そう、座敷童によく似ている。
枕返しの伝説は日本各地にある。和歌山県では七人の杣人(そまびと)が檜の大木を伐った夜に檜の精に枕返しにあったとか、広島県では神にお供えする魚を獲りに行って眠ってしまい目を覚ますと枕が反対になっていたとか。何度もとに戻してもひっくり返ることから、その土地は枕返しと呼ばれるようになった、という伝説もある。民俗学者の折口信夫も各地で聞いた枕返し伝説を『座敷小僧の話』にまとめている。
枕は魂の仮置き場
枕にまつわる古い話を読んでいると、どうにも頭部が落ち着かなくなってくる。人生の三分の一を枕に厄介になっているというのに、これではおちおち眠っていられない。
枕にまつわる逸話が多いのは、枕には、単に頭を乗せる以上の意味があるからだ。
一説によれば、枕は「魂の倉」としての機能をもつらしい。タマ・クラがつづまってマクラになったとの説もある。古代人は眠っている間に魂が肉体から遊離すると考えたらしいから、枕の中には魂が宿るという説もいくらか信憑性があるように思える。また、昔話で殺人に使用された石枕には神仏の霊の声を聞く呪具としての役割もあった。
新潟県や茨城県には親鸞聖人の枕が残されている。大切に保管されていることからも、人びとが枕に不思議な霊力が宿ると信じていたことが分かる。
北枕がダメな理由
日本人が北枕を避けたがるのも枕の霊力と関係がありそうだ。頭部を北にするのは埋葬の主流だが、今よりも信仰心のあつかった古代なら枕の向きはなおさら重要だったにちがいない。縄文・弥生式時代から死者の頭は、北またはそれに近い方向が多かったとされる。飛鳥・奈良時代の横穴式石室では、棺が南北に横たわる場合でも遺骸は北の方に頭部をおくように安置されていたそうだ。
一方で、生きている人の枕は東の方位が良いと江戸時代後期の書物 『貞丈雑記』にある。太陽の昇る東方は、古代人が霊威を感じていた方向でもあるのだ。
たかが枕、されど枕である。
万葉人の見た夢
夢とうつつの区別がつかなかった万葉人は、想い人の心が枕の動きとなって遠い場所からでも伝わると信じたらしい。眠っている間ならお互いの魂が抜けている。巡り巡って、夢の中で逢えると想像したのだろうか。そんな想いを映してか、万葉集には枕の語がよく登場する。
しきたへの枕動きて夜も寝ず思ふ人には後も逢ふものを
しきたへの枕は人に言問へや其の枕には苔生しにたり
(柿本人麻呂)
古代人も現代人も夢を見る。万葉人は枕に頭をのせて、いったいどんな夢を見たのだろう。
【参考文献】
矢野 憲一『枕 (ものと人間の文化史)』法政大学出版局、1996年