いま、ビルの世代交代が始まっています。
そこで見直されているのが、渋ビルの存在。
渋ビルとは、「高度経済成長期に建てられた味わい深いビル」を指します。一例を挙げると、外壁が色ムラのあるタイルで覆われていたり、看板にレトロなフォントが使われていたりと、現代の画一化されたビルとは異なる風貌を持っている建物のこと。
わたしの住む東京下町を始め、都内でも意外なほど多く存在する渋ビルですが、先日名古屋へ訪れた際、とある有名建築家の建てた渋ビルと出合いました。
それが、「中産連ビル(1963年竣工)」です。
まるで穴あき問題のような独特な窓の作りが凝っていますよね。
実は、名古屋にも多くの渋ビルが存在します。
それを知るきっかけになったのが、『名古屋渋ビル手帖』という自主制作マガジン。
発行人である「名古屋渋ビル研究会」に、渋ビルの魅力についてたっぷりとお聞きしました!
渋いビルを愛でる「名古屋渋ビル研究会」
「誰にも頼まれていないけれど、渋ビルを記録しておきたいという謎の使命感があります」と話すのは、「名古屋渋ビル研究会」の寺嶋梨里(てらしま りさと)さん。普段はリノベーションを手掛ける会社のグラフィックデザイナーです。
そして、もう一人のメンバーが謡口志保(うたぐち しほ)さん。新築住宅やリノベーションを手掛ける建築家で、「『趣味はビル鑑賞です』って堂々と言える世の中になってほしい」と話します。
もともと同じ大学出身で、仲の良かった同級生の二人が街歩きを通じて「なんとなく古いビルが好き」という共通点を見つけたことから活動がスタートしました。
年に1回発行の『名古屋渋ビル手帖』では、内容もデザインにもビル愛が炸裂する冊子で、全国の取扱書店にて販売されています。
高度経済成長期のビルの魅力を大解剖! 『名古屋渋ビル手帖』
渋いビルを特徴づける「水平連続窓」をモチーフにした建物の外観を想起させるグラフィカルな表紙。
外観から内観、ビルの成り立ちまで丁寧に解説する『名古屋渋ビル手帖』は、2011年から活動が始まり、2013年の創刊号から今年で10冊目の発行になります。
1号あたりおよそ500〜1000部発行されているとのことで、フルカラーで内容が充実しているにも関わらず、定価はワンコインを死守できるよう涙ぐましい努力をされています。(ちなみに、大阪のビルマニアカフェさんが発行する『月刊ビル』に刺激されたとのことで、渋ビル好きはこちらも併せて見ていただきたいです!)
どの号も情報の濃さはありつつも、建築の知識がない人でも読みやすいのが特徴。デザインを担当する寺嶋さんは、渋ビル全盛期の時代をイメージしたデザインで誌面を彩ります。渋いビルの楽しみ方が分からない人にも、どこに注目すればいいのかを写真付きで解説する、まさに初心者にぴったりの内容なんです。
どんなビルをフィーチャーするかは二人の日々の街歩きによって決定され、ピンと来たビルは常にLINEでやり取りしているそう!
また、この冊子を特徴づける企画の一つに特集したビルをフードに昇華したナイスなレシピがあります。創刊号で特集した「ワダコーヒービル(1972年竣工)」の外観がこちら。
このビルをモチーフとして生まれたのがこちら!
好きなビルを食べちゃう、というビル愛の暴走⁉︎っぷりも素敵なのです。
「渋ビル」の定義とは
ここで改めて、「名古屋渋ビル研究会」が考える、渋ビルの定義と魅力についてお聞きしました。
①高度経済成長期(1950年代中頃から1970年代中頃)の約20年間に建てられたと推察されるビル
②素材や造形、窓のかたちなど、当時の時代性を感じるもの
③設計者が有名な建築家かどうかは問わない
おおまかに上記の3つの条件を満たし、さらに「心の琴線に触れたもの」が二人が考える渋ビルの定義だと言います。
「一番大きい魅力は時代性ですね。最近のビルと比較すると分かりやすいかもしれません。たとえば、全面ガラス張りの均質的な建物などと明確な違いを持っているビルというのが近いでしょうか」と謡口さん。
「こういうビルが『渋ビル』ですよ、という傾向は、あまり決まっていないんです。ただ、いま建てられているビルとは違う素材が使われていたり、窓の装飾が凝っていたり、時代の流行を感じるデザインが魅力なのかもしれません」と、寺嶋さん。
名古屋に浮かぶ宇宙船?「中産連ビル」がスゴイ!
そんなお二人が愛してやまない渋ビルのひとつが、愛知県名古屋市にある「中産連ビル」です。
宇宙船のようなフォルムとエメラルドグリーンに輝く外壁のタイルも印象的なビルですが、実は新宿駅西口広場などを手がけた坂倉準三が設計した名建築のひとつ。
1963年に建てられた研修施設はいまも現役で使われており、そこかしこに匠の技を感じられます。
なめらかなカーブを描く階段の手すり、海のような濃いブルーの床、どこから見てもデザイン性の高い階段室など見どころたっぷり。
「いつ行っても、ゴミひとつ落ちていないんです」と二人が感嘆するほど美しく保たれている理由は、建物に誇りを持ち、長く使えるようにとのオーナーの意向があります。30年ほど前から建物を維持するための専任の職員が常勤し、日常的なメンテナンスも欠かさず行っているのだとか。
1階のカフェは一般客が利用できるほか、建物の見学も可能(土日祝の催し物の無い日は閉館)。
東京の渋ビル散歩は有楽町へ
すっかり名古屋の渋ビルに夢中になってしまいましたが、東京にもまだまだ渋ビルが残されているので、ここからはわたしのおすすめをご紹介します。
イチオシのエリアは有楽町駅!JR有楽町駅の改札を出れば、目の前には巨大な新有楽町ビル(1967年竣工)が。
ずらりと並んだ角丸長方形の窓は、まるで猫の目のよう。
このビルの地下には、たまごサンドイッチが名物の喫茶店「はまの屋パーラー」があり、ぜひ合わせて訪れてほしいです。
また、同じく駅前の有楽町ビル(1966年竣工)のエントランスには、民藝品のうつわのような美しいタイルが使われており、こちらもぜひ注目を。
東京駅方面へ歩を進め、見えてきたのは国際ビル(1966年竣工)。地階への踊り場に使われているガラスブロックや、エレベーターホールのモザイクタイルにも注目したいところ。
その他、都内で渋ビル散歩をするなら、日本橋〜兜町エリアや、蔵前〜浅草橋エリアもおすすめです。
いまの渋ビルを取り巻く状況
東京エリアの渋いビルもどんどん建て替えが進んでいますが、名古屋の中心部もここ数年で様変わりしているとのこと。
「渋ビルがなくなりつつあるのは、建物とそこに求められる性能や規模、機能が時代に伴ってずれてくることが大きな理由でしょうか」と謡口さん。
前述の中産連ビルのように、所有者に愛され続け、常日頃から改善しながら使い続けられる渋ビルもあるにはあるそうですが、稀なケースの場合が多いかもしれないのこと。
また、東京の渋ビルでご紹介した有楽町ビルと新有楽町ビルにおいても既に2023年に閉館予定で、その後は建て替えが決定しています。
時代の流れと共に、なくなってしまうのは仕方のないことかもしれません。
見慣れた街並みの中にも、見落としている渋ビルがきっとあるはず。なくなりつつある昭和のビルがもつ唯一無二の魅力を、いま改めて探しに行きませんか。
取材協力:名古屋渋ビル研究会
公式サイト:https://shibubuilding.themedia.jp/
2022年10月に新刊が発売予定。詳細は公式サイトにて。
中産連ビル
公式サイト:http://chusanrenbldg.co.jp