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2024.03.13

兎の皮をはいだ男の末路は…。十二支の動物たちの奇妙奇天烈物語

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年が明けて最初に考えることは人それぞれだけれど、きっと、誰しも今年の干支のことを思い浮かべると思う。一年のはじめに自分が何の動物かを確認するなんて、考えてみたら少しおかしい。もっとおかしいのは、人間が、あたかも生まれ年の干支の動物の性質をおびているかのように言い倣わされることだ。

干支は中国で生まれた。歴史はとても古く、いつ十二支に十二種の動物が結びついたのか確かなことはわからない。一説によると、遅くても秦代 (紀元前221~前206年) には動物の姿をあてられていたらしい。

動物たちの仲間入りをしたり、声を聞いたりはできないけれど、彼らの話に耳をそばだてていると動物の側にだって言い分くらいはありそうだ。鼠には鼠の、牛には牛の、虎には虎の生がある。奇妙奇天烈な生を生きた12の動物たちの物語を紹介しよう。

【子】 鼠の鉄火

京都に鼠を愛してやまない法師がいた。
米を撒いて懐かせていた鼠は人を恐れず、物を荒らすこともなく、近所の鼠たちはイタチに追われて皆この寺へ逃げて来ていた。ある時、法師の紋白の袈裟が鼠に食われてしまい、怒った法師は鼠を愛するのを止めてしまった。

困ったのは寺内に暮らす数千匹の鼠たちだ。
鼠たちは大きな素焼きの器をくわえて座敷の真ん中に置くと、それぞれ口に水を含んで器へ吐きだし水を溜めた。それから一束の紙を器の側まで引きつけた。81匹の鼠は一匹ずつ器の中へ入り、四足を水に浸しては紙の上へ次々と飛び乗った。80匹の鼠は濡れた足で紙を踏んでも足跡が残らなかった。しかし最後、81匹目の大鼠は紙に足跡を残した。

それをみた80匹の鼠たちは大鼠に群がり、喰い殺した。鼠たちは袈裟を食い破った犯人を仲間うちで詮議し、罪をただし、仕置きまでおこなったのだ。法師はいたく感じ入り、もとのように米を撒いて鼠たちを愛したという。(『金玉(きんぎょく)ねぢぶくさ』)

【丑】 牛尾の払子

『Boy with Cow at the River’s Edge』橋本雅邦(The Metropolitan Museum of Art)

金竜寺で修行の身にある智雲は真面目な性格で、よく働き、学問にも熱心だった。ただ悪い癖があって、それというのも食事のあと必ず自室に引きこもり寝てしまうのだ。ある日、和尚が智雲の自室をのぞくと衣の裾から尻尾をだして眠りこける、牛に姿を変えた智雲がいた。どうやら生きながらにして畜生道へ入ってしまったらしい。

姿を見られた智雲は入水を決意し、近くの沼へ走った。後を追いかけた和尚はどうにか牛の尻尾を掴み、力の限り引っ張ったが尻尾はぷつんと切れて牛は水底へ沈んでいった。和尚の手には切れた尻尾だけが残された。智雲を哀れんだ和尚はその尻尾で払子(仏具のひとつ)を作ったという。(茨城県の昔話)

【寅】 虎皮をかぶった話

『今昔未見生物猛虎之真図』河鍋暁斎 (The Metropolitan Museum of Art)

王居貞が帰路で出会った道士は不思議な男で、一日食事をとらなくても平気だった。しかし夜になると嚢の中から皮を取り出し、どこかへ出かけていった。王居貞は寝たふりをして嚢を奪うと理由を聞いた。道士がいうには「自分は人間ではない。これは虎皮である。自分は毎晩、村へ食べ物を求めに行くのだ。虎皮をかぶると一晩で 500 里の距離を走れるのだ」。

長く実家へ帰っていなかった王居貞は許可をもらい、虎皮をかぶって走った。夜中なので家に入ることはできなかったが、近くにいる豚を一匹捕まえて食べ、帰ると虎皮を道士に返した。

その後、王居貞が実家へ戻ると次男が虎に食べられたと家人が話した。それはいつのことかと訊ねると、王居貞が虎皮をかぶって豚を食べた日だった。豚を食べた後、王居貞は一日二日と腹がいっぱいでなにも食べられなかったのを思い出した。(『太平廣記』)

【卯】 兎の皮をはいだ男の末路

『月下の兎』葛飾北秀(The Metropolitan Museum of Art)

今は昔、憐みの心を持たずに昼夜かまわず命を粗末にしている者がいた。あるとき、この者は野で兎を捕らえて生きながら皮をはぎ、体を野に捨てて去った。すると全身に毒の瘡(かさ)が生じて、皮膚が乱れ、爛れ、ひどく痛みだした。医者を呼び、薬も投じたが効果はなく数日して死んだという。

この話を見聞く人がいうには「これはかの兎を殺した現報(むくい)を受けたのだ」とのこと。生命は遊び戯れで奪うことができるが、動物は人間よりずっと命を惜しむものである。人間が命を惜しむように、兎も命を惜しんでいるのだ。(『今昔物語集』)

【辰】 弁財天さまと龍の恋

鎌倉の深沢村に大きな湖があったころ、ひとつの体に5つの頭をもつ気性の荒い五頭龍が村人たちを困らせていた。龍は人間の子どもが好物で、大きな体をくねらせては洪水を起こし、鋭い爪で山を崩し、火を吐きだしては作物を焼き尽くした。

ある日、海水が吹きあがり、島が現れ童女を従えた天女が楽の音に乗って島へ降り立った。弁財天である。麗しい姿にすっかり心奪われた龍は、天女を自分の妻に迎えようとするも断られてしまう。しかし恋の相手に咎められたことで、己の悪業に気づき心を入れ替えた。その後は村人たちのために尽くしたとか、弁財天さまと夫婦の契りを結ぶも自ら身を引いて山に化身したとも伝えられている。(神奈川県の昔話)

【巳】 愛執の蛇身

『Pheasant Caught by a Snake』河鍋暁斎 (The Metropolitan Museum of Art)

ある寺に恩貞という若僧がいた。この寺へ周慶という名の僧が修行にやってきて、恩貞に恋をした。床に臥せるほどの恋だった。見かねた泉牛長老が恩貞を呼び寄せ引き合わせたが周慶は恩貞の手をとり、そのまま死んだという。

しばらく後、恩貞が眠ろうとすると布団の下に動く物があった。見ると白い蛇が潜りこんでいる。この蛇、捨てても串に差しても死なず、それどころか次の晩には布団へ戻ってきた。恩貞は逃げるようにして寺を出たが、自分を想って死んだ彼の僧の面影が離れない。そのせいか次第に弱り、恩貞は死んでしまった。最後まで布団の下には白蛇が潜りこんでいた。(『因果物語』)

【午】 人を馬にして売る話

『冨嶽三十六景』より「武州千住」葛飾北斎(The Metropolitan Museum of Art)

遥か昔、山際に大きな家がぽつりと建っていた。住人は十人ほど。農作もせず、工の職もせず、商いをするわけでもないのに暮らしは豊かだった。そのうえ、どこから買い入れたのか良い馬を売るので、近辺の者は不審に思っていた。

ある日、六人の旅人が宿を求めてやってきた。五人は俗人、一人は修行僧だった。亭主は旅人を快く迎え入れ、蕎麦に似た青々とした草を湯で茹で、蕎麦のように和え、大きな椀に盛り客人にふるまった。俗人は喜んで食べたが、僧は用心して食べなかった。食後、風呂を勧められたが僧だけは隠れてこっそり様子を伺った。亭主は五人が湯殿に入るやいなや戸を金槌で打ちつけ、しばらく後に釘抜で戸を開けると出てきたのは馬が五頭。僧は火を燈して中を見たが、誰もいなかったという。(『奇異雑談集』)

【未】 羊に生まれ変わった娘

今は昔、韋慶植という魏王府の長吏がいた。妻とのあいだに美しい娘がいたが若くして亡くなり、夫婦はひどく悲しんでいた。

二年後、親類縁者の宴のために一匹の羊が買われてきた。羊を買う前夜、慶植の妻の夢に青い衣を着て、白い衣で頭を覆い、髪に玉の釵(かんざし)をさした生前と変わらぬ装いの娘が現れて言った。「私は生きていた頃、父母が私の思うままにさせてくれるのをよいことに勝手に振る舞っていました。今は報いをうけて羊の身です。そして罪を償うため、明日にはこの家で殺されようとしています。どうか私をおゆるしください」
 
翌朝、買われてきた羊の体は青く、白い頭に釵のような斑模様があった。母は羊を殺さないようにと頼んだ。ちょうどその時、慶植の家へ客人が到着した。客人たちが目にしたのは、髪に縄をくくりつけ吊るされている娘の姿だった。娘の叫びを聞いた客人たちは羊を殺すなと訴えたが、しかし羊は殺されてしまった。殺した者には羊の悲鳴は単なる鳴き声に聞こえたが、客人たちの耳には娘の泣く声が聞こえた。

羊は蒸し物、焼き物となったが客人たちは食べずに帰っていった。怪訝に思った慶植が事情を問い、経緯を知ると慶植は嘆き悲しみ間もなくして亡くなったという。(『今昔物語集』)

【申】 猿の頼みごと

とある修行中の僧侶の夢に小さな白いサルが現れて「私のためにお経を読んでください」と頼んできた。「そなたは誰なのか」僧侶の問いに猿は答えた。「私は天竺国の大王だったが、修行僧に仕える従者の数を制限したために死後に猿の身に生まれ変わってしまった。この体を逃れたいので、お経を読んでほしいのです」

半信半疑の僧侶だったが寺の建物が倒れたり、仏像が壊れたりと異変が続くため、お経をよんであげたという。(『日本霊異記』)

【酉】 片目の雉

『露草に鶏と雛』葛飾北斎(The Metropolitan Museum of Art)

ある女の夢に死んだ舅が現れた。舅は物思わしげな様子で「明日、地頭殿が御狩をなさるが儂の命は助からないだろう。もしこの家へ逃げることがあれば隠して欲しい。儂は生前のときのように片目が不自由だ。それを印と思うてくだされ」と告げた。不思議と思っていたが翌日、雄の雉(きじ)が家の中に飛びこんできた。

折から夫は外出中だった。女は雉を捕らえて釜の中に隠した。夜になって夫が帰宅すると妻は昼間の出来事を話した。釜から雉を取りだしてみると夢の通り、片目に問題があるようだった。夫が撫でても恐れる気配はない。不憫に思い涙を流すと、雉も涙を流した。(『沙石集』)

【戌】 犬の転生

『暁齋樂画』河鍋暁斎 (The Metropolitan Museum of Art)

寺に飼われていた白犬は、修行者が念仏するのを見ては衣の裾に纏わり、仔細ありげに吠えるなどしていたが、ある日、喉に餅を詰まらせて死んでしまった。和尚は憐れみ、戒名を授け弔してやった。夜、和尚の夢に白犬が現れて告げた。「念仏の功力により人間に生まれることが叶いました。門番の者の妻の胎に宿りました」言葉とおり門番の妻は男子を産んだので、和尚は夢のいきさつを話し、子どもを出家させた。

この子どもはとても賢く、それでいて餅を嫌って食べなかった。そして周囲が自分を「白犬」と仇名で呼ぶのが癪で和尚にその理由を問うた。「されば餅を食すれば、この難儀もあるまいぞ」などと和尚が答えたのがいけなかった。子どもは餅を食べようとし、しかし席を外してそのまま行方知らずとなった。和尚はたいそう後悔したという。(『諸国里人談』)

【亥】 猪と僧

昔、一人の僧が山に住んで座禅をしていた。僧は食事のたびごとにカラスに食べ物をほどこしていた。ある日、手にもって遊んでいた小石を垣根の外にカラスがいると気づかずに投げてしまった。小石はカラスの頭を砕いて殺した。カラスは猪に生まれ変わり、猪は同じくその山に住んだ。

それからしばらくして、猪は僧の住んでいる山房の上で石をかき分けて餌を探していた。すると石が転がり落ち、今度は僧が死んでしまった。猪には前世の仇をうとうなんて考えはなかった。ただ石が自然に落ちて、僧を殺してしまったのだ。(『日本霊異紀』)

近くて遠い動物たち

今回紹介した物語は、私の思いつくかぎり古いものばかりだ。物語には神秘的な動物たちが登場し、人間の傍で暮らし、生活をのぞき、布団の下に隠れて耳をそばだてている。神秘的な動物、といったがほとんどは実在する生き物だ。龍をのぞけば鼠、牛、虎、兎…いずれも地上で見かける馴染みのものたちばかりである。

業や輪廻転生を説く仏教経典には、人間と動物の関係を記したものがおおい。博物学者・南方熊楠の『十二支考』は、古今東西の文献から集めた神話や言い伝えなど十二支の動物にまつわる知識をたっぷり詰めこんだ書物だ。作者いわく、動物がもつ友愛の情は自分をかつて助けてくれた人間を同類にみなす心性からきたものだという。

説話から読み解く動物の性質

『新板けだもの尽』芳虎(国立国会図書館デジタルコレクション)

鼠は物を盗みもするけれど、よく人を助ける。兎の迷信には悪いものが多く、兎肉には毒があるとか(『本草網目』)、妊娠中は食べてはいけないとか(『調味故実』)、子どもが痔になるとか報復を予感させるようなことばかりが語られる。でも、美味しいですよね、ウサギの肉。

ほかにも、馬のなかには人間のような酒好きがいて、上戸の馬は酒で下戸の馬は水で飼うべきである(『甲陽軍鑑』)とか、虎が人に法術を教えたことがあるとか(『日本紀』)、牛は死を聞くといたく恐れるが、羊はそれほど恐れない(『孟子』)なんて話も伝わる。単純な話のなかに案外、その動物の「らしさ」があって、人との関わりあいと合わせて読むと動物たちのそれぞれの性質が浮きあがってくるようでおもしろい。

さいごに

世に動物譚は無数にあれども子ども向けから大人の読み物まで、古いものも新しいものも、動物が活躍する話は愉快なものがおおい。物語に登場する動物たちは皆背筋をぴんと伸ばして生き、語りのなかにはいつも独自の動物としての時間が流れている。なにより自分の干支の動物には妙な親近感が湧いて、たとえ不思議な話でも真剣に聞いてしまうのだから不思議だ。

【参考文献】
南方熊楠(1994)『十二支考 上下』岩波文庫
中田祝夫(1989)『日本古典文学全集 日本霊異記』小学館
須永朝彦(1996)『怪談 日本古典文学幻想コレクション3』国書刊行会
須永朝彦(1995)『奇談 日本古典文学幻想コレクション1』国書刊行会

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。