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2024.03.18

美しく、エロティックな魔性の場。髪の毛が生み出す不思議な物語

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足、手、首、乳房……人の体で美しいとされる場所はたくさんあるけれど髪は、そのどれともちがって異質な気がする。人の体の一部でありながら、一滴の血も流すことなく、いとも簡単に切り離せてしまえるということも髪が異質に感じられる理由かもしれない。

神秘的な力が入りこみやすいとされる髪は、古代から魔力や霊力の宿る場所だった。美しい髪は美の理念であり、エロティックな刺激物でもある。そして魔性の場として、おおくの不思議な物語を生みだしてきた。

遺髪が連れてきた幻影

『当世女風俗通』「中品の女房」喜多川歌麿(Art Institute Chicago)

片田舎に、ひとりの男が住んでいた。愛した妻は子を産んだのち重い病を罹っていた。今は最後というとき、妻の髪が暑苦しそうに乱れているのを結いつけてあげようと、男は傍らにあった手紙の片端を破り、それをねじり結んでやった。やがて息が絶え、煙となるのを見届け、心の慰めとなるものもないまま「もう一度、姿を見たい」と思い募らせていたところ、想いが通じたのか妻が寝所に現れた。夢かとも思われたが、生前と露ほども変わらない姿に涙がこぼれる。

朝になり、妻は帰りがけになにかを落としていった。それは、一本の元結(紐・紙縒り)だった。手にとってみると、最後の折に妻の髪を結んでやったものだった。あれは骸と共に葬ったはずだから、ここにあるはずもない。「これは近き世の不思議なる事にて、決して空言ではござらぬ」と澄憲法師が人に語られた話である。(『発心集』)

艶やかな髪の持ち主の正体は

『青楼七小町』「松葉屋内 喜瀬川」喜多川歌麿(Art Institute Chicago)

知足院殿(11~12世紀の人)には、心に深く決めた願望があった。
その願いの切なるあまり、霊験あらたかな僧を召して秘法を行わせた。僧によれば、七日のうちにしるしが現れるというので供物を与えになって待っていると、一匹の狐がやってきて供物を食べた。人を恐れるようすはない。

その後、殿の夢に美しい女が現れた。髪の長さは衣の裾より三尺もあまるほどで、あまりの艶やかさに手が伸び、つい掴んでしまった。「お見苦しい、なにゆえ左様な事を」と告げる声も、顔も、気配もこの世の者とは思われないほどの美しさだ。掴んだ手に、さらに力がこもった。女が手荒く引き離すと、髪は切れてしまった。

夢から醒めると手には狐の尾が握られていた。僧に夢の内容を語ると、これで望みはかならず叶うという。件の狐の尾は、大切にしまわれ保管されている。(『古今著聞集』)

髪より滴る炎

『婦人手業拾二工』「髪梳き」喜多川 歌麿(Art Institute Chicago)

ある下女が寝床で髪を梳かしていた。燈もなく暗いのに、梳かすたびに髪のなかより火焔がはらはらと、露のように落ちた。驚いて受けとめようとするが火は消えてしまい、ふたたび梳かすと炎が飛んだ。まるで蛍が集まって飛び散るよう。下女は主にこれを訴えたが「世に例無き物怪なり」と家を追い出されてしまった。女は途方にくれてあちこちをさ迷ったが、やがて富家の妻となり、子孫は栄えたという。(『醍醐随筆』)

髪を梳けば炎が滴る。
そんな美しい話は、世にいくつかある。王行甫の『代酔編』によれば、「衣を解けば火がころがり出て、頭を梳けば光が流れ落ちる、これは良い徴候」なのだという。件の女性の髪からこぼれた炎も、その前兆だったのかもしれない。中国の張華は『博物志』で、女性は常に髪に油をつけているから湿熱に蒸されて髪から火がでたのだ、と書いている。

ちなみにわたしは髪から炎を滴らせたという人の話は聞いたことがないし、火が散るのを見たこともない。けれど黒髪の上で光が爆ぜるのは、さぞかし美しい情景だろうなと思う。

黒髪の美学

『彼の髪を梳く』鈴木春信(The Metropolitan Museum of Art)

日本の髪には、西洋の髪とは異なる美意識があるように思う。万葉の時代に生まれたとされる髪への美意識は、やがて女性の情念を描写するためのコードになった。

現代からみれば異様に長く、黒々と艶めいた平安時代の黒髪は、人が立って髪の末がなお10センチも畳に這うほどで『宇治大納言物語』には、立ってなお60センチも髪があまったという記述がある。首筋から背中、腰から足もとへ波うつ優美な垂髪のひんやりとした冷たさを想像すると、それがなんだか這う蛇のような、流れる水のようにも思えてくる。そうした髪は、きっと多くの人を魅了したにちがいない。

江戸で起きた髪切り事件

日本各地の奇談を集めた『諸国里人談』に、元禄時代の奇妙な事件が記されている。この頃、夜中に往来の人の髪を切るという事件が頻繁に起こったという。男も女も、結った髪を知らぬ間に切り落され、切られた当人はいつ切られたのか分からないらしい。同様の事件は諸国で起こり、江戸でも金物屋の下女が買い物に出かけた際に髪を切られている。

ところで元禄といえば、ちょうど島田髷が流行した時期と重なる。
江戸の女たちの美的感覚と実用性の結合した結髪芸術には、当時の女性たちの髪にたいする熱狂ぶりがうかがえて、その途方もなさに羨ましさを超えて呆れてしまう。なにしろ美の饗宴のあまりの激しさに、幕府は社会の風紀を乱すとして「女結髪廃止令」(1795年)を出したくらいだ。

髪型のバリエーションが増えるにしたがって櫛や笄(こうがい)も華やかになっただろうから、きっと江戸は艶美な髪形の女性たちで溢れていたのだろう。それを狙っての犯行か、とつい余計なことまで考えてしまう。

髪という異物

『山姥と金太郎』喜多川歌麿(The Metropolitan Museum of Art)

謡曲『葵の上』の生霊からヒントを得て描かれた上村松園の『焔』も小林古径の『髪』にしても、浮世絵から近代の日本画にかけて日本の女性のイメージには髪を中心にしたものがおおい。「黒髪の生命である毛筋の美しさは流れや波の美しさであり、髪を梳いたり、すすいだりすることは黒髪のうねりと水の流れとを一体化する行為なのである」と書いたのは、美術評論家の伊藤俊治。髪を梳く女性の姿には、何ともいえない怪しい美しさがある。

女性の長く美しい髪は、ときに吉兆を予言する占いとなって火をこぼし、情動をかきたて死者を現(うつつ)に招く。すくすくと伸びた絵の中の髪は、どれも細くてひそやかだ。それでいて髪は生き物のようにうねり、艶やかにひかり、官能そのものみたいに人を魅了する。まるで目には見えない魔物でも宿っているみたいに。

【参考文献】
須永朝彦(1995)『奇談 日本古典文学幻想コレクション1』国書刊行会

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。