お酒の神様で有名な、京都の松尾大社(まつのおたいしゃ)。平安京ができる約90年前、飛鳥時代から続く歴史の長い神社だ。常に地元の人や権力者からお金やお米などを奉納され、豊かだったイメージを筆者はもっていた。
しかし実際は数々のトラブルに巻き込まれ、訴訟で勝ったり負けたりと壮絶な歴史がある。松尾大社に限らず何百年、千年と続く神社仏閣にはたくさんの訴訟があったそうだ。日々トラブル対応に追われるサラリーマンからみたら、涙がとまらない。
さらに、松尾大社の歴史の中でも興味深いのは、本能寺の変で織田信長が持っていた刀にまつわるトラブルだ。松尾大社の歴史を研究している、京都芸術大学教授の野村朋弘さんに詳しくきいてみた。
尚、聞き手はオフィスの給湯室で抹茶をたてる「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。
境内に勝手に用水路をつくる! 年貢を払わない! トラブルが勃発した中世の神社仏閣
松尾大社は、京都に平安京ができるずっと前、飛鳥時代にできた長い長い歴史を誇る神社だ。701年に文武天皇が勅命して建てられた。平安時代には清少納言が『枕草子』の中で「神は松の尾」と書くくらい、信仰を集めてきた場所だった。
松尾大社は朝廷から援助され、土地(所領という)もたくさん持っていた。所領に住む人々からは年貢をもらって、さまざまな神事を行ってきたのだろう。…と、思いきや、しかし! 松尾大社に残るたくさんの訴訟資料を見ると、優雅で豊かな神社のイメージはひっくり返る。たとえば…
こちらは室町幕府が発行したもの。松尾大社の境内に地元の豪族が勝手に用水路を掘ったとして室町幕府に訴え、松尾大社が勝訴した文書だ。由緒正しい神社の土地に、許可なく用水路をつくるなんて!とんでもないトラブルである。 そしてもう1つ…
所領に住んでいる人が勝手に引っ越したり、ほかの有力者と契約したりして、年貢を納めてくれないことを松尾大社が訴え、室町幕府が「きちんと年貢をおさめなさい」と命令を下した文書。家賃を払わず勝手に暮らしている住人と大家のトラブルのようだ。
給湯流茶道(以下、給湯流):長い歴史をもつ立派な神社で、地域住民とトラブルがおきていたというのは初めて知りました。驚きです。
野村朋弘(以下、野村):そんな、驚くようなことではないですよ。基本的に古いお寺さんや神社さんに残されている資料は、このような訴訟のものばかりです。むしろ松尾大社の訴訟資料は少ないほうだと思います。もっと、たくさんのトラブルと戦ってきた神社や寺はありますから。
給湯流:えー!
朝廷や幕府から神事を”アウトソーシング”されて、予算がない?
野村:お寺さんも神職の人も、霞を食べて生きてきたわけではないですよ。
給湯流:大きな神社やお寺は、朝廷や幕府からたんまりお金をもらい、余裕で暮らしていたと思い込んでいました。
野村:もともとは朝廷や幕府からお金がもらえて、神事を執り行ってきました。でも行財政改革で、お祭りなどがアウトソーシングされていくのですよね。朝廷からも幕府からも予算がもらえなくなる。それで神社は、神事を行うために自分で所領を開発。所領に住む人から年貢をおさめてもらわないといけない。
給湯流:室町幕府に「正殿、遷宮のお金をくれるというお約束でしたよね? 何度も申していますが滞納していないで早く払ってください。そうでないと明日にでも正殿が崩れます。」と松尾大社が訴える書類があります。そういった事情で作った書類なのですね。
野村:戦国時代になると、戦国大名などに所領も横領されてしまいます。
給湯流:ぎゃー! 資金繰りがさらに大変になったと。尊き遠い存在だと思っていた古い神社が急に身近になってきました。予算と実績のはざまで揉まれているサラリーマンが聞いたら、しみじみと共感できます。こんな”大手”の神社でさえ、資金繰りで一生懸命動いていたのなら、自分みたいな下々のサラリーマンも明日から頑張ろう、的な。
本能寺の変で信長が所持した刀を購入した松尾大社。のちに”死罪トラブル”に?
給湯流:野村さんがいちばん興味深いとおっしゃっている“トラブル”についてお聞かせください。
野村:織田信長が本能寺の変で明智光秀に倒されたとき、手元に刀があったそうです。その刀について火事場泥棒をした者がいたのか出回りました。
給湯流:本能寺の変で茶道具の多くは焼けたと言われていますが、刀は残っていたのですね!
野村:浪人の中路小兵衛(なかじ・こへい)という人が、本能寺にあった信長の刀を買わないかと松尾大社に声をかけます。
給湯流:年貢を納めない人もいれば、お宝を手に入れたら買い取ってくれと言ってくる浪人もいる。神社には様々なトラブル・クレーム対応がどんどんやってくる。とても大変そうですね。
野村:当初、松尾大社では買うのはやめようと話していたようです。しかし神職の娘婿が「うちで買ったらどうだ」と提案して結局は購入することになった。おそらく、浪人の生活を支えてやろうという気持ちもあったのでしょう。
給湯流:浪人の生活を助けてあげた。それはいい話!
野村:豊臣政権に移ってから京都所司代の前田玄以という人が、信長公縁のものがあればお上に提出するようにと市中に下知を出しました。しかし松尾大社で購入した信長の刀は、提出しなかったのです。
給湯流:なぜですか?
野村:信長の刀は自分たちのお金で買ったものですから、特に提出する必要がないだろうと判断したようです。しかし先ほど出てきた神職の娘婿だった人が通報しました。
給湯流:なんと!
野村:色々な事情があり、娘婿は離縁していました。その腹いせで京都所司代に「松尾大社、信長の刀を持っているのに黙っています。」とバラしてしまったのでしょう。
給湯流:元・娘婿はトラブルメーカーですね。そもそもアンタが信長の刀を買おうとゴリ押ししたのが悪かったのに。
野村:それで当時の神主に出頭状が出たのです。ですが、神主の父をかばって、息子が出頭。それで罪軽からずということで、死罪判決が出てしまいました。
給湯流:元・娘婿のせいで死罪に。大ピンチ!
約束を破れば8万4000の毛穴ごとに病原菌が入ってきて死ぬ! 神仏の宿るお札
野村:いざ処刑場に引き出されたときに、急に雷鳴とどろき、天から謎のお札が降ってきたのです。
給湯流:どんなお札だったのですか?
野村:松尾大社の亀の牛玉宝印(ごおうほういん)が押されたお札です。今ですと、熊野大社の牛玉宝印が有名かもしれません。熊野大社のものは、カラスの印を押したお札。家に貼っておくと災難から守ってくれる、というものです。
野村:当時は契約書に捺すハンコのような役割がありました。牛玉宝印が刷られた紙に書いてある約束を破れば、8万4000の毛穴ごとに神仏の罰として病が入ってきて自分を殺すことになってもかまいません、といった内容が書かれています。
給湯流:8万4000の毛穴! それは恐ろしいパワーがありますね。
野村:例えば豊臣秀吉が晩年、「一生、豊臣秀頼を守ります」といった契約書を徳川家康に書かせて、牛玉宝印を押した書面を作ったこともありました。
給湯流:秀吉、毛穴パワーで必死の契約書を作っていたのですね。
野村:話を戻しますと、処刑場で急に雷が鳴ってそのような力があるお札が降ってきた。これは何かのお告げかもしれないと処刑人が思って京都所司代の前田玄以に報告しました。そして玄以が豊臣秀吉に相談すると、神の意思があるのだろうということになり、死罪を免れたのです。
給湯流:よかった。秀吉が免罪を決めたのですね。
野村:秀吉自身が天下人になる前から、松尾大社とはゆかりがあったのです。朝鮮出兵時に松尾大社の神職から帷子(かたびら/衣服の一種)をもらったりしていました。
給湯流:なるほど。松尾大社は、あらゆるトラブル回避のために戦国武将とも日頃から交流して自分たちを守るネットワークを作っていたと。
野村:そうですね。自分たちで所領を運営して年貢を集めたり、戦国武将たちからも支援がもらえるように日々動いていた。松尾大社が神事を続けるために、たくさんの営みを行ってきたことが研究でわかってきました。皆さんにも松尾大社のそんな歴史を知ってもらえたら嬉しいです。
給湯流:長い歴史がある松尾大社も、現代のサラリーマンが対応するような様々なトラブルと対峙してきたのですね。松尾大社がグッと身近になりました。今日は貴重なお話、ありがとうございました!
参考資料:
「東家私記」(『松尾大社史料集』1121号)
「重弘語記」(『松尾大社史料集』1151号)
「仙庵道任書状」(『松尾大社史料集』152号)
「松田政次書状」(『松尾大社史料集』153号)
アイキャッチ画像は、御神像(老年)/松尾大社
泣ける訴訟資料も見られる!特別展「松尾大社~みやこの西の守護神(まもりがみ)~」
鳥取市歴史博物館
令和6年(2024)7月20日(土)~令和6年9月16日(日)
9:00~17:00(最終入館16:30)
松尾大社は、京都市西京区に鎮座し、大山咋神と市杵島姫命を祭神とします。平安遷都以前から渡来氏族である秦氏の信仰が強く、平安京遷都以後は賀茂社とならび帝都の守護神とあがめられました。今日は酒神として醸造関係者の崇敬を集め、鳥取では東郷荘(湯梨浜町)の領主として知られています。本展では、松尾大社が辿ってきた1200年の歴史を同社が所蔵する資料を通じて紹介します。
くわしくはこちら
https://www.tbz.or.jp/yamabikokan/special/8957/
野村朋弘
京都芸術大学教授。
1975年北海道函館生まれ。幼少の頃から歴史好き。しかし「歴史では食べていけない 」といわれ、工業高校に進学。上京して郵便局員として仕事をしつつ、國學院大學で日本中世史を専攻。大学院進学を機に公務員を辞め、それからは持って生まれた器用貧乏さで、さまざまな分野に迷い込み現在に至る。主な専門領域は日本文化史や神社史。著書『諡 天皇の呼び名』(中央公論新社)、『伝統文化』(淡交社)などがある。