2024年の大河ドラマ『光る君へ』の中で、欠かせない登場人物の一人となっているのが、ロバート秋山さん演じる藤原実資(ふじわらのさねすけ)。優秀で正義感が強く、「藤原氏としては道長よりも由緒正しい家柄」と出自(しゅつじ)を誇っていた、朝廷のご意見番です。
清廉潔白な右大臣
「身内で権力を独占しすぎ」「贅沢をしすぎ」など、日記『小右記(しょうゆうき)』の中で道長批判をすることもあった実資は、人に厳しいだけでなく、自らのことも清廉潔白であれと厳しく律した人でした。あまりにも生真面目なので、若いときには周囲から笑われることもあったといいます。しかし、権力におもねらない姿勢が信頼をあつめ、道長の孫の後一条天皇・後朱雀(ごすざく)天皇の御代(みよ)では右大臣にまでのぼり、賢人右府(けんじんうふ、右府とは右大臣のこと)と呼ばれました。
▼藤原実資の生涯と人物像についてはこちら。
唯一道長に対抗できた男!藤原実資、89年の生涯と人物像
鎌倉時代の説話集『十訓抄(じっきんしょう)』には、こんなエピソードが収録されています。
賢人実資、家を焼く
実資が新たに屋敷を造り、引っ越しをしたばかりの夜のことです。火鉢の火がパチッと跳ねて御簾(みす)に飛び、くすぶり出しました。実資は御簾が燃え上がるのをじっと眺め、周囲の人々が驚いて駆け寄り火を消そうとするのを制します。そして火が大きく燃え広がるのを見ると、落ち着いて牛車を呼び、笛だけを持って、他の荷物は一切運び出すことなく避難をしたのです。
このときに動じなかったことを帝からもほめられて、実資は周囲から賢人と呼ばれるようになりました。
あとになってから、ある人が「落ち着いていられたのは何故か」と尋ねたところ、実資は「小さな火が跳ねただけで家が燃え上がるとは、ただごとではない。天が下された災いなのだから、抗(あらが)おうとすれば、もっと大きな災いに襲われていただろう。屋敷の一つくらい惜しむ必要があるだろうか」と答えたそうです。
この超然とした態度。実は、実資は不思議な力の持ち主でもありました。
物の怪を見やぶることができた
『今昔物語集』には、実資が仕事を終えて内裏から帰る途中、牛車の前をぴょんぴょんと踊りながら進む不思議な油瓶(かめ、油を入れる容器のこと)を見たという話があります。
実資が「実に怪しい、物の怪(もののけ)に違いない」と思っていると、油瓶はとある家の扉に何度も飛びついて、ついに鍵穴からするりと中へ入り込みました。その家の様子をさりげなく人に探らせると、「その家にはずっと病に臥せっていた娘がいたが、今日の昼頃に亡くなってしまったようだ」というではありませんか。実資は「やはりあの油瓶は、怨みを抱いていた物の怪が姿を変えていたのだな。鍵穴から入って、娘を取り殺してしまったに違いない」と頷くのです。
物の怪とは、人に取り憑いて苦しめたり、死に至らしめたりする悪霊や生霊、妖怪などのことです。平安時代の人々は、人の心の恨み辛みが天災や病気の原因につながると考え、恐れていました。『今昔物語集』は、「物の怪を見やぶるこの大臣(実資)も、ただ者ではない」と締めくくっています。
そして実資が、道長に取り憑いていた怨霊を追い払ったという、こんな話も。
道長邸で怨霊退散
道長が怨霊に祟られて、体調を崩していたときのことです。心配した実資が道長のもとへお見舞いに訪れました。怨霊は実資の来訪を知らせる先ぶれの声を聞くと、側にいた人に取り憑いて「実資には会いたくない」と言い残し、退散。道長はたちまち回復します。
御堂(みどう、道長)、邪気を煩はしめ給ふ時、小野宮(おののみや)右府(実資)、訪(おとな)ひ奉らんがため、参らしめ給ふ。邪気、前声(さきごえ)を聞き、人につきていはく「賢人の前声こそ聞こゆれ。この人には居あはじと思ふものを」とて、退散の由を示す、と云々。御心地(おんここち)、すはなち平癒す。
『古事談』より
道長が御堂と呼ばれるようになるのは、一条天皇に彰子(しょうし/あきこ)、三条天皇に姸子(けんし/きよこ)、後一条天皇に威子(いし/たけこ)と、3人の娘たちを天皇の后にする「一家三后」を成し遂げて、寛仁3(1019)年に出家したあとです。栄華の陰では、人から妬まれたり怨まれたりすることもあったでしょう。
道長の下で長く右大臣をつとめた藤原顕光(あきみつ)も、道長を怨みながら亡くなり、死後に道長の娘たちを次々と呪い殺したといわれています。実資が追い払ったのも、顕光の怨霊だったのでしょうか。もしも実資がお見舞いにやってこなければ、道長も呪い殺されていたのでしょうか?
もしかしたら実資はそれを予期して、道長を助けにいったのでしょうか。想像は尽きません。
▼藤原顕光ってこんな人。
道長のせいで娘が不幸に。悪霊になった大臣、藤原顕光の哀しき運命
女性にはめっぽう弱かった
ところで、清廉潔白な賢人を目指していた実資にも弱みがありました。
好色だった実資は、賢人右府と呼ばれるようになってからも、美人を見ては鼻の下をのばして、後を追いかけ回していたそうです。「それが賢人のすることですか」と人からたしなめられると、「女事(じょじ)に賢人なし」と開き直ったとか。
『古事談』や『十訓抄』には、実資の色ボケなエピソードも収録されていて、決してほめられた話ではないのですが、なんだかちょっと親近感を抱きます。
アイキャッチ:『百鬼夜行絵巻』より 出典:国立国会図書館デジタルコレクション
参考書籍:
『古事談』編:源顕兼(筑摩書房)
『日本古典文学全集 十訓抄』(小学館)
『日本古典文学全集 今昔物語集』(小学館)
『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)
『国史大辞典』(吉川弘文館)
『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社)