誰にだって、「これは人に知られたくない」という秘密の、一つや二つはあるでしょう。
江戸城の大奥は、閉じられた女の園。
江戸っ子たちは、大奥につとめる女中たちのプライベートを様々に想像して、噂の種にしていたようです。
「大奥のお使いが、あんな店に入っていったよ……」
今回は大奥の上級女中が、私的な買い物を頼むために雇っていた、ある男を紹介します。
その正体は、買い物係
将軍や御台所に目通りができる「御目見(おめみ)え以上」の大奥女中は、一生奉公が原則です。将軍家の秘密を外にもらさないよう、基本的には休暇をとって実家に帰る「宿下がり」も許されません。
日用品の買い物は、「七つ口」という大奥の通用口まで御用聞きにやってくる、商家の女性に頼みます。
御年寄(おとしより)や御中臈(おちゅうろう)などの上級女中になると、「御宰(ごさい、五菜、御菜、御斎など漢字表記は様々)」という男性の使用人を雇って、実家への用事や、個人的な買い物などを頼むこともできました。
大奥づとめをしていたある女性によれば、御宰は銘仙(めいせん、当時は地味な縞模様の紬〈つむぎ〉)の羽織に一本差し。またある女性によれば、御宰は唐桟(とうざん、紺地に縦縞模様の錦織物)の着物の裾をからげた「尻っぱしょり」に股引(ももひき)姿。
大奥の上級女中が信頼して、プライベートな買い物を頼んでいた相手というのは、使いっ走りにしてはちょっと粋な男ぶりです。
彼らは大奥の部屋までは入れませんが、七つ口の土間にある手すりのところで指示を受け、その日の用事へ出かけていきました。また、部屋子(へやこ)という女中見習いの少女が外出するときなどには、付き添いをすることもありました。
御宰は盗むのが仕事?
御宰のお給料は、年間で1両2歩。お金の価値は時代によっても変わるためあくまでも目安ですが、大河ドラマ「べらぼう 〜蔦重栄華乃夢噺〜」の舞台でもある18世紀後半の江戸では、1両で1日に23人の大工を雇えたという記録があるそうです。つまり成人男性1人のお給料としてみると、1~2ヶ月分程度にしかなりません。
その代わりに、御宰は頼まれた買い物に必ず上乗せをして請求したので、「盗むのが仕事」といわれたそうです。
いえいえ、基本給の安さと、買い物の手間を考えたら、マージンを取るのは当然のこと。
御宰になるには株(権利)が必要で、親から子への世襲が多かったようですから、決して割の悪い仕事ではなかったのです。むしろ人から羨ましがられるくらい稼いでいたのかもしれません。
大奥女中の身分によっては、御宰を2~3人雇うことがあり、その場合は上(かみ)御宰というベテランと下(しも)御宰という若手がセットでつきます。
上御宰は、大奥で行儀見習いをしてからお嫁に行きたいという商家や農家の娘を、大奥の上級女中が個人的に雇う世話子(せわこ/下働きの少女)として仲介することもあったそう。
大奥に顔がきく御宰は、江戸っ子たちからも一目置かれる、そんな存在だったのではないでしょうか。
御宰はどこで、何を買う?
江戸っ子たちは、大奥につとめる上級女中たちの買い物に興味津々。庶民の言葉で綴られた江戸川柳には、御宰の名が登場する句も残されています。
「下村で ちょうど片荷と 御宰云い」
常盤橋(ときわばし)両替町(正しくは本両替町、現在の日本橋本石町〈ほんごくちょう〉1、2丁目)にある下村山城屋は、白粉や髪につける油で有名な店。この日の買い物の半分は、ここの化粧品だったようですね。
「ても暗い 内だと御宰 腰をかけ」四つ目屋で
「それにしても暗い店内だ」と御宰が腰を下ろしたのは、両国薬研堀(やげんぼり、正しくは米沢町2丁目、現在の東日本橋2丁目)にある四つ目屋です。ここはイモリの黒焼きを使った媚薬「長命丸」で有名な店。
「四つ目屋は 得意の顔を 知らぬ也」
店内を暗くしている四つ目屋。だから店員は、お得意様の顔を知りません。
というのも四つ目屋では媚薬のほかにも、恋人同士がむつみあう様子を描いた春画や、象牙や水牛の角で作られた張型(はりがた)、いわゆる「大人のおもちゃ」を買うことができたそう。
「にこにこと 御宰は桐の 箱を出し」
それで、御宰が買ったあの荷物の中身は何だと、好奇心はふくらむばかり。
口の堅さは折り紙付き
大奥の上級女中たちのプライベートを知ることができる御宰は、口の堅い男でなくてはつとまりません。それで別名を「岩内(いわない)」とも呼ばれたそうです。
きっと人から「四つ目屋で何を買ったんだい」と尋ねられても、答えはしなかったのでしょう。
だからこそ、江戸っ子たちは大奥で暮らす女中たちの生活を、いろいろと想像しては面白がっていたのです。「本当に全く、余計なお世話よ」お城の奥から、そんなため息が聞こえてきそうですよね。
アイキャッチ:『Woman from Daimyo Household with Attendants』著者:窪俊満 出典:メトロポリタン美術館
参考書籍:
『御殿女中』三田村鳶魚(青蛙房)
『川柳江戸名物』(次世代デジタルライブラリー)
『川柳語彙』(半狂堂)