Culture
2025.03.13

“ただの人”になっちゃった…女性の色香に惑い、神通力を失った仙人たち

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『今昔物語集』(平安時代後期)はおもしろい。
なんたって、仙人についての珍しい説話がたくさん収録されている。それだけでも充分に読み応えがあるのに、話に登場する仙人たちが思いのほか情けなくて笑ってしまう。

神仙(仙人)思想は中国で生まれた古い民間信仰のひとつだ。ひとくちに仙人といってもいろいろで、最高位を占める仙人ともなると天空を飛行したり、雲に乗ったりできるという。そんなやんごとなきお方でも人間の本質というのは変わらないらしい。

というわけで、今回は『今昔物語集』からとんでもない理由で神通力を失った仙人たちのお話を紹介。

女の色香に惑い普通の人になった久米仙人のお話

屋島岳亭 Seven Sages of the Bamboo Grove, from the series “Ten Famous Numbers”(The Metropolitan Museum of Art)

今は昔、修行に勤しんでいた久米という男がついに空中飛行の仙術を体得。仙人の仲間入りをしたというのに、飛行中に川で洗濯している若い女性を見つけてしまったのが不幸のはじまりだった。
若い女性は衣をかき上げて、白い脚をのぞかせていた。一目ぼれした久米仙人。ふらふらと欲心を起こしたせいで神通力を失ってしまう。こうしてただの人となった久米仙人は、川辺で出会った女性と結婚し、二人で仲良く暮らしたという。

話はこれで終わらない。
あるとき、自分がかつて仙人だったことが役人にばれてしまう。役人は地に落ちた久米仙人を愚弄してやろうと呼びつけると、できもしないことを命令した。
「この材木の山を神通力で運んでみせてくれ」
「今はただの凡俗です。そのような通力はありません。仙術も忘れました」
「ものは試しだ。やってみてほしい」
久米仙人は断りきれず、人里離れた寺に籠って身を清め、絶食し、七日七晩、本尊を礼拝して心をこめて通力の回復を祈った。
願いは叶えられた。
八日目の朝のことである。辺りがにわかに曇り、闇夜が訪れ、雷鳴がとどろき大雨となった。そしてあれよと思う間に空が晴れあがり、山と積まれた材木は目的地まで飛んでいったという。以来、役人たちは久米仙人を礼拝するようになったということだ。

すべって転んだ逆恨みに雨を止めた一角仙人のお話

屋島岳亭 Seven Sages in the Bamboo Grove(The Metropolitan Museum of Art)

天竺に暮らす額に角を生やした一角仙人、あるとき道ですべって転んでしまう。
「世の中、雨が降れば道が悪くなる。雨を降らすのは龍王の仕業だ。なんとも腹立たしい」
ということで、一角仙人は龍王をとらえて水瓶に閉じ込めてしまった。そのせいで地上では12年も雨が降らない。人間たちの願いもむなしく、雨の降る気配はいっこうにない。どうしたら再び雨が降ってくれるだろう。

するとある大臣が、かつて女性に触れて神通力を失った仙人がいたという話を思い出した。あの仙人も例外ではないはずだ。ずいぶんと失礼な大臣である。
かくいうわけで、国中から五百人の美女が集められた。美女たちは着飾り、車に乗せられると一角仙人のいそうな山へ運ばれていった。

木の下、峰の間、美女たちは仙人を探してまわった。そして、奥深い岩屋の側でついに一角仙人を発見する。見たこともない美女に愛欲の心を起こした一角仙人は美女につい手を伸ばしてしまった。
その結果、神通力は失われ、龍王は水瓶を割って空へのぼり、無事に雨を降らせたという。

さて、一角仙人はその後きちんと美女を都へ送り届けたそうだが、空を飛ぶこともかなわず、美女に惑わされたと知った人びとに笑われて、かなり恥ずかしい思いをしたにちがいない。

人妻の甘い声に乱された提婆那延仙人のお話

屋島岳亭 Ten Wise Men Among the Disciples of Confucious(The Metropolitan Museum of Art)

どうやら仙人といえど、ささいな気を起こしたり、女性に触れたりすると苦労して手に入れた神通力を失ってしまうらしい。久米仙人も一角仙人にしても、仙人になるための修行を積んでいるというのにあまりに情けない。それとも、世俗との関りを絶ちすぎると憐れな男になるのだろうか。

女の色香のせいで通力を失った仙人というのは他にもいて、たとえば『今昔物語集』に登場する提婆那延もその一人。
帝釈が仏法を聞きに行くために提婆那延という仙人を尋ねるのだが、舎脂夫人が帝釈に甘えた声で戯れているのを聞いてしまっただけで、提婆那延は心を乱して通力を失ってしまうのだ。

情けない。あまりにも情けなくて寺と山林での長く厳しい修業が悔やまれる。

女性の色香に翻弄される仙人たち。でも……

屋島岳亭 Six Superior Men of Reiraka(The Metropolitan Museum of Art)

「天性慈悲にして、遂に喜び怒ることをせず」と言う言葉がある。
慈悲の心はあるけれど、喜怒哀楽を示さず、世俗には遠い。脱俗し、世俗と骨肉の情を絶ち、喜怒哀楽を捨てること。それが、仙人であるための条件なのだという。
少しでも世俗に心を残してしまえば、その程度の仙人にしかなれないのだ。世俗を絶ち、欲情を絶ち、喜怒哀楽を絶った者だけが仙人になれる。なんとも厳しい道である。

しかも一度仙人になってしまうと人間とは関われない。だから仙人である者が女性に心を動かせばたちまち仙人ではなくなってしまう。神通力をとり戻そうとした久米仙人が人を遠ざけた場所で心身清浄に七日七晩費やしたのには、このような理由があった。

女性の白い脚に惑わされた久米仙人はやんごとなきお寺を創建した立派な仙人でもある。私情により一度、神通力を失ってはいるがどうにか力はとり戻したので、一件落着である。ただ、明治期にはすっかり好色家のイメージがついてしまった。歴史は変えられないから、こればかりはどうしようもない。

おわりに

屋島岳亭 Banko, a Chinese Sage(The Metropolitan Museum of Art)

好色仙人譚(と、私が勝手に呼んでいる)は、やんごとなき仙人たちの笑い話ではあるけれど、べつの側面もある。
久米仙人の話は、本来なら関わるはずのない人間と仙人が交わり、普段なら目にすることのない神通力の一端を人間たちが現実に目撃したという物語でもある。一見するとただの笑い話に思えなくもないが、一方で人間たちが仙人をどのように理解していたかを示す、ありがた~いお話でもあるのだ。

ただ、このままだと仙人たちの沽券にかかわるので、最後に『徒然草』の一文を添えておこう。

世の人の心惑はす事、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。
匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。
(色欲ほど人間を迷わせるものはない。なんて人間はばかなんだろう。香りなんか、ほんの一時的なものなのに、着物に薫[た]き染めた香りとは知りながら、すばらしい芳香をかぐと、心をときめかせてしまう)

話によれば、久米仙人は件の女性と夫婦になっている。自分に正直な良い男だと私は思う。仙人としては、いまいちだけど。

【参考文献】
「徒然草」角川書店、2002年
「今昔物語集 三」岩波書店、1961年

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。