Culture
2019.09.17

ダンサーだから気がついた!「手」から読み解く日本文化

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踊っているとき、文字を書いているとき、私は自分の手を見ている。手が自由に動くさまを眺めている。ダンサーだった私にとって、両の手はただ似ているというだけではない。片方がもう一方と協力して働いている。もしどちらか一つを失えば、たちまちもう一方は困難に陥るだろう。手は、体を支えたり移動するときにだけ使うのではないからだ。五本の指、先端に生えている爪、複数の関節が機能するといった特徴が身体表現を可能にしてくれる。

この手は精巧な蝶番関節で手首と結ばれている。五つに分岐した骨と、多数の小さな骨によって組み立てられている。近くから見ると、厚い手の甲は山々とし、掌はくぼんでいる。この手は、柔らかくも固くもなる。物の形にぴったりと寄り添うことができる。長さを測ることができる。温度や質を感知し、意志を示す記号にもなる。

手の形を観察してみる

人が自分自身の「手」に出合うのは生後3、4ヶ月頃と言われている。手先を開閉したり、腕が動くのを見たりする「ハンドリガード」は赤ちゃんが自分の手を認識したときに起こる仕草だ。生まれたばかりの赤ちゃんにとって体があること、その体を自らの意思で動かせることは大発見であり、不思議なこと。

生まれてから数ヵ月の間は認知されず、それでいて操作するのに訓練を積む必要がない「手」。日本人は「手」をどのように捉えていたのだろうか?

道具の歴史は人類史でもある

手の発達構造、手の動作に代わる道具の種類、民俗信仰に表現された「手」から、人の手のかたち(形態・姿)と手のちから(機能・能力)を捉え直す少し変わった展覧会が武蔵野美術大学美術館で開催中だ。

民俗学者・宮本常一(1907~81年)によって収集されたこれら各地に残る民具からは、「はさむ」「たたく」「すくう」などの手の動作を、人がどのように道具に代用させてきたのかを見てとることができる。

[手の機能「はさむ」に関する民俗資料]撮影:北野謙
《はさむ》ことを可能にした食い切り、火箸、塵ばさみ、トングなど。こうした道具がなければ人間はどうしただろうか?

[手の機能「たたく」「うつ」「はらう」に関する民俗資料]撮影:北野謙
遊戯用のほか飾り用ともする羽子板、木槌、脱穀棒(マトリ)、布団叩きなど。道具を《掴んで》《叩け》ば威力は増大する。

「道具という言葉は日本人にとって大変親しみのある言葉です。どんな新しい時代が日本に訪れても、この言葉は日本人の陰になり、日向になって消えることはありません。(中略)この道具世界が人間 の喜怒哀楽に対して人間の内部から外部から影響を与え、目に見えない力がさまざまなかたちをとって、人間の生活現象の上にあらわれています。個人、家族、 社会、民族、国家とどれ一つを取り上げても影響を受けないものはありません」榮久庵憲司(えくあん・けんじ、1929-2015)「道具世界導入」『道具 考』p.9、東京:鹿島研究所出版会、1969年

人の手の動きは実に繊細だ。箸を使うのも髪を梳くのも、手を自在に動かせるからこそ。手は道具を生み出し、人を社会的存在のステージへと乗せる道も開いてみせた。

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。