踊っているとき、文字を書いているとき、私は自分の手を見ている。手が自由に動くさまを眺めている。ダンサーだった私にとって、両の手はただ似ているというだけではない。片方がもう一方と協力して働いている。もしどちらか一つを失えば、たちまちもう一方は困難に陥るだろう。手は、体を支えたり移動するときにだけ使うのではないからだ。五本の指、先端に生えている爪、複数の関節が機能するといった特徴が身体表現を可能にしてくれる。
この手は精巧な蝶番関節で手首と結ばれている。五つに分岐した骨と、多数の小さな骨によって組み立てられている。近くから見ると、厚い手の甲は山々とし、掌はくぼんでいる。この手は、柔らかくも固くもなる。物の形にぴったりと寄り添うことができる。長さを測ることができる。温度や質を感知し、意志を示す記号にもなる。
手の形を観察してみる
人が自分自身の「手」に出合うのは生後3、4ヶ月頃と言われている。手先を開閉したり、腕が動くのを見たりする「ハンドリガード」は赤ちゃんが自分の手を認識したときに起こる仕草だ。生まれたばかりの赤ちゃんにとって体があること、その体を自らの意思で動かせることは大発見であり、不思議なこと。
生まれてから数ヵ月の間は認知されず、それでいて操作するのに訓練を積む必要がない「手」。日本人は「手」をどのように捉えていたのだろうか?
道具の歴史は人類史でもある
手の発達構造、手の動作に代わる道具の種類、民俗信仰に表現された「手」から、人の手のかたち(形態・姿)と手のちから(機能・能力)を捉え直す少し変わった展覧会が武蔵野美術大学美術館で開催中だ。
民俗学者・宮本常一(1907~81年)によって収集されたこれら各地に残る民具からは、「はさむ」「たたく」「すくう」などの手の動作を、人がどのように道具に代用させてきたのかを見てとることができる。