すっかり秋の風物詩となった感のあるハロウィン。もとは古代ケルトでは、11月1日が新年とされており、その前夜の10月31日から、秋の収穫を祝う、盛大なお祭りを開いていたようです。また、この日は、死後の世界との扉が開き、先祖の霊や悪魔や魔女なども死後の世界からやってくると考えられており、人々は彼らと同じ格好に仮装して仲間だと思わせて身を守ろうとしました。その後、アメリカでは「ジャック・オ・ランタン」「トリック・オア・トリート」の風習が広まりました。現代では大人でも仮装を楽しむ人が多い日本のハロウィンは、もともとのハロウィンに近いかもしれません。
ところで、日本にも仮装をするお祭りがあることをご存じでしたか? 岡山県倉敷市のお祭り「素隠居(すいんきょ)」では、ある特定の扮装をしたひとたちがお祭りの日に練り歩きます。そこで、「素隠居」が登場する例大祭が行われる阿智神社の権禰宜(ごんねぎ)・新井玲奈さんにお話を伺いました。
倉敷美観地区の鎮守神、阿智神社
岡山県倉敷市。情緒ゆたかな白壁の建物や、大原紡績所の跡地を利用した「倉敷アイビースクエア」などを中心とした「美観地区」は、岡山県下では最大ともいえる観光地で各地から人が集まってくる地域です。美観地区を流れる倉敷川に沿って少し歩くと、小高い丘のようになっている場所が目に入ってきます。ここにあるのが阿智神社(あちじんじゃ)、この一帯の鎮守神です。
倉敷は1642(寛永19)年に幕府直轄地(天領)となりました。そして倉敷旧市街には高梁川と児島湾を結ぶ運河として倉敷川がつくられ、内陸の港町になったことで物資輸送の一大集散地(倉敷地)かつ新田地帯の中心地として繁栄します。そのころの阿智神社は神仏混淆(しんぶつこんこう。神仏習合ともいい、神道と仏教が融合して祀られること)により妙見宮(みょうけんぐう)と呼ばれていました。その後、1869(明治2)年、神仏分離令により「阿智神社」となり、1910(明治43)年6月には近隣の12社を合祀することに。現在も倉敷中心街の鎮守神として地元の人の信仰を集めている由緒ある場所なのです。
お祭りの行列に高齢者がたくさん?
阿智神社では、毎年10月第3日曜日と前日の土曜日の2日間にわたり「秋季例大祭」(例祭・神幸祭)が行われます。なかでも日曜日に行われる御神幸は、総勢200名程の時代行列が、街中の約14~15kmを歩く、江戸時代から続く大規模な神幸祭です。数か所のお旅所で祭典を行い、神社の主祭神を讃える歌舞三女神(さんにょしん)の舞、獅子舞の披露などがあります。
お祭りの行列を見ていると、なぜかたくさんのおじいさんやおばあさんがいて、見物客の頭をうちわでたたいているのがいやでも目に入ります。「ずいぶんご高齢のかたが多いんだな」と思ってよくよく見てみると、おじいさん(じじ)やおばあさん(ばば)のお面をかぶった人たちでした。これが「素隠居(すいんきょ)」とよばれるこのお祭りの風物詩。笑顔のお面は倉敷名物のひとつでもあり、お祭りを見たことがなくても「素隠居」と聞けば岡山の人はたいてい「ああ、あのおじいさんとおばあさんの」と顔をほころばせることでしょう。反対に「こわかった」という感想を持つ子どももいるようですが、いずれにしても深く印象に残るものであることはまちがいありません。
江戸時代に登場した老人のお面
新井さんによれば、阿智神社の記録である「社伝」に「素隠居」の前身である「翁(おきな)」「媼(おうな」が初めて登場するのは、1962(元禄5)年。江戸や上方では俳句や浄瑠璃などの元禄文化が花開きつつあった時代です。「この年、戎町(えびすまち)に住む沢屋善兵衛という人物が神社の御神幸にて獅子舞のお役を賜ったところ、高齢のために奉仕が難しいことに悩んだようです。そこで宮坂町に住む、柳平楽(やなぎへいらく)という人形師に頼み、自分たち夫婦に似せた面を作らせ、自身の営む店の若者に被らせて祭に参加させたのが素隠居の始まりといわれているんですよ」(新井さん)
ただし、この時の「素隠居」は現在の面とは異なり、獅子の中に入るため、頭全体を覆うマスクのような形だったといいます。もともと獅子舞の役だったために、獅子の足によくみられるような巻き毛の柄のパッチを履いているとも。その後神社の御神幸についてくる素隠居だけでなく、各町からも素隠居が登場するようになったといいます。そのうち「素隠居」と呼ばれるようになったのですが、「(獅子から出てきた)素の隠居」「素晴らしい隠居さん」など、由来は諸説あり、さだかではありません。
素隠居に参加できるってホント!?
せっかくなら、一度は素隠居のお面をかぶって列に交じってみたいと思った人もいるのではないでしょうか。「現在、素隠居の参加受付窓口はふたつあります。まず、当社の秋季例大祭の御神幸を担当する氏子地区です。担当町は4年に1度の持ち回りで、氏子地区27町から数地区合同で行います。そこから総代を通して素隠居を含め、参加者を募っています。なお、神社つきの素隠居としては、氏子のみの参加に限定されており、基本的に男女で1組、これが2組で随行しています」(新井さん)
氏子地区に住んでいなくても、素隠居保存会を通して参加する方法もあるそうです。素隠居保存会は、多くの人に素隠居を知ってもらいたいという目的のもとで活動をしているため、阿智神社の御神幸に限らず地域のさまざまな催しに参加をしています。参加については、地域、性別、年齢は問わないとのこと。男性だけでなく、女性や子どもの素隠居もいるそうです。残念ながら神社の列には参加できませんが、素隠居になることは可能なようです。なお、素隠居保存会に会員登録をすると、イベントの案内が届くので都合に合わせて参加できます(要会費)。「足袋と草履は持参ですが、お面、渋団扇、装束は貸出しをしてくれるそうなので、興味があれば、ぜひ倉敷素隠居保存会に問い合わせてみてください」(新井さん)
素隠居のお面は、一見木製に見えますが実は和紙を厚く重ね貼りしたもので、じじはちょんまげ、ばばは髪をうしろで茶筅の形に結っています。髪は当初は馬の尾でつくられたものもあったようですが、その後は麻にかわり、神社で保存しているものは耳たぶが麻で結びつけてあるそうです。お面は神社と保存会に伝わるものを修繕しながら使っているので、残念ながら買うことはできません。しかし、素隠居をモチーフにしたグッズはあちこちで売られています。お気に入りを探してみてください。
頭をたたかれれば無病息災 でも「ぼっけぇきょうてぇ」
素隠居が持つ大きなうちわは「渋団扇」というもので、これで頭をたたかれると、無病息災にすごせるとのいい伝えがあります。ぜひ頭をたたかれてみてください。なお新井さんのお話では、「『すいんきょらっきょ、くそらっきょ!』とはやし立てると、全力で追ってきて「ぼっけぇきょうてぇ(笑)」だそうです。「ぼっけぇきょうてぇ」は岡山弁で「すごくこわい」とのこと。らっきょうというのは『新修 倉敷市史』によると素隠居の横顔が「らっきょう」に似ていることからきていると推測されています。こわさが楽しさに変わるのも、素隠居のだいご味といえるかもしれません。
阿智神社に代々伝わる「素隠居」は形を変えながらも、地域の人々に愛され、継承されてきました。「地域のお祭りに参加すると、あらためて地元のよさや歴史を感じることができますし、素隠居となって倉敷市内を歩くと、観光の方や地域の方、多くの方々と触れ合うことができます。渋団扇で頭を叩いて歩きますが、子どもは泣いたり大人は笑ったり、倉敷を訪れた方々の思い出づくりのお手伝いができることも、魅力の一つだと思います」と新井さん。こわくてかわいい日本のハロウィンを見に、ぜひ一度倉敷・阿智神社の例大祭を訪れてみてはいかがでしょうか。
阿智神社
鎮座地:岡山県倉敷市本町12-1(倉敷駅から阿智神社まで徒歩15分)
電話番号:086-425-4898
参拝時間:1日中参拝可能
授与所受付時間:午前8時30分~午後5時
祈祷受付時間:午前9時~午後4時
秋季例大祭:10月第3日曜日と前日の土曜日
土曜日:車輌巡幸・午前8時から、祭典・午前10時から、神賑い・午後5時30分から
日曜日:御神幸行列・午前7時から
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