渋いダンディな俳優として人気の堀内正美さん。「映画刀剣乱舞-継承-」では品格漂う審神者(さにわ)役を演じ、注目を集めています。神戸の町を愛し拠点としながら、しなやかに俳優を続ける堀内さんの魅力に迫ります!
「映画刀剣乱舞-継承-」とは
原案は、名立たる刀剣が戦士へと姿を変えた「刀剣男士」を率い、歴史を守るために戦う刀剣育成シュミレーションゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」。今までに、アニメ、ミュージカル、舞台など数多くのメディアミックスが成功を収めています。2019年1月に初の実写映画としてスクリーンに登場すると、大きな話題となり幅広い層から支持を得ました。日本史最大のミステリーとも言われる「本能寺の変」を舞台に、新しい「本丸」での、全く新しい物語を描いています。
刀剣男士達を見守る審神者役を演じて
― 「刀剣乱舞」のことはご存知でしたか?
堀: ゲームがあることは知っていました。ただ、実際に自分でプレイしたことはなかったですね。
― 審神者役を演じるのに苦労した点はありますか?
堀: 僕が演じた審神者は、ゲームの中ではプレイヤーの役割です。審神者の意志を受けて刀剣男士達が活躍する物語なので、彼らを温かく見守る雰囲気が出るようにと、耶雲監督と相談して演じました。年齢的にもちょうど良かったのか、苦労とかはなかったですね。三日月宗近役の鈴木拡樹君とは、御簾を通してなんだけど、それぞれカットごとではなく、ずっとお互いに台詞を言いながらの撮影でした。姿は若いけれど年月を経ている三日月と、お互いに共感できる空気が生まれたように感じましたね。
― 出演されて、何か反響はありましたか?
堀: ものすごい反響があって、びっくりしました。僕がやっているツイッターやフェイスブックにも大勢の人が訪れてくれて。「自分達の夢を壊さないでくれて、ありがとうございます」というコメントを残してくれたり、何万人の「いいね」がついたり、こんな事は、初めての経験でした。
― 新しい時代劇にも感じましたが。
堀: 従来の時代劇の殺陣とは違って、刀剣男士達の立ち回りは舞のようにきれいです。全く新しい世界観が表現されていると思います。
― 「映画刀剣乱舞-継承-」やゲームをきっかけに、刀剣など日本の伝統文化に興味を持つ若い人が増えています。
堀: 若い人が刀剣など日本の文化に注目するのは、とてもいいことだと思います。刀というと人を切る残酷なイメージがありますが、この映画では刀の美しさが印象に残ります。僕も、この映画への出演で、歴代の名だたる刀があることを知りました。
元々は演出家志望
- 長い俳優のキャリアを持たれていますが、元々は演出家志望だったとか
堀: 父が映画監督をしていたので、自宅のそばが東宝の撮影所で、スタジオが遊び場だったんですね。女優さんがお化粧をしてきれいになるのを見て驚いたり、バケツに炭をおこして煙を作って、プールに戦艦の模型を浮かべて戦闘場面を撮影しているのを眺めたり。僕にとっての映画は、映画館で見るのではなく作っている現場だったんです。だから本当は映画の世界が大好きだったんだけど、思春期特有の父への反発もあって芝居の演出家になろうと思い桐朋学園の演劇科へ入学しました。
― 実技とかもされたんですか?
堀: しましたよ。バレエとか、声楽とか。全然できなくてね(笑)。入学試験でも、声楽では歌い出しのタイミングがわからなくて、何度も合図してもらってから歌うぐらい。審査員は全員ダメだというのを、千田是也先生(※)の一声で入学できたみたいです。
― 大学在学中には、加藤剛さんの弟役に抜擢されて俳優デビューされます。その後、朝の連続テレビ小説「鳩子の海」ではヒロインの憧れの君の役で注目を集めました。環境が一変したと思うのですが、ご自身としてはどんな心境だったのですか?
堀: デビューは蜷川幸雄さんの演出助手をしている時に、TBSのプロデューサーに頼まれての出演でした。元々俳優ではなく演出家になるつもりでしたし、自分としては演じるということに自信が持てなくて…俳優デビューしてから10年ぐらいは針のむしろにいる気分でした。とても有頂天になって舞い上がる余裕なんてなかったですよ。
― ナイーブな青年役や狂気を感じさせる敵役など、個性的な役柄を次々と演じられて順風な印象を持っていました。
堀: 当時は出演作品を見ることもしませんでしたね。最近になってファンの人が送ってくれた過去の作品のDVDを見ることがあって、自分が思うよりは演じられていたのかなと思ったりしています。
震災で被害を受けた神戸の町を再生させたい
― 1984年に東京から神戸へと住まいを移されますね。
堀: 一旦、全てをリセットするつもりでした。家族も賛成してくれたので、俳優も辞める覚悟でしたね。
― それから、11年後の1995年に阪神淡路大震災に遭われて、堀内さんはボランティア活動をされます。
堀: 幸い家族皆無事でしたが、多くの知り合いや友人を亡くしました。当時小学生だった二人の息子達が大きくなった時に、この傷ついた町に対して何もしなかったら、父親としてなんて言い訳をすればいいんだろうと思ったんです。学生時代に学生運動を熱心にやっていて、結局何も生み出せなかった悔いもあったので、町を再生させたいと思ったのも大きいですね。
― そして、神戸市民の合言葉となった「がんばろう神戸」を発案されたんですよね。
堀: 一緒にがんばって元気になろうよという気持ちで発信していきました。そこからボランティアネットワーク「がんばろう神戸」が生まれました。
― 震災直後の混乱した状態の支援から、復興の町づくりの過程にも携わってこられました。心がけたことはありますか?
堀: 相手が必要としていることに対して、何を生み出せるかですね。震災から4年後には神戸市役所と話し合って、全国から神戸を訪れる人達への感謝の気持を表す長期イベントを行いました。
― そこでのシンボルフラワーが「はるかのひまわり」に。
堀: 「はるかのひまわり」は、阪神淡路大震災で11歳で亡くなった加藤はるかちゃんの自宅跡に咲き始めたひまわりです。このひまわりの種を神戸や、全国各地へ広げてひまわりを沢山咲かせたいと思い、駅前や街なかで配る活動をはじめました。
― 平成最後の歌会始で、この「はるかのひまわり」が詠まれました。
堀: 『贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に』と 上皇陛下が詠まれました。2005年に上皇后陛下へ手渡された「はるかのひまわり」が、皇居の東御苑で咲いているんです。見学させて頂いたのですが、ひまわりから採れた種を蒔いて、14年毎年咲かせ続けてくださっているんだと、両陛下の思いやりの心に感激しましたね。
祖父母が教えてくれた、お互い様の気持
― ボランティアネットワークは「NPO法人阪神淡路大震災1.17希望の光」に進化し、東日本大震災ではバッグに衣類と手紙を添えて送る「たすきプロジェクト」で支援など、神戸での経験を活かした活動を続けておられます。ボランティアの源となっている出来事はありますか?
堀: 困っている人がいたら、手を差し伸べるのが当たり前という家庭環境で育ちました。特に祖父母の影響が大きいですね。山梨県の富士吉田市に住んでいたのですが、夏休みになると、訪ねて行くのが楽しみでした。
― お二人は、どんなご様子だったのですか?
堀: 祖父が自宅を開放して「学半社(がくはんしゃ)」という私塾をやっていて。半分は先生が教えるけど、半分は生徒からも学ぶっていう考え方なんです。そこで、祖母は小さな女の子に縫い物を教えたり、祖父は彫刻刀で竹ひご作っていたり。字が書けない高齢者には、子どもがひらがなを教えていたりと、出来ないことは恥ずかしいことじゃなくて、お互いに補い合うのが自然だという環境でした。この場所では僕にも役割があって、必要としてもらえるので、居心地が良かったですね。「困った時はお互い様」の精神が宿っていました。
- 震災を経験されて、その後俳優の仕事への取り組みは変わりましたか?
堀: 避難所などで被災した人達から、「堀内さん、テレビとか映画に出てよ。そうやって活躍している堀内さんが来てくれると嬉しい」って言われて。そうか、そうやって喜んでもらえるなら俳優の仕事もやってみようという気に変わったんです。オファーがあれば、どんなジャンルのどんな役でも引き受けるようになりましたね。以前は内容や役柄にこだわったりしていましたが、そんな気持はなくなりました。神戸の近所の人達が応援してくれる「ご当地俳優」でいいんじゃないかと思って演じています。
人生は死ぬまでの暇つぶし、だからこそ全力で
- 出演された映画の公開が続いていますね。
堀: 「葬式の名人」は、川端康成が過ごした茨木市でロケをして撮った作品です。撮影の合間には、川端康成記念館にも立ち寄りましたが、彼の壮絶な人生を知って驚きましたね。両親や兄弟など身近な親族を立て続けに亡くしているんです。
- 大切な人の死を描いたこの作品は、作者のバックグラウンドを知ってから見ると良さそうですね。
堀: 川端康成が散歩した土手も、映画の最後のエンディングで出てくるので、是非、見てもらいたいですね。
- 「アナログ・タイムス」は、予告編を拝見しましたが、ファンタジーの印象が。
堀: そうですね。若くして妻を亡くした男が、一方的に妻を撮影した8ミリフィルムと、今度は自分を撮影したフィルムを繋げれば、亡くなった妻と会えるのではないか。そう思ってタイムスリップを考える話です。
- どちらの作品も、大切な人の死がテーマですね。
堀: ドラマは基本、喪失と悲嘆がテーマになると思います。恋愛だって、初恋は実らないことが多いし。受験の失敗だとか、ままならないことがドラマに繋がります。実生活もそうじゃないですか。自分の思うようにならないことが多い。だからこそ、今身近にいる人との時間を大切にしたいし、いつも一期一会の気持です。
- 堀内さんは流れに逆らわずに生きて来られて、でもその都度、ご自身で選択されていますね。
堀: そうですね。一回しかない人生だから悔いなく生きたいと思っています。尊敬している亡き実相寺昭雄監督の「人生は死ぬまでの暇つぶし」っていう言葉が好きで。暇つぶしというといい加減なようだけど、目の前のことを必死になってやることだと思うんです。だから70%や80%でいいやと思いたくないんですね。どんなことにも150%の力で向かっていけば後悔がないと思っています。それは俳優の仕事だけじゃなくて、全てにおいてそう思って生活しています。
堀内正美さん出演情報
「映画刀剣乱舞-継承-」
ブルーレイ&DVD発売中。
「葬式の名人」
大阪府茨木市の市政70周年記念事業として製作された映画。3歳から18歳までを茨木市で過ごした川端康成の作品がモチーフ。堀内さんは、物語のキーマンとなる若くして死んでしまう青年の父親役。ヒロインの前田敦子さんの熱演を受け止める演技が見もの。川端作品を読んでから見ると、より深く楽しめる。
2019年11月16日(土)~29日(金)公開。
会場:宝塚シネ・ピピア
「アナログ・タイムス」
8ミリフィルムを使って、亡き妻との再会を望む教授と、クラシックカメラを愛するヒロインとの心の交流を描いたファンタジー映画。堀内さんは教授役で出演。神戸インディペンデント映画祭にてコンペ部門入選作品
2019年11月30日(土)、12月1日(日)公開
会場:神戸三ノ宮シアター、エートー