日本全国縄文ネットワーク① 翡翠(ヒスイ)の道
日本全国に張り巡らされた縄文人の集落間ネットワークの代表例として、翡翠(ヒスイ)を巡るネットワークが挙げられます。ヒスイは、緑色に輝く宝石の一つで、縄文時代〜古墳時代にかけて、主にシャーマンが用いるペンダントなどに使われました。このヒスイ、良質なものは新潟県糸魚川流域でしか採れないのにもかかわらず、北海道や東北から、九州、そしてなんと沖縄でも見つかっているのです。
青森県/三内丸山遺跡で出土した新潟県産の翡翠。(三内丸山遺跡センター)
ヒスイは、日本で産出する岩石の中でも最高度の「硬さ」を誇る宝石で、それを加工し、製品化するには大変な労力と技術を要します。にもかかわらず、製作途中の未完成品が出土する地域は全国でも数箇所に限られています。これは、石を加工、製作できる集団が限られ、完成品を製品として全国に届けていた(あるいは取りにきたのかもしれませんが)ことを物語っています。
新潟県産の翡翠(拡大)(三内丸山遺跡センター)美しく、加工が困難な翡翠を身につけることができたのは、シャーマンやムラの首長など限られた人々だったと考えられています。
日本全国縄文ネットワーク② 黒曜石の道
ヒスイの他にもう一つ、縄文時代の集落間の交流を盛り上げた主力製品があります。黒曜石(コクヨウセキ)です。黒曜石は、加工が容易なのに加えて包丁並の切れ味を発揮することから、石鏃(せきぞく・石で作った矢尻)としての需要がかなり高かったと見られています。黒曜石の原産地は全国に数十箇所ありますが、中でも透明度が高くて縞模様の入った長野県産の黒曜石は全国的に大流行したようで、600キロ以上離れた青森県にも流通しています。
左が長野県産、右が北海道産の黒曜石。(どちらも青森県・三内丸山遺跡センター)青森ならどう考えても北海道のほうが近いのに、わざわざ長野から取り寄せていたあたり、「信州ブランド」の強さを感じます。
ちなみに、長野県和田峠周辺には、「星糞峠(ほしくそとうげ)」なる地名があります。この一度聞いたら忘れられないインパクト大の名前は、江戸時代につけられたもののようで、「星をばらまいた峠」という意味です。実はこの場所は、縄文時代に黒曜石の採掘坑として(おそらく)名を馳せた場所なのです。江戸時代の人々が、数千年の時を超えて縄文人の残した黒曜石のキラキラ輝く採掘坑を発見し、夜空の星がばらまかれたのだと思ったのかもしれませんね。
こちらは千葉県で出土した神津島産の黒曜石。(飛ノ台史跡公園博物館)約200km離れた離島から、はるばる運ばれてきたのです。