お金は天下の周りもの・・・ではなかった?!
縄文時代に流通した品は、黒曜石やヒスイだけではありません。アスファルト、漆、コハク、麻、土器、貝、さらには山の幸や海の幸などの食糧まで、まるで現代のモノの流通さながらです。これらのモノを全国に流通させた経済原理がどのようなものであったか、については、実はまだほとんどわかっていません。とはいえ、もちろん縄文時代にお金はありません。そもそも、貨幣経済が日本で成立したのは、実はとても最近のことです。それまでは長いこと、「お米」がお金の代わりだったのです。では、お米が作られるようになる前の、縄文時代はどうだったのでしょうか。
実は縄文時代にはそもそも、「対価を支払う」という概念がなかったのではないか、とも言われているのです。なんと縄文時代の経済を動かしていたのは、現在でも日本文化として根強い「お土産」だったのでは、という説があるのです!
山梨県甲ッ原(かぶつっぱら)遺跡で発掘されたコハク垂飾。(山梨県立考古博物館)垂飾(すいしょく)とは、ネックレスのこと。こちらも原産地は200km以上離れた福島県いわきだと考えられています。
お土産文化の起源? 縄文時代の「贈与経済」とは
現在、世界を動かしている経済システムは、「市場経済」といいます。市場経済では、商品が生産者から切り離された市場(しじょう)に出され、同等の対価を支払うことでモノが流通していきます。同等の対価を支払うのですから、貸し借りや後腐れはありませんし、商品には人と人の関係性や感情は介入しません。
一方、縄文人の採っていたと考えられるシステムは、「贈与経済」といいます。これは、世界の様々な民族に最近まで見られたシステムで、モノが人から人への「贈り物」や「お土産」によって流通するのです。贈与経済において、「商品」の対価として支払われるものは、強いて言えば「仲間意識」です。
たとえば、内陸に住んでいる人に海産物をお土産として持っていけば、きっと感謝されるに違いありません。「恩を売って」おけば、何かがあった時にはきっと助けにきてくれるでしょうし、山で鹿が余分に捕れたら優先的に分けてくれるかもしれません。
そこで贈与されるものは、ただの「モノ」ではなく、集落間の強固な関係を作っていくための大切な「お土産」であり、人から人への思いやりを形にした「贈り物」なのです。この、田舎の「ご近所付き合い」のような、あるいは親戚同士のお中元やお歳暮のような関係性が、日本列島全域の経済を動かしていたというのです。
こちらは千葉県取掛西貝塚より出土した約1万年前のツノガイで作られた装飾品。(船橋市教育委員会)約2,000点が出土していることから、ここで製作したものを、各地へ供給していたと考えられます。